【ライヴ】伊吹留香 2011.7.10
伊吹留香ライヴ 2011年7月10日(日) 晴れたら空に豆まいて
伊吹留香のバースデーライヴにしてワンマンライヴが開かれた。最近 頻繁にライヴをこなしている彼女だが、ワンマンはこれが初めて。しかも近年はアコースティック編成主体だったのが、久々にエレクトリックバンドをバックに歌うという(先月も三軒茶屋で一度やっているが見られなかった)。さすがにこれを見ないわけにはいくまい。天気予報が思わしくなかったことや死ぬほど暑かったせいもあり、東北旅行を一日早く切り上げて土曜に帰京。ゆっくり休んだ後、日曜の代官山へ向かった。
入場前の列で後ろに並んだ人は彼女のおばさんだった。そういった親類縁者も含め、会場は大盛況である。開演前には、アルバム『課外授業』に入っていた過去の名曲が流されていた。そこには大好きな「36.5℃」や「死角」や「迷子の瞳」なども含まれていたが、逆に言えば、これらの曲は本日は演奏されないわけだ。残念ではあるが、事前に配られた歌詞カード(いつもより豪華版)を見ても、そこに並んでいるのは「今の伊吹留香」を象徴する曲ばかりだから仕方あるまい。
19時を少し過ぎた頃、伊吹留香が無造作に暗いステージに出てきて、演奏の準備を始める。ライヴの構成は、前半がアコースティックギターの弾き語り。後半がエレクトリックバンドによる演奏だ。まずは弾き語りから。
1曲目は「トラジコメディー」。2曲目は聞き慣れない曲だが良い曲だな〜と思ったら、中島みゆきの「糸」だった。この日唯一のカヴァー。最初に出てきた時から意外なほどリラックスした感じで、声もよく出ている。それ以上に「おや?」と思ったのはギター。さほど上手くなったわけではないのだが、以前のたどたどしさや自信の無さが姿を潜め、思い切りの良い弾き方になっているのだ。「ヘタならヘタでも構わない」という開き直りのようにも見えたが、清々しささえ感じるその弾き方は聞いていて心地良い。歌声とギターが、かつてないほど素直な形で絡み合っている。各地で多くの弾き語りライヴをこなしてきた賜だろう。この辺りで、今日は確実にいいライヴになることを確信した。
続く「サジ投げ日和」「在りし日」「欠乏不足」の3曲では、フリースクールで知り合った後藤ジュナという少年がギターで共演。確か15歳か16歳と言っていたが、とてもそんな歳とは思えないブルージーなギターワークに驚かされる。伊吹も実に楽しそうだ。
この日もう一つ驚かされたのは、彼女のMCの巧みさだ。数年前、美しいけれど、不満と鬱屈に満ちた暗い顔で、伝えたい思いと伝えられる歌のギャップにもがき苦しんでいた彼女が、こんなにも自然に観客とつながり、良い意味でのエンタテインメント性を身につけるとは、一体誰が想像しただろう。多分一番想像もしなかったのは、彼女自身ではなかろうか。
最後にまた一人だけの弾き語りで「ネグレクト」。どれも最近のライヴでお馴染みの曲ばかりだが、良い具合に肩の力が抜けたため、これまでよりも遙かに「言葉」が届く。言葉を届かせたいとき、声を大きく張り上げれば良いと言うものではない。むしろ秘やかに、語りかけるように歌った方が、聞く者の心に届くこともある。この日の彼女は、その術を身につけていた。これもまた数年前には考えられなかったことだ。
しばしの休憩(セットチェンジ)を挟んで後半はバンド演奏のコーナー。 メンバーは、ギター 齋藤亮/ベース 出井孝幸/ドラムス 清川渉。実に久しぶりにエレクトリックバンドを従えて歌う、伊吹留香。素晴らしい。以前は、バックの轟音サウンドに非力なヴォーカルが埋もれ、その中で焦り、力み、もがいていたものだが、今回はまったく歌が埋もれていない。弾き語りコーナー同様、ちゃんと言葉が伝わってくる。以前よりも遙かに声が出ているし、ヴォーカルがバンドの音と戦うのではなく、バンドの音と絡み合っている。彼女のヴォーカルとエレクトリックバンドの演奏が、こんな風に一体となったことなど かつて一度も無かったはずだ。数年間 アコースティックサウンドに専念したことで、まさかここまで絵に描いたような成長を遂げるとは…感無量だ。
しかし実を言うと、この後半戦に入った途端、自分の関心の矛先は 彼女以外の方向に向かっていた。ギターの齋藤亮だ。1曲目「惚れ込め詐欺」の冒頭から、いきなりジミヘンを彷彿とさせるギターが炸裂。「フォクシー・レディ」そのもののフレーズや、「ブードゥー・チャイル」を思わせるサウンドが、フレットを抉ったリッチー・ブラックモア・モデルのストラトキャスターから奔流のごとく溢れ出してくる。ジミヘンを研究し尽くしているのはすぐに分かったが、後半になると、使っているモデルから推察できるとおり、次第にリッチー・ブラックモア風味が強くなり、「キル・ザ・キング」や「バーン」っぽいフレーズが聞こえてくる。そうかと思うと、ジョー・ペリーのようなサウンドがひょっこり顔をのぞかせる。60年代〜70年代のロック/ブルース色に溢れたガッツのあるギター。別の言葉で言えば「私が大好きなギター」。この日 会場にいた観客と出演者の中で、彼のギターを一番楽しんでいたのは、おそらくこの私ではなかろうか。最後の曲でアンプに近づいてフィードバックをやろうとしたものの、アンプの出力が小さいため上手くいかなかった姿も、何やら可愛かった。
そんなわけで後半は、もちろん歌全体も聞いていたが、実のところ主役そっちのけで齋藤亮のギターに耳も目も奪われていた。ごめんよ留香さん。君も素晴らしかったが、彼のギターが 反則と言いたいほど個人的ツボにはまっていたのだから許してくれ。
こんな凄いギターを一体どこから連れてきたのだろうと思ったら、何と三上ちさこのバックを何度か務めていて、そのツテで今回参加したそうだ。つまり以前にも見たことがあるわけだ。しかしどんなに記憶を引っ繰り返しても、その時の印象は全く無い。少なくとも、こんなブルージーでガッツのあるロックギターを弾いていなかったことだけは間違いない。確かにちさこの曲に、あのような演奏は合わないだろう。それが今回は好きなようにやっていいと言われて、自分が一番好きなスタイルで弾きまくったというわけだ。
前から実に不思議なのだが、伊吹留香の周りには、ありえないほど優れたミュージシャンが集まる。ドラムスの室田憲一はその筆頭だが、今回の齋藤亮も、室田と双璧を成すインパクトだ。伊吹留香が持つ最大にして最高の才能とは、実は歌でも作詞でも作曲でもなく、優れたミュージシャンを自分の周りに引き寄せる能力なのではないか…真剣にそう思うほどだ。
バンド演奏は6曲で、前半に比べてMCが少ないせいか、意外と短かった印象。一番期待していたのは、伊吹の最高傑作「ヒートアイランド」を初めてバンド演奏で聞けることだったが、曲のポテンシャルを まだ完全には引き出せていないように思った。あれは、まだこの程度では終わらない名曲だ。もっとドラマチックなアレンジとラウドな演奏で聞いてみたい。それよりも、最近演奏を重ねるごとにどんどん良くなってきた「晩冬」が、ここでも文句なしの輝きを見せていた。アコースティックよりも絶対エレクトリック向きということでは、「老眼鏡」も良かった。
アンコールは2曲。1曲目は「LAP DOG」で、これもバンド演奏向きの曲だ。齋藤のギターのせいか いつもよりブルージーな色が強かった。
ラストは「音信」。この曲の終盤には、もはやお約束となった客に歌わせるパートがあるのだが、この日は彼女目当てに集まった客ばかりなので、歌声の大きさも温かさも、いつもとは比較にならないものだった。正直に言えば、どのアーティストであれ、こういうお約束的に客に歌わせる展開は、その場への参加や感動の共有を強制されているようで、あまり好きではない。「小学校の時にやらされたフォークダンスを思い出す」と言えば分かるだろうか?(笑) しかしこの時は違った。確かに形としてはいつもと同じだが、あの場にいた誰もが、強制されてではなく、自発的に「伊吹留香のために この歌を歌おう」という思いで歌っている…その温かさが会場を満たしていた。
目を閉じて、その歌声に耳を傾けている伊吹の姿を見た時、少し涙が出そうになった。初めて彼女のライヴを見たのは6年前。世界中の不幸と鬱屈を一身に背負ったかのようにもがき苦しんでいた その頃の姿は、今でもよく覚えている。その彼女が様々な変遷を経て、今 ここでこんな風に、人に温かい思いを伝え、人から温かい思いを返されている…それが我が事のように嬉しかった。自分は極めて狭量の人間なので、人の幸せを喜ぶよりは、妬むことの方が遙かに多い。それにも関わらず、この日の彼女を心から祝福できたのは、今の彼女の幸せが、決して幸運によって与えられたものではなく、彼女自身の努力によるもの、彼女がこれまで多くの喜びを人に与えてきた結果であることを、よく知っていたからだ。
アンコールまで含めて約2時間。弾き語りについてはほぼ文句なしだが、バンドで演奏された曲については、まだいろいろと発展の余地があるように思う。ヴォーカルも、昔に比べれば格段の進歩を見せているが、まだ声だけで人を惹きつけるほどの圧倒的な力は無い。しかし総合的に言えば、これまでに見てきた伊吹留香のライヴとしては最高の出来映えだ。
ただしそれは彼女やバンドだけの功績ではない。この日、会場に集まった人々全てが生み出したものだ。伊吹が音楽を奏でることで観客に喜びを与え、観客の喜びが彼女の喜びとなる…その交歓が頂点に達したのが、最後の「音信」だった。あんな奇跡のように幸福な時間は、そうそうあるものではない。
だが先ほど「伊吹留香の最大にして最高の才能とは、優れたミュージシャンを自分の周りに引き寄せる能力なのではないか」と書いたとおり、そのような最良の観客をあそこに集められたこともまた、彼女の持つ力なのだ。伊吹留香のこの6年間を見ていると、「その時点で自分に出来ることを精一杯やる」「自分を変えることを恐れない」「人とつながる」この3つが、人生にとっていかに大切であるかを思い知らされる。それさえ忘れなければ、今後どんな紆余曲折があったとしても、彼女はさらに成長していけることだろう。
「人生とは素晴らしいものだ」などとは、なかなか言う気になれない。しかしこの日、目を閉じて「音信」の合唱に耳を傾けている伊吹留香の姿を見た時、確かに自分はこう思った。「人生も、時には素晴らしいことがあるものだ」。
ーSET LISTー
01.トラジコメディー
02.糸(中島みゆき cover)
03.サジ投げ日和
04.在りし日
05.欠乏不足
06.ネグレクト
----------------------------
07.惚れ込め詐欺 2011
08.死体のジョージ
09.晩冬
10.dying message
11.ヒートアイランド
12.老眼鏡
----------------------------
13.LAPDOG
14.音信
(2011年7月)
The comments to this entry are closed.
Comments