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04/17/2008

【演劇】innerchild『(紙の上の)ユグドラシル』2008.4.3&4.6

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innerchild『(紙の上の)ユグドラシル』
2008年4月3日(木) 19:00〜/4月6日(日) 19:00〜
青山円形劇場


innerchildを見るのは『遙(ニライ)』『アメノクニ/フルコトフミ』に次いで3回目になる。今回、わずか5日間の公演を2回見たのは、言うまでもなく『遙(ニライ)』に続いて石村みかが出演しているからだ。
『遙(ニライ)』はレビューを書いているので、そちらを参照して欲しいが、レビューを書き損ねた『アメノクニ/フルコトフミ』が実はなかなかの秀作。『遙(ニライ)』が「文句を付けようと思えば、いくらでも付けられるが、心情的にとても好きな作品」だったのに対し、『アメノクニ/フルコトフミ』は格段に欠点が少ない、完成度の高い作品だった。続編的な内容らしい『アメノクニ/ヤマトブミ』を見逃したのが惜しまれる。

そしてこの『(紙の上の)ユグドラシル』だが、初日を見たときには、明らかな失敗作だと思った。小手伸也の「勉強したことは全部盛り込まないと気が済まない」という悪い癖が、無意味に複雑な設定を作り出し、肝心のストーリーがひどくわかりにくくなっていたからだ。
ところが2回見たら、意外なほどすんなりとストーリーが理解できた。そして理解できてみると、メインストーリーそのものは意外とシンプルで、『遙(ニライ)』に通じるロマンティシズムに溢れた、感動的な内容であることもわかった。

では1回目にストーリーがよく理解できなかったのは自分の責任なのかと言えば、それは違う。この台本には構造上多くの欠点があり、一度見ただけで設定やストーリーを理解できる観客は決して多くないはずだ。幾つもの時空間が入り乱れる構成はあまりに複雑だし、一体誰の視点から物語を見れば良いのかわからないことが、さらに混乱を深めている。

結論から言うと、この作品は、あくまでも石村みか演じる瓜生樹を中心とした物語だ。『遙(ニライ)』もそうで、多数の人物が登場するが、石村が演じる役を主人公だと思って見ていけば、物語構造が俄然わかりやすくなる。
問題は、『遙(ニライ)』もこの作品も、石村を中心に見ていけば良いのだということが、すぐには理解できない点だ。たとえばこの作品の導入部は坂上家の描写から始まるが、あの描き方では、大抵の人間は坂上樹(數間優一)の視点から物語を見ていくべきだと誤解するだろう。しかし終わってみると、坂上樹はせいぜい語り部程度の役割しか果たしておらず、物語の進行にはほとんど関係ない役柄なのである。

そして2回目にやっと正しく理解できたのだが、実は主役である瓜生樹は、最初の登場シーンからすでに死んでいるのだ。初めて登場したときの彼女は、幽霊か、木の精霊のごとき存在だ。その彼女がバウムテストを受けて気を失い、そこから様々な時空を行ったり来たりする。しかもその内の幾つかは、彼女の記憶の中の出来事だ。
しかし忌まわしい記憶を思い出して気を失う幽霊って…ありか?(笑) このオープニングを見て、彼女が死せる魂であることを察する観客はまずいないはずだ。しかも彼女の死が描かれるのは物語のクライマクッス、それからほぼ2時間後の事だ。そこからラストにかけてのシーンまで見て、逆算して考えて、彼女は登場したときすでに死んでいたことをようやく理解することが出来る。こんなわかりにくいストーリーテリング、普通はありえないだろう。そのわかりにくさは意図的なものではなく、あれこれ複雑にストーリーを作り上げていった結果、上手い説明描写が入れられなかっただけのように思える。しかも樹を中心とした物語でありながら、彼女が出ずっぱりと言うわけでもなく、樹抜きで進行する部分も多い。これではどこに視点を定めていいのか混乱するばかりだ。

視点と言えば、美術セットが最悪だった。円形劇場をフルに使うため、真ん中に木の切り株のようなものを置き、その回りで芝居が行われるのだが、その木が大きすぎて反対側が全く見えないのだ。反対側で芝居をされると、役者の姿がまったく見えないまま、台詞だけがかろうじて聞こえるという状況が続く。それによってストーリーがわからなくなる部分は少ないものの、登場人物に対する感情移入が著しく妨げられる。木は3段になっていたので、あと1段減らしてくれていたら顔だけは見えたはずなのに。
その弊害は劇団の方でもわかっていたのか、2回分のチケットは完全に正反対の席が送られて来た。それで2回見て、ようやく全ての芝居を見ることが出来たのだ。しかしたとえ前回見たシーンでも、一つの作品中に全く見ることの出来ない重要なシーンが出てくると、ひどいフラストレーションを覚える。ともかく1回しか見ていない観客は、この作品の少なからぬ部分を見ることが出来ないわけだ。

そんなわけで、この作品は、物語も、実際に演じられる芝居も、違う席から2回見ない限り完全には把握できないのである。言うまでもなく、5日間7回公演の芝居を2回見る観客は極めて少数だ。圧倒的多数の観客は、「設定が理解できない」「重要なシーンが見えない」といったフラストレーションを抱くことになる。これは決して誉められたことではあるまい。

ただ逆に言うと、2回見ることさえ出来れば、これが決して悪くない。それどころか、かなり感動的な物語なのだから始末が悪い。台本にせよ演出にせよ、何故この内容を1回見ただけで大方理解できるように作れないのだろうか。小手伸也は、才能が無いのではなく、才能の使い方を明らかに間違えている。今年でinnerchild結成10周年だそうだが、あと何年たてば、足し算ではなく引き算で物語を作る術を覚えてくれるのだろう。

評を書くとなれば、このような苦言ばかりにならざるをえないのだが、2回見れば間違いなく良い作品なのである。だからこそ、それを1回で伝えられるストーリーテリングを身につけて欲しい。それさえ出来れば、innerchildは今とは比較にならないほど素晴らしい劇団になることだろう。


お目当ての石村みかは、相変わらずの熱演。ただし今回は、いつもほど心を震わせる演技は見られなかった。これは物語の構造上、情報を伝える演技が多くならざるをえず、感情の流れを素直に演じることが出来なかったためではないかと思う。樹という人物の行動には、一人の人間としての感情の他、木と人の間に立つ者としての宿命など、様々な動機や原因がからんでいる。それがいつもの一点集中的な感情表現の強さを損ねていた面もあるだろう。ただし初日のいっぱいいっぱいな感じに比べると、2回目はだいぶ柔らかな魅力が出ていた。それにしても彼女は『新・雨月物語』に続いて2作連続で幽霊を演じたのかと思うと、ちょっと可笑しかった。
次回作は、子供のためのシェイクスピア・カンパニーで『シンベリン』。しかもシェイクスピア作品中、最も魅力的なヒロインの一人であるイモージェン役だ。僕が彼女に最も演じて欲しい役は『十二夜』のヴァイオラであると前にも書いたが、『シンベリン』のイモージェンもヴァイオラに勝るとも劣らぬ役柄だ。この素晴らしいヒロインを石村みかがどんな風に演じてくれることか、今からワクワクするほど期待している。


(2008年4月)

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