【映画】『インクレディブル・ハルク』前作を無かったものとする面白さ
5年前にアン・リーが監督した『ハルク』は、ほとんど見るところのない駄作だったが(ただし最大の敗因は演出ではなく脚本にある)、この『インクレディブル・ハルク』は原作コミックの版元であるマーヴェル・コミックが、自らの製作会社マーヴェル・スタジオで新シリーズとして仕切り直したもの。間もなく日本でも公開される『アイアンマン』と共に、今後続々と映画化されるマーヴェル作品の先陣を切る作品だ。
評判の高さは聞いていたものの、前作の駄作ぶりがあまりに強烈だったので、大きな期待をしていたわけではない。ましてや、あの超弩級傑作『ダークナイト』を見た後だ。どうしてもこちらにはB級の匂いがつきまとう。しかしいざ見始めると、114分の上映時間があっという間の面白さ。もちろん『ダークナイト』のような深いテーマや磨き抜かれた美学はないものの、観客が「ハルク」に何を求めているかをよく理解し、見たいと思ったものを見せてくれるサーヴィス満点な娯楽作品になっている。
特に感心したのはロケーション。中でも最初の舞台となるリオデジャネイロのスラム街の見事さだ。あの街を最初の舞台とすることで、荒唐無稽な話に強烈なリアリティが加えられている。しかも第2ラウンドはアメリカ郊外の大学キャンパス、第3ラウンドは夜のブロードウェイと、まったく違う場所でまったく違う戦いが繰りひろげられるので見飽きない。
もう一つの成功要因は、実力派の役者をずらりと揃えたこと。主役のエドワード・ノートンは、ここ数年の影の薄さは何だったのだろうという快演だし、敵役のティム・ロスもナイスキャスティング。決してマッチョなタイプではなく、むしろ知性派の彼らが、あのような化け物に変身するからこそ面白い。たとえばこの役をザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)がやったところで面白くも何ともないと言うか、「わざわざ変身しなくても、素のままで戦えるだろう」という突っ込みが入るところだ。ハルクに変身をしないため心拍数を上げないように苦労する様子は、変身しなければ弱々しいノートンだからこそ、共感とサスペンスを呼ぶ。
もう一人、文字通りの「重鎮」として作品の格を押し上げているのがウィリアム・ハートだ。「ハルクでここまで真剣な芝居をしていいのか?」と言いたくなるほどだが、それは他の役者も同様で、アメコミ作品だからと言ってぬるい演技や不必要に大袈裟な演技をしている者は誰一人いない。そこが日本の同種の作品との決定的な違いだ。
それに比べると脚本には若干の難ありで、特にクライマックスの戦い前後には首を傾げるものがある。たとえば、それまでの執拗な描写からすると将軍の心変わりに説得力がないし、ノートンが何故あんな無茶なことをやるのかも理解できない(あれでもし目算が外れたらアホすぎる)。その他にも、このクライマックスは突っ込みどころだらけだ。またVFXは、ハルクたちが投げる物体の重量感をうまく表現できておらず、最近の映画としては技術的にレヴェルが低い方に入るだろう。
そのような欠点は見られるものの、荒唐無稽な物語にリアリティを導入した巧妙な演出と、役者たちの見事の演技で、十分過ぎるほど楽しめる娯楽作品になっている。深い感動は望むべくもないが、夏休みらしい娯楽映画としては及第点を遙かに超えている。日本ではハルク人気が低いので、非常に地味な公開になっているが、見ても決して損はない。もちろん『ダークナイト』を見た後での話だが。
なお、最後に登場する謎の人物は、最初に書いた『アイアンマン』の主人公トニー・スターク。演じているのは、映画版と同じロバート・ダウニーJr.。この先、アイアンマンとハルクが共演する映画が作られることをはっきりと予告するラストだ。しかしアイアンマン自体が日本では無名に等しい存在なので、これは予備知識がないとまずわからない。上映前に『アイアンマン』の予告編は流れたが、これは他の予告編と一緒に流すのではなく、本編の直前に別格的な扱いで流すか、エンディングの後に流して彼が何者であるかはこの映画でご覧ください、という感じにすべきだった。配給は同じソニー・ピクチャーズなのだから、決して無理な相談ではないと思うのだが。
それにしても最近のアメコミ映画の充実ぶりは、一体どうしたことだろう。歴史的傑作『ダークナイト』は言わずもがな。『アイアンマン』も非常に評判が良い。ギレルモ・デル・トロが監督した『ヘルボーイII/ゴールデンアーミー』も、第1作『ヘルボーイ』と、それに続く監督作『パンズ・ラビリンス』の素晴らしさから見て、絶対に期待を裏切ることはないだろう。最近いろいろな場面でアメリカ映画の変質を目の当たりにしているが、このアメコミ映画のクオリティ面での充実が、アメリカ社会の現状とどのようにリンクしているのか、大いに興味をそそられるところだ。
(2008年8月)
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