【演劇】SPAC『時の商人』『天守物語』 2011.6.25
6月25日(土)、SPAC(静岡県舞台芸術センター)が主催する「ふじのくに せかい演劇祭」で2本観賞のために静岡行き。
行きはSPACが出している無料バスで11時30分に渋谷を出発。いつもはもっと混んでいるのだが、今回はガラガラ。座席は1/3くらいしか埋まっていない。『時の商人』の上演中止と、その日の内に帰りの無料バスに乗れないのが大きいのだろう。足柄インターでの昼食休憩を挟んで、15時少し前に静岡芸術劇場に到着。駅の反対側にガンダムの姿が無いのが寂しい。東京は午後から雨が降ったりして急激に気温が下がった模様だが、静岡は暑い。
16時よりジョエル・ポムラ演出『時の商人』の映像上映+日本語ナレーション。震災の影響で中止になってしまった芝居の映像上映だが、この作品は、ごく一部を除いて役者が自ら台詞を発することなく、「私」役のナレーターがモノローグのような形で全てを語っていく構成。だから本来予定されていたフランス語上演+日本語字幕よりも、こちらの方が分かりやすいという面もある。上演前の宮城さんの解説によれば、インド古典舞踏劇のナンギャール・クートゥー、『時の商人』、『天守物語』と、「この週末には、役者が自ら台詞を発しない作品を3本集めてみた」そうだ。なるほどね。
だが、その映像が暗く不鮮明で、役者の表情さえ ほとんど分からないのは相当つらいものがある。バスの疲れもあって、最初の方はかなり睡魔に襲われた。しかし中盤からはグッと引き込まれ、最後のあたりは手に汗握る感じで見ていた。一番単刀直入で分かりやすい形容は「舞台版ミヒャエル・ハネケ」。日常の中に潜む恐怖といったテーマ、静かな情景の中で描かれる悪夢的な物語は、疑いようのない類似性を帯びている。ただし表現の形式はハネケ以上に静謐で、観客に想像力を要求するもの。また、先日見た舞台『モリー・スウィーニー』は、役者が自ら話すものの、大部分が3人の人物のモノローグで構成された戯曲で、そちらとの類似性も興味深い。
そんな刺激的な作品だけに、本来の舞台上演が映像上映だけとなり、その映像的クオリティの低さもあって、最初の方でかなりウトウトしてしまったことが何とも悔やまれる。これはぜひとも本物の舞台上演を見たいものだ。ただしナレーションはやはり日本語の方がいい。これが全編字幕だと、別の意味でウトウトしそうだ。
その後バスで、日本平の上にある舞台芸術公園へ。こちらに来るのは初めて。そもそも日本平に来るなんて何十年ぶりだろう。会場は公園の中にある野外劇場 「有度」。予報ではかなりの確率で雨に降られるはずだったのに、まったく降る気配はなく、暑くも寒くもない気温で、野外劇を見るには文句の付けようがない天候。まるで何かに祝福されたような気分だ。
今回の上演は、ク・ナウカの名前は出ていないし、SPACの俳優も何人か混じってはいるが、演出は宮城聰だし、主な配役はク・ナウカ勢で占められているので、事実上ク・ナウカの公演をSPAC名義でやったものと考えていいだろう。この作品を見るのは2003年の3月以来2度目。演劇にのめり込むきっかけの一つとなった舞台であり、それを生まれ故郷の静岡で、しかも何十年ぶりかで訪れる日本平で見るのだから、感慨もひとしおだ。
8年ぶりの『天守物語』は、言うまでもなく素晴らしい。何度となく再演されたク・ナウカの代表作だけに、憎らしいくらい全ての面で練りこまれている。さすがに細部は忘れているため、富姫を演じる美加理って、あんなにもパフォーマンスっぽい動きをしていたのか、音楽演奏はここまでパーカッシヴで力強いものだったのか…などなど、新鮮な感動も山ほどある。また、『天守物語』って、ク・ナウカとしては『マハーバーラタ』と並ぶ大ハッピーエンドなのだということに、何を今更のように気がついた。歌ったり踊ったこそ無いものの、その祝祭感や高揚感は、他に替え難いものがある。
終演後、知り合いの吉植荘一郎さんにご挨拶。芝居の高揚感もあいまってか、終演後の観客と役者たちの交流は、かつて見たことがないほど賑やかで楽しげなものだった。こういう交流は、テント芝居を除けば、東京ではあくまでも内輪だけのもの。しかしSPACの公演においては、終演後の観客と役者との交流が最初からプログラムとして組み込まれていて、面識のない観客も役者とあれこれこれ話したり質問したり一緒に写真を撮ったりしている。これが他では見られない楽しい雰囲気なのだが、今回は特にそう。これだったら、その後の交流パーティーにも参加して静岡に一泊するのも十分にありだったなと、後になって思った。
面識と言えば、行きのバスで誰も知り合いに会わなかったので、今回は行きも帰りも完全に独りだと思ったのだが、結局 現地で知り合いに3人会った(ただし帰りの日時がそれぞれ違うので、行き帰りはやはり独り)。と言うか、東京からSPACの公演に行く場合、もはや知り合いに全く会わないようにする方が難しい。直接知らないし名前も分からないのだが、見覚えのある顔も多数見かけた。
そんなわけで、閑散としたバスに乗って出発した時からは想像もつかないほど幸福な気持ちで、帰途につく事になった。時間と金をかけて静岡まで足を運んだ甲斐があるというものだ。
しかし、帰りは電車代を節約するため、新横浜からではなく小田原経由で帰ったのだが、やはり小田原経由だと時間がかかる。21時48分のこだまに乗って、地元駅に着いたのは0時23分。新横浜経由なら、21時36分のひかりに乗って23時30分には着いていたはず。1500円を節約するために、50分余計な時間をかけるのが合理的か否かは微妙なところだ。静岡から小田原まではすぐ着くのに、小田原での乗り換えが30分ちかくかかるし、小田原から東京圏内に入るまでやたらと時間がかかる。「どこかへ行く時」は知らない駅名が続くことが楽しいのに、「家に帰る時」はいつまで経っても知っている駅名が出てこないのが憂鬱に感じられる。これが昼間で、外の見慣れない風景が見えれば、また話は違うのだが、夜じゃねえ…
とは言うものの、本当に充実した一日だった。また早く静岡に行きたい。なお、今回の「ふじのくに せかい演劇祭」で上演され、大きな評判を呼んだ『タカセの夢』は,8月に東京のシアタートラムでも上演される。もちろんチケットはすでに入手済みだ。
http://www.spac.or.jp/11_fujinokuni/merchants
http://www.spac.or.jp/11_fujinokuni/castletower
http://www.spac.or.jp/11_summer/takase.html
(2011年6月執筆)
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