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12/02/2007

【演劇】MODE『失踪者』2007.12.1

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MODE『失踪者』
2007年12月1日(土)14:00〜 シアタートラム


シアタートラムで行われているカフカ2作品交互上演のうちの1本。すでに『審判』も見ているのだが、いろいろと不満の多い作品で、劇評の執筆も中断中。どうせ楽日にもう一度見るので、そちらは後回しにして、一回しか見ない『失踪者』について先に書く。なお本作は正式には世田谷パブリックシアター制作のため、松本修が主催するカンパニー「MODE」の名はどこにも使われていない。しかし制作費がどこから出たのであれ、クリエイティヴ面ではMODEそのものなので、『失踪者』も『審判』もMODEの上演作品として扱うことにする。

この作品は、松本修が手がけた最初のカフカ作品で、2001年と2003年にシアタートラムで上演されている(前回までのタイトルは『AMERIKA』で、今回『失踪者』と改題された)。以後、2005年に新国立劇場で『城』、2007年春にスズナリで『変身』が上演され、2007年秋にシアタートラムで『審判』の初演と『失踪者(AMERIKA)』の3度目の上演が行われているわけだ。これらの作品はどれも、カフカの原作(池内紀 訳)を元に、役者たちがワークショップによって内容を練り上げ、それを松本修が最終的に構成し、演出するという方法で作られている。

僕は2000年の初演は見ていないが、2003年の再演版は見ている。映画では代替不可能な、演劇ならではの魅力に溢れた作品であり、自分にとっていろいろな意味で思い出深い芝居だ。
だが、それだけに今回は少なからぬ不安もあった。最大の問題は、前回最も素晴らしい演技を見せていた石村みか(当時は石村実伽)が今回出演しないことだ。計5人の役者が交替で主役のカール・ロスマンを演じるのだが、その中でも石村は別格的な輝きを放っていた。その彼女がいない以上、本作の最大の魅力はあらかじめ失われたも同然だ。基本的な路線は同じはずだから、一定のクオリティは保証されているにせよ、2003年版より多少落ちることは間違いないだろう…そんな覚悟を持って劇場に足を運んだ。


幸いにも、その心配は杞憂に終わった。確かに石村みかの不在は埋めがたい欠落として残ったものの、それ以外のあらゆる要素が磨き抜かれ、完成度を高めているため、総合点で言えば2003年版に勝るとも劣らない出来になっていたのだ。今回の公演に合わせて原作も再読したのだが、これはすでにカフカの原作も超えているのではなかろうか。


2007年版の大きな特徴は、客席と舞台の配置が逆になっていること。2001年版もそのような配置だったらしいが、2003年版では普通の配置に戻り、今回また逆転したわけだ。10月にベニサンピットで見たTPTの『スペインの芝居』も、入り口から舞台上を通って客席に向かう、ギョッとするような配置になっていたが、それには内容とからんだ明確な演出意図が感じられた。しかしこちらは、配置がどちらになっても、あまり大きな違いは感じられない。先日のレクチャーで松本修自身が、この配置の理由を「『審判』との交互上演のため、同じ舞台上でセットを壊したり作ったりするよりも、配置を逆にした方が予算と労力の面で安上がりだったから」と説明していたので、この配置にあまり深い意味を求めることは無意味だろう。ただし入り口から入ると客席が真正面に見え、その後、横の暗い通路を通って客席に入る過程は、カフカ的な迷宮を感じさせるものだった。また交互上演による制約もあったのか、基本となるセット、特に2階部分は2003年版よりも少しシンプルなものになっていた。

上演時間は以前よりも長くなった。2003年版は休憩込みで3時間15分か20分程度だったと記憶しているが、今回は休憩込みで3時間40分と『城』と同じ長さになっている。全体の構成はほとんど変わっていないが、細かなやり取りが少しずつ増えているようだ。事前の評判で「長すぎる」という意見をさんざん耳にしていたが、いざ見てみると、観賞時の体調も良かったせいか、冗長さはまったく感じなかった。同じ上演時間でも『城』より遙かに短く感じられたし、『審判』の果てしない3時間15分に比べれば、半分程度の長さに感じられた。

長さを感じさせない最大の原因は、視覚的な躍動感にある。登場人物が、2階建てのセットを縦横無尽に動き回り、時には身体の動きが台詞よりも雄弁に感情や物語を紡ぎ出す。ほぼ台詞劇に終始した『審判』とは正反対だ。『城』でも『審判』でも、井手茂太の振り付けによるダンスが入っているが、その大胆な導入の仕方と群舞の楽しさでは、この作品がずば抜けている。


しかしこの『失踪者』という物語の何がそんなに面白いのかを説明するのは、意外と難しい。原作小説が未完なので全体の構成は不備だらけだし、内容的にも一般的な意味で感動的な物語とは言い難い。カフカと言えば「不条理」という言葉がついて回るし、確かにボランダー家での出来事などシュールな展開はあるが、それはせいぜいフェリーニの映画程度のレヴェルで、ある朝目覚めると自分が巨大な虫になっていたり、誕生日の朝 理由もなく逮捕されて犬のように処刑されたりといった展開に比べれば、至極真っ当なストーリーである。この『失踪者』の感動を「不条理」という観点から語りきるのは、いささか無理があるように思う。

ではこの作品のテーマは何かと言えば、カフカや松本修の本来の意図がどうであれ、結果的に「青春の彷徨」を描いた作品となっているように思う。他の3作品の主人公が20代後半から30代の社会人なのに対し、この物語の主人公カール・ロスマンは15〜17歳(原作における年齢の記述には、この範囲内で混乱がある)。まさに少年から青年への過度期だ。愚直なまでに正義や仲間への思いにこだわるところも、実に若者らしい。『審判』のヨーゼフ・Kや『城』の測量士Kが、時には周りの人間をしたたかに利用して、巨大な権力に挑もうとするのに対し、彼はもっと日常的なレヴェルで、自分のアイデンティティを確立するため悪戦苦闘する。ほぼ身一つでドイツからアメリカに放り出されたカールが、新しい道を切り開こうとしながらも、どんどん現実の迷宮にはまっていく物語は、一風変わった「青春もの」と捉えて差し支えないだろう。すでに書いたような視覚的躍動感が、そんな青春の物語とピッタリ噛み合ったことで、構成上の不備を補って余りある感動が生まれてくるのだ。


2003年版との違いについて書くと、同じ場面を演じていても、空間上の構図や人物の位置関係がだいぶ変わっているし、採用された台詞や舞台オリジナルのやり取りもけっこう変わっている。衣装もかなり違う。そして役者もちょうど半分程度の顔ぶれが入れ替わっている。再演(再々演)と言っても、同じ作品を元にした新公演と言っていいだろう。
演出上の大きな違いとしては、すでに述べたように客席と舞台の位置が逆になったことに加え、最後のオクラホマ劇場支配人の演説にヒトラーの演説がかぶさるなど、2001年版に先祖返りしたようなところが目立った。ただし最後のヒトラーの演説はやり過ぎだと思う。2001年版は汽車に乗って人々が行き着いた先がアウシュヴィッツだったという落ちがあったそうだが、これは2003年版では無くなっている。その理由について松本は「あまり意味を限定したラストにしたくなかった」と言っていたし、それは正しい判断だと思う。原作小説そそのものも未完だし、内容的にもカールの行方は未知なる世界へと開かれていた方がいい。ほぼ死のメタファーである強制収容所が結末に来たのでは、これまでのカールの彷徨は一体何だったんだということになるし、それまでにファシズムの影が描かれているわけではないので、物語の上でも飛躍がありすぎる。ましてや一番のラストは2003年版と同じで、全てのライトがつき、役者たちが扮装を脱ぎ捨てて去っていくという「芝居から現実へ、カールの物語は続いていく」と言わんばかりのものだ。その流れの中で、やはりヒトラーの影は浮いている。2003年版にもあった「働けば自由になれる」(アウシュヴィッツの門に掲げられていた標語)をアイロニーとして使用する程度にとどめておくべきだったろう。
他に目立った点としては、ギャグが幾分控えめになっていたこと(控えめにしたつもりはないのだが笑えなかっただけかも)、2003年版よりもヌードや着換えなど女優陣の肌の露出が抑えられていたこと、衣装が全体に華やかになって目を楽しませてくれたことなどが上げられる。

前回と同じく、ドラマルシュの家のパートに『変身』の一場面が挟まれる。『変身』は春に単品として上演されているが、やっていることは同じでも、こちらは思いきりカリカチュアライズされた演技と演出で、カフカと言うよりはまるで楳図かずおの恐怖漫画の一場面だ。むしろ春の上演を見ている人ほど、その違いに笑えたのではなかろうか。
ただ、2001年や2003年の時点では、まだこの作品しかカフカものをやっていなかったので、『変身』の一場面と、それに続くカールとカフカの対話が存在することも納得出来たが、『変身』『城』『審判』がそれぞれ単品で上演された今となっては、カットしても良いシーンなのかもしれない。ただしドラマルシュの家のエピソードは、話そのものが根本的に面白くないので、これを入れて目先を変えないと、後半がグタグダになってしまう可能性もあるだろう。余談だが、録画してある2003年版でこのシーンを見直したら、石村みかが、目を大きくひんむいた誰よりもオーバーな芝居をしていて、思わず吹き出した。


最後に役者について。

自分にとって最大の注目点は、言うまでもなく石村みかに代わってカール2を演じたともさと衣だが、彼女については後で詳述する。

前回と同じくカールは5人(今回は回想シーンを入れると6人)の役者によって順に演じられる。前回は石村みかの魅力が突出していたため、彼女に次いで、一番オッサンくさい笠木誠がカール3として登場したとき、そのあまりの落差に椅子からずり落ちそうになったものだが、今回は皆少年の面影を残したツルリとした顔の若者ばかりで、全体のバランスとしては前回よりも優れている。カール1の柴田雄平は、あまりに背が高すぎて少々イメージと合わなかったが、他は皆好演。前回のカール1から、より出番の多いカール4に出世した粕谷吉洋と、前回に引き続きカール5を演じた石母田史朗は特に良かった。

ご贔屓の中田春介は前回どこに出ていたっけ?と思ったら、彼は前回は出ておらず、今回が初登板でロビンソン役を演じている。前回ロビンソン役だった斎藤歩が今回はドラマルシュに移行。この二人のコンビは、明らかに前回の高田恵篤/斎藤歩コンビよりも良かった。ワンパターンと言えばワンパターンなのだが、この手の愛嬌に溢れたダメ人間を演じたときの中田春介には、得も言われぬ味がある。斎藤歩は、何にもまして声が魅力的だ。

笠木誠は『審判』で主役を演じているせいもあってか、カール役をはずれ、主に「カフカのような男」を演じている。前回も演じた役だが、「『審判』に比べれば楽なものだ」という余裕のなせる業か、非常に良い味を出していた。この人、誰か他の役者によく似ていると気になっていたのだが、今突然嶋田久作であることに気がついた。

前回もジャコモ役で、石村みかと並んで素晴らしいコメディセンスを発揮していた井口千寿瑠は、今回も絶好調。彼女も石村とは一味違った少年ぽさに溢れていて、大好きな役者だ。しかしMODE以外の芝居に出演しているのを見たことがないんだよなあ…

山田美佳に関しては、事前に少なからぬ悪評を聞いていたのだが、僕の感想としては決して悪くない。前回裕木奈江が演じたテレーゼ役など、彼女のキャラクターに合った好演ではなかろうか。そう言えば彼女と裕木奈江には、若干ながら共通する匂いがある。テレーゼ役もさることながら、春に同じ役を演じている『変身』では、思いきり大袈裟な芝居がかった台詞回しで、大いに楽しんでいるようだった。
最も不安だったのは、あのか細い声量でシアタートラムでの芝居が務まるのかという点だったが、とりあえず普通の声量は出ていて、台詞が聞き取れないようなことはなかった。しかし彼女は、やはり発声の技術が根本的になっていない。腹から声が出ておらず、喉だけで声を出している。そのため表現のレンジが乏しく、声のニュアンスがどうしても一本調子になってしまう。音声としては伝わってくるものの、そこに込められた意味や感情が観客に伝わってこない。これは役者として最も基本的な素養なのだから、きちんとしたトレーニングを積んで欲しいものだ。最近の流れから見て、彼女が石村に代わってカール2を演じるのではないかと思っていたが、さすがにそれは無理であることを松本も理解していたのには、ホッとした。

というわけで、石村に代わってカール2を演じたともさと衣だ。彼女は2003年版にも出ているが、小さな役ばかりなので全く印象に残っていない。今回は全編で最も目立つ大役への抜擢だ。『審判』でも、原作を読んだとき「もし石村がMODEに残っていたら、この役をやっただろうな」と思ったレニ役を、彼女が演じている。つまり今回のカフカ交互上演では、彼女が石村の穴を埋める役回りを演じたわけだ。個性、キャリア、演技力から言って、まずは妥当なキャスティングだろう。少なくとも今の山田美佳にカール2やレニをやらせるのは無理だ。またも余談だが、2003年当時、彼女の芸名は小崎友里衣(こざきゆりえ)。実は今漢字を打ち込んでみて初めて、名前の「友里衣」という部分だけを生かして「ともさと衣」に変えたのだということを理解した。気づくのが遅すぎ?
最初に彼女がカール2として登場したときにはギョッとした。髪をショートにしてスーツに身を包んだ彼女が、石村みかに見えたからだ。確かに顔が小さく目が大きい造作は共通しているが、ヘアスタイルのせいか、そこまで似ているという印象はなかったので、これには本当に驚いた。ただしともさとの方が、石村よりもシャープでほっそりとした印象だ。そして『授業』の時にも書いたが、ともさとは舞台上では、とても長身に見える。実際の身長は163センチと特別高いわけではないし、石村もまったく同じ身長なのだが、石村の方は何故か舞台上では実際よりも小柄に見える。顔が小さく、体つきがほっそりしている点では二人とも同じなのに、何故このような見え方の違いが生じるのか、非常に不思議である。
そんなともさとの演じたカール2だが、基本的には石村カールのスタイルをそのまま踏襲している。誰もが絶賛したあの名演をご破算にして、新たなスタイルを打ち出すことは、さすがに難しかったのだろう。それはそれで正解だと思う。
そして彼女はたいへんな健闘を見せ、カール2という大役をこなしていた。石村の後任というプレッシャーを考えれば、よくぞ頑張ったと称えるべきだろう。
ただし石村にあって、ともさとに決定的に欠けているものが一つだけある。それはコメディセンスだ。録画した2003年版を見直しても、石村カールは何でもない一挙一投即にユーモアが溢れ、少年そのものの天真爛漫さで舞台を明るく照らし出している。それに比べると、ともさと衣は、様々な面で良い女優だがコメディセンスだけは明らかに欠けている。たとえばボランダー邸で白塗りの従者たちの間をカールがさ迷うシーンなど、石村が演じるとコメディになるのに、ともとさとが演じるとホラーになってしまう。『授業』の時にも感じたが、ともさとの演技は良くも悪くも非常に生真面目なものだ。もっとシリアスな作品ではそれが生きるはずだが、本作のカール2に関しては、石村の天真爛漫な明るさの方が似合っている。
ただ当然のことながら、ともさとには石村にない魅力もある。石村が他の誰よりも見事にカールの少年性を体現していたのに対し、ともさとのカールは「美少女が少年を演じている」という倒錯的な魅力に溢れている(年齢的には美少女でもなかろうが、舞台上ではそう見える)。クララを演じた大柄なハーフ美女 太田緑ロランスと取っ組み合いをするシーンなど、さながら宝塚の一場面のようで、2003年版の石村/占部房子コンビにはなかった、ドキッとするほどのエロティシズムが感じられた。石村のカールは少年らしい可愛さと躍動感に溢れていたが、ともさとのカールは少女漫画のキャラクターがそのまま抜け出してきたかのように、文句なく美しい。前から2列目でその姿を見ていて、「ともさと衣って、ここまで美人だっけ?」と思わず見とれてしまったほどだ。
しかし、そのどちらが『失踪者』という作品の文脈に合うかというと、これは明らかに石村カールの方だ。ともさとの演じた宝塚風美少年カールは、それ単独で見れば極めて魅力的だが、ヘタにその魅力に囚われると、観客の関心が『失踪者』本来の文脈とは少し別の方向に行ってしまう。ともさと衣の大健闘を認めながらも、やはり『失踪者』のカール役としては、石村みかに軍配を上げざるをえない。
とは言うものの、今さら失った子の数を数えても仕方ない。もしさらなる再演があるなら、ともさとに引き続きカール2を演じてもらい、石村カールとは違った新たなカール像を発展させてくれることを期待したいものだ。
なお、前回はカール2の英語のレッスンシーンで、石村がIt is no use crying over spilt milk.ということわざを「覆水お盆に返らず」と訳し、意味を問われて「腹水になって死んでしまった人は、お盆になっても帰ってこられないという意味です」と答えるのに爆笑した。しかし今回は、英語で何と言っていたのかよくわからなかったが、「三つ子の魂百まで」を「三つ子は百歳までしか生きられないという意味です」と答えるギャグ。う〜〜〜ん、やはり前回の方が強烈だったなあ。

またこの芝居の大きな魅力は、すでに述べた斎藤歩をはじめ、ともさと衣、中田春介、笠木誠など、ほとんどの役者が実に素敵な「声」の持ち主だったことで、しばしばうっとりと聞き惚れてしまった。


質、量、そしてリーズナブルなチケット代(『審判』とのセット券で6000円。1本なら3500円)、全てにおいて大満足。ただ一つの失敗は、『失踪者』ではなく、初演の『審判』のチケットを2回分買ってしまったこと。2回見るなら『失踪者』の方にすべきだった。

と言うわけで、早くも4回目の再演を希望する。


(2007年12月)

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