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11/11/2007

【演劇】劇団桟敷童子『博多湾岸台風小僧』2007.11.7&11.10

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劇団桟敷童子『博多湾岸台風小僧』
2007年11月7日(水)19:30〜 吉祥寺シアター
2007年11月10日(土)19:00〜 吉祥寺シアター


劇団桟敷童子、初の再演シリーズ。来年1月にかけて3本が上演されるが、その第1段となるのは、僕が初めて桟敷童子に出会った作品でもある『博多湾岸台風小僧』。2005年7月の初演時に2回見ているので、今度はさすがに1度でいいと思ったのだが、諸事情により再演も2回見ることになってしまった。通算4回の観賞。しかし4回目に至っても飽きる点など何一つ無く、後半は涙をこらえるのに苦労する。掛け値無しの名作だ。

吉祥寺シアターと桟敷童子の組み合わせには当初から違和感を覚えたが、階段から先には過去作品の幟などがずらりと並んでいて、あの小綺麗な空間をしっかりと桟敷童子色に染め上げている。場内に入ると、さらにたいへんなことになっていて、両脇が完全に藪で埋め尽くされている。吉祥寺シアターは舞台が無意味に広いため、何を見ても視覚的にスカスカな印象を覚え、それが芝居に対する求心力を弱めるのが常だった。あの広い空間をセットで埋め尽くし、観客が舞台上の世界だけに集中できるようにした劇団は、桟敷童子が初めてだ。さすがである。


初演のレビューは2度にわたって書いているので、内容について細かく書く気はない。脚本も演出も主要キャストもほとんど同じ。まさに劇場が変わっただけという感じで、初演との違いはごくわずかだ。そのごくわずかな違いについて記しておく。

まず、劇団員の数が増えたせいで、脱走した女工や長屋の住人など端役の数が全体に増えたようだ。これはスズナリよりも広い舞台を埋めるのに好都合だった。

主要な役者たちは、それぞれの役を自家薬籠中のものにした感じで、安定した演技を見せている。ただ、それが初演の時にあった切迫感をいくらか薄めているようにも思えた。あの真夏にギュウギュウ詰めのスズナリで見た時には、誰もがもっと命を削るような演技をしていたはずだ。これは再演ということもさることながら、やはりスズナリと吉祥寺シアターというハコの違い、そして7月と11月という時期的な違いもあるのだろう。
その中で特筆しておきたいのは、知恵坊を演じた外山博美だ。彼女の成長ぶりは素晴らしい。2006年2月の『泥花』で実質的な主役を演じたことが大きなステップとなったようで、一回りも二回りも存在感が増している。胸をはだけるシーンは、初演では何やら痛々しい感じが漂っていたが、今回は自信満々で一切の躊躇無し。知恵坊のキャラクターを考えれば、それでいいのである。ほんのわずかでも戸惑いや恥じらいが見えてしまったら、知恵坊ではない。
桟敷童子の芝居は、時々知恵遅れや気の触れたキャラクターが出てくるが、実のところ、これはあまり好きになれない部分である。そういうキャラを出すのはいいとしても、役者の演技がオーバーアクトになったり、狂っていることがストーリーテリングの免罪符になっている例が見受けられるからだ。その最悪の例が、今年の5月に上演された『軍鶏307』。一般的にはかなり評判が良かったようだが、鈴木めぐみの狂人演技はいささか目に余るものがあり、ストーリーテリングも本作とは比べものにならないほどご都合主義に満ちたものだった。これまでに見た桟敷童子作品中唯一レビューを書いていないのも、書こうという気が起きなかったからである。それを思うと、本作『博多湾岸台風小僧』における、水も漏らさぬ脚本の見事さ、そして外山博美の演技の絶妙なバランスが際だって見えてくる。

僕が見た日は、共に昼夜2回公演だったせいか、多くの役者たちに若干の疲れが見られた。体の動きはそうでもないのだが、台詞回しが甘くなっていて、何を言っているのかわかりにくいこともあった。本当に体力勝負の芝居なので、仕方のないことではあるのだが。

再演で一番残念だったのは、最後の大仕掛けだ。これは明らかにスズナリの時の方が凄かった。舞台が大きくなったため、動きが少しゆったりしたものになり、台風らしい荒々しさが薄れてしまっている。全編のクライマックスだけに、これは痛い。舞台奥での板垣桃子と池下重大の芝居も、客席との距離が遠くなったことで、少し切迫感が薄れた感がある。初演時の板垣の大芝居は、見る者にもっと強い高揚感を与えていたはずだ。ただし最後に幕が落ちたときの、あの目を刺すような赤。あれは舞台の大きさが迫力につながり、大仕掛けへの不満を補う結果になっていた。

全体的に言えば「初演時にあった切迫感や熱量は明らかに減少している。だがそれと引き替えに、演技やストーリーテリングは前よりも安定したものとなり、良くも悪くも一つの型を確立した感じがする。心情的には初演時の熱さが忘れられないが、芝居の完成度はむしろ高くなっており、何ら初演に劣るものではない」といったところか。ただし内容そのものとは別に、やはり桟敷童子の芝居には吉祥寺シアターよりもスズナリやベニサンピットの方がよく似合う。それは誰も否定できないところだろう。


それにしても本作の脚本には舌を巻く他ない。他の桟敷童子作品と比べても、この完成度は別格だ。見直すたびに、一見無駄に思えたシーンがちゃんと後々の伏線になっていることがわかってくる。彼岸花や台風小僧に関する台詞の反復が大きな感動のうねりを作り出していく構成は、特に見事だ。

今回特に深い思い入れを感じたキャラクターは、川田諒一が演じた土井垣だ。彼は墓陰長屋を抜け出し、博多で一旗揚げようとするが、結果的には戻し屋のボスとなって、かつての恩人たちと対立することになる。その中で「ありえたかもしれないもう一人の自分」を雑魚部(池下重大)に見いだし、「早く長屋から抜け出せ。お前はここにいるような人間じゃない」と説き続ける。理想と現実、体制と反体制、共感と反発、信念と妥協の間で揺れ動く、リアリティ溢れるキャラクター。もし彼がいなかったら「長屋住民+脱走女工 v.s.戻し屋+官憲」という比較的単純な善悪の図式が成立する。しかしそこに土井垣が加わることで、ドラマとしての奥行きが桁違いに深くなっている。その善とも悪とも割り切れないキャラクターは『海猫街』で南谷朝子が演じた玄海憂鯨社の社長へと受け継がれているが、やはり本作の土井垣の方が、対立する者の中間で揺れ動く存在して、ストレートに胸を打つ。

東憲司の演出は、映画的な技法を演劇にフルに取り入れていて非常に面白い。見ていると、これを映画にした場合のフレーミングやカット割り、カメラの移動スピードまでが難なく目に浮かんでくる。特に、照明が映画におけるカット割りの役割を果たしているのが見所だ。回想シーンの上手さにも目を引かれるが、そのような時間の移動と空間の移動を最も見事に表現してのけたのが、来年再演される『泥花』だ。本作の空間の使い方で言えば、舞台の手前部分と長屋が、物語上では少し離れた位置にあることをごく自然に分からせ、しかもあるシーンから、その約束事を切り捨て、手前と奥が一つの場所になっていく流れに感心した。

桟敷童子は、唐組や梁山泊の出身者を中心に結成され、上演形式や美術など表面的なイメージもよく似ている事から、未だに「アングラ」という言葉で表現される。しかしその後、唐十郎の戯曲に触れ、現代の演劇史なども学んでいく内に、桟敷童子はむしろアングラとは真逆に位置する存在であることがはっきりとわかってきた。唐十郎にせよ寺山修司にせよ、その大きなアイデンティティは「物語演劇」に対する批評的姿勢であり、それに続く物語への批判と解体だ。ところが桟敷童子は、それとは正反対に「物語演劇」の究極を目指そうとしている。もちろん安易に物語に頼っているわけではない。物語を批評/分析するところまでは同じだが、多くのアングラが、そこから物語の否定/解体に向かうのに対し、桟敷童子は物語が持つ強靱な力を選び出し、それを再構成する方に向かっているのだ。『博多湾岸台風小僧』は物語演劇の王道に位置すると言っていい作品であり、古典的な物語が持つパワーを最大限に活性化する試みに満ちている。表面的なイメージがどれだけ似ていても、その方向性は、いわゆるアングラとはまったく違うものだろう。


吉祥寺シアターにおける再演第2弾は『しゃんしゃん影法師』。これは『博多湾岸台風小僧』の前の作品で、今回が初見。本作を超えることは期待できないが、桟敷童子が2004年にどんな作品をやっていたのかがわかるのは、とても楽しみだ。


(2007年11月)

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