【追悼】ゲイリー・ムーア
1983年1月24日(月) 東京厚生年金会館
1984年2月29日(水) 日本武道館
1985年10月14日(月) 日本武道館
1987年7月13日(月) 中野サンプラザ
1987年5月13日(土) 渋谷公会堂
調べてみたら、1980年代の5回の来日公演は皆勤賞だった。
それなのに21年ぶり、最後の来日となった、昨年の公演を見逃すとは…と言うより、まさか昨年が最後の来日公演になろうとは…一体誰がそんなことを予想しただろう。
ゲイリー・ムーアのギターを初めて聞いたのは、グレッグ・レイクの最初のソロアルバムにおいてだった。プログレファンだった自分としては、もちろんグレッグ・レイクが目当てだったわけだが、レイクの歌よりも、ゲイリーのバカテクギターに耳を奪われた。特に1曲目の「ニュークリア・アタック」は最初の来日公演でも演奏された名曲で、よく聞いたものだ。その曲がレイクではなくゲイリーの曲だったこともあり、ゲイリー・ムーアという名前は強く記憶に残った。
そして1982年、『大いなる野望』Corridors Of Powerがリリースされる。折からのスーパーギタリストブームに加え、酒井康や伊藤正則が大絶賛したため、日本でもゲイリーの人気が大爆発。1983年の来日公演へとつながる。
この時のライヴは、思い出深いということで言えば、人生でも屈指のライヴだ。何しろライヴに行き始めて間もない頃。確か最前列か2列目くらいの良い席で、すぐ目の前でニール・マーレイがベースを弾いているのだからたまらない。ゲイリーの神業的なギターもさることながら、それに呼応する観客の熱気は凄まじいものだった。今考えてみると、それまでは武道館などの大きな所や後方の席ばかりだったから、すぐ目の前でミュージシャンが演奏する、いかにもライヴ!な熱狂を味わったのは、あの時が初めてだったのだ。あの時あのライヴを体験しなかったら、良くも悪くも、その後の人生は違ったものになっていたはずだ。
その後も『ヴィクティムズ・オブ・フューチャー』『ラン・フォー・カヴァー』と良質なアルバムを連打。特に後者は、コンピレーション的な散漫さが批判されたが、個々の楽曲の出来に関しては文句なしの名盤。シン・リジィ時代の盟友フィル・ライノットと共演した「アウト・イン・ザ・フィールズ」はイギリスで大ヒットし、日本でも84年と85年のライヴ会場は武道館に昇格した。ニール・マーレイ、イアン・ペイス、ドン・エイリーを擁したスーパーバンドのメンバーは小粒にマイナーチェンジしていったものの、ニール・カーターという良き相棒を得て、安定した活動を続けることになる。
そして生まれたのが、アイリッシュとしてのアイデンティティを前面に打ちだした名盤『ワイルド・フロンティアー』。このアルバムを代表する名曲は、何と言っても1曲目の「オーバー・ザ・ヒルズ・アンド・ファー・アウェイ」だ。チーフタンズのメンバーも参加した、アイリッシュテイストたっぷりのトラディショナル・ハードロック。歌詞は、ザ・バンドやチーフタンズの演奏でお馴染みの名曲「ロング・ブラック・ヴェイル」を彷彿とさせる、一編の見事なストーリー。元々ゲイリーの作る歌は、詩的というより物語的なものが多いのだが、この歌はその中でも傑出している。何から何まで素晴らしい、ゲイリー・ムーア渾身の一曲だ。
この時期の4枚のアルバムはどれも優れた作品だが、その後に出た『アフター・ザ・ウォー』は、どことなく焦点の定まらない凡作。やはり前作でやるべきことをやってしまったせいか…と思っていたら、1990年の『スティル・ゴット・ザ・ブルース』で本格的ブルースロックに転身。これが思いがけないほどの大ヒットとなる。以後彼はブルースの人となり、ハードロックの世界に戻ってくることはなかった(と言いつつ、ブルースを弾いても奏法は思い切りハードロックしているのだが)。
自分としては『スティル・ゴット・ザ・ブルース』も『アフター・アワーズ』も決して嫌いではなかったし、特に「スティル・ゴット・ザ・ブルース」は今聞いても名曲だと思う。しかし自分にとってのゲイリー・ムーアは、やはりハードロックのギタリストであり、過去の曲をほぼ完全に捨て去って、ライヴでもブルース転向以後の曲しか弾かなくなったゲイリーへの興味はだんだん薄れていった。去年のライヴに行かなかったのも、結局は、その点に引っかかったからだ。
しかし、まさかの訃報を耳にして、あの80年代のライヴを思い出すにつけ、自分にとって彼がどれほど大きな存在であったかをあらためて思い知らされているところだ。エディ・ヴァン・ヘイレン・タイプのギタリストが席巻した80年代だが、あの頃、自分にとって最大のスーパーギタリストと言えば、間違いなくゲイリー・ムーアだったのだ。
そしてさらに驚いたのは、先ほどYouTubeで映像を幾つかの映像を見たときだ。そこで見られるものの多くはブルース転向後の演奏なのだが、今の成長した耳で聞いてみると、何と言う味わい深い演奏をしているのだろう! さらに驚かされるのは、ヴォーカルの上手さだ。歌えるギタリストとしては、80年代から屈指の上手さだったが、今 幾つかのライヴ映像で聞ける彼の歌声は、ハードロック時代の比ではない。ギターと歌が渾然一体となった、この豊かな表現力は一体何なんだ。いや、きっと違う。彼が成長したという以上に、ようやく自分の耳が、彼の音楽に追いついたのだ。20年も遅れて、やっと彼が目指していた音楽を理解できるようになったのか…遅いよ、遅すぎるよ、オレ…
素晴らしい音楽と素晴らしい思い出をありがとう、ゲイリー。安らかに。
(2011年2月)
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