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06/06/2007

【映画】『実録阿部定』初めて共感できた阿部定の愛

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言わずと知れた阿部定事件を描いた、1975年の日活ロマンポルノ作品。監督は田中登、脚本はいどあきお、主演は宮下順子と江角英明。

阿部定事件を描いた映画といえば、何と言っても『愛のコリーダ』が有名だ。僕はこれを最初の日本公開版と、修正を最小限に抑えて2000年に再公開されたヴーァジョンの二つとも見ているが、どちらもダラダラと長いだけで、あまり面白い映画だとは思えなかった。ただし吉蔵を演じた藤竜也は、男も惚れる色っぽさで、一世一代の名演と言っていいだろう。
大林宣彦監督の『SADA』という映画もあったが、これは今回調べるまで、存在すら忘れていた駄作。
あとは石井輝男の『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』というのもある。最大の見物は、何と阿部定本人が登場すること(!)。作品的には、石井輝男の一連のエログロものとして普通に面白いが、特筆すべき傑作というわけではない。橋の上で行われる阿部定のインタビューの合間に、明らかに別撮りで「ふんふん」と頷く吉田輝雄の顔がインサートされるいい加減さは、石井輝男らしくて笑えるが。

どうやら阿部定事件を描いた映画は、この70年間で、上記の3本に今回の『実録阿部定』を加えた4本だけらしい。つまり僕は今回で阿部定映画というものを全作品制覇したことになるわけだ(笑)。阿部定に特別な興味があったわけではないので、我ながら意外な事実だ。


前置きが長くなった。今渋谷のシネマヴェーラでやっている日活ロマンポルノの特集で見た『実録阿部定』である。

映画は、二人の出会いなどはすっ飛ばして、定(宮下順子)と吉蔵(江角英明)が、旅館の一室に籠もり、愛欲に耽る日々を過ごしているところから始まる。
最初の内はまったく乗れなかった。何しろやっていることは『愛のコリーダ』とほとんど同じなのだ。しかも、日活ロマンポルノとしては大作の部類なのだろうが、それでもどことなくチープな画面は、『愛のコリーダ』に比べると、いかにもB級くさい。その前に見た藤田敏八の『エロスは甘き香り』という作品が、学生映画に毛が生えたような代物でガッカリしただけに「ああ、二本連続で失敗した。この特集で何本か見たいと思っていたが、やはりロマンポルノなんかどうでもいい。近くのシネコンでやっている普通の映画を見ていた方が遙かにマシだ」と頭を抱え、見終わったら何を食おうかなどと考えていた。

ところが中盤、定が吉蔵の首を絞めるあたりから、それまでにない緊張感が画面にみなぎってくる。その後、首にひどい傷を負った吉蔵に粥を食べさせるシーンにも、それまでにない強い情念が感じられる。
ついに定は吉蔵を殺害する。それは映画が始まってからおよそ50分ほどのところ。つまり上映時間76分のうち50分の時点で、吉蔵は殺されてしまうのだ。これはかなり意外だった。『愛のコリーダ』は、ほぼ全編が定と吉蔵のシーンで、殺害後の定については、サラリと描かれていただけだったと記憶している。ところがこの『実録阿部定』は、殺害後の定を描くシーンが全体の1/3を占めているのだ。

そしてこの映画が、紛う方なき傑作としての様相を露わにするのは、そのラスト1/3においてなのである。

僕が『愛のコリーダ』を見て退屈するのは、早い話が、二人の行動にあまり共感する部分がないからである。エロスと死が結びつく物語は昔から珍しくないが、その手の映画なら、一連のヴィスコンティ作品や、リリアーナ・カヴァーニの『愛の嵐』など、もっとわかりやすく美的に優れた映画が他にある。『愛のコリーダ』は、そのリアルな描写が、単なるえげつなさや、悪い意味での滑稽さに結びついている部分が多く、たとえば定の性器に卵を出し入れするシーンなど、見ていて馬鹿馬鹿しい気分になってしまう。そういう点では、この『実録阿部定』も大差はない。「本当に好きあった者同士は、お刺身をあそこの汁につけて食べるのよ」…って、アホか! そんなもの美味いわけないだろう! さすがに田中登もそう思ったのか、二人のバックに呆れ果てる芸者を配して、ここを笑わせるシーンに仕上げているのは、さすがだ。

しかし定が吉蔵を殺すところから、この映画は「好きな男を何が何でも自分のものにしたかった女の物語」というシンプルな物語に還元されていく。
定が吉蔵を殺した後、自分の思いを一つ一つ形にしていくシーンが、異様な丹念さで描かれていく。性器を切り取るシーンもじっくり描かれていて痛そうだったが、それ以上に息を呑んだのは、吉蔵の腕に包丁で「定・吉 二人キリ」という血文字を刻みつけていくシーンだ。その後、切り取った性器を大切に紙で包み、さらに吉蔵の肌着を身につけた上から着物を羽織るシーンで、定があんなことをやった気持ち、それほどまでに吉蔵を自分のものにしたかったのだという思いが、強烈に伝わってくる。このあたりで流れる歌の歌詞にあるとおり、彼女は「誰もがすることをした」と同時に「誰もしないことをした」。しかし「誰もがすること」の延長線上に「誰もしないこと」があったのだということを、僕はここで初めて実感として理解できたのだ。

その後に描かれる定の逃避行、と言うより、吉蔵との道行きに至っては、前半で退屈していた自分を叱咤したくなるほど素晴らしいシーンの連続だ。吉蔵の肌着を身にまとい、性器を腰巻きに挟んだまま、名所を回り、神社でお祈りをする定。その姿には、この世で最も愛する男を、ようやく自分のものにしたという安らぎと幸福感が溢れている。それが長く続くものではないとわかっていても、その短い時間が彼女にとって無上の幸福であることが痛いほど伝わってくる。

もちろん、そんな定の行動を単純に肯定できるわけではない。したいとも思わないし、されたいとも思わない(笑)。その異常さを、過剰な依存心や独占欲、フェチズムなどの用語で、心理的な病理として分析することも容易だろう。しかしすでに述べたように、彼女の行動は、あらゆる人間が心に抱く愛情や嫉妬心が極限にまで高じたものだ。結果としての行動は異常でも、その動機には普遍的なものがある。この映画は、そんな「異常」の中にある「普遍」を的確につかみ取ることで、単なる猟奇殺人ものを超えた、愛の寓話になりえているのだ。
宣伝文句や批評などを読むと、『愛のコリーダ』が描こうとしていたもの(描いたもの)も、それとほぼ同じものだったようだ。しかしそれは僕の心には伝わってこなかった。そのような感動は、この『実録阿部定』において初めて得ることが出来たものだ。

最大の成功要因は、いどあきおの脚本や田中登の演出もさることながら、何と言っても定を演じた宮下順子だ。名前だけはよく聞いていたが、ロマンポルノはせいぜい10本くらいしか見ていないため、不覚にもここまで素晴らしい女優だとは知らなかった。
考えてみると、その10本ほどの中ではトップに立つ名作中の名作『赫い髪の女』も彼女の出演作品だった。ただしこの作品は、神代辰巳の演出、荒井晴彦の脚本、前田米三の撮影、憂歌団の主題歌、そして石橋蓮司をはじめとする共演者など何もかもが素晴らしく、トータルワークとしての名作という印象が強い。宮下順子の演技も、その中に収まっているため、あまり突出した印象はなかった。
しかしこの作品は、まさに宮下順子による宮下順子のための映画だ。特に吉蔵を殺した後の定を描いた25分間は、演出や脚本や撮影がどんなに良くても、定を演じる女優がダメなら全てダメになる。その大役を、宮下順子は完璧なまでに演じきっていた。たとえば宿にやってきた刑事に対して「私が阿部定です」と言ったときの、彼女の幸福感に輝いた顔…その表情の中に、この映画が描こうとした全てが集約されている。
これだけ映画を見ていながら、今頃になって「宮下順子という女優は素晴らしい」などと騒ぎ出したら笑われるかもしれないが、Better late than neverだ。僕は、宮下順子のファンであることを、ここに宣言しよう。


なお、この文章を書くため、念のため阿部定事件について調べたところ、以下のサイトにわかりやすくまとまっていたので、紹介しておく。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/abesada.htm

映画との比較はもちろん、独立した記事として読んでも面白い。中でも、映画で描かれなかった「その後の阿部定」についての記述は、非常に興味深い。「映画にも登場したマッサージ師はマスコミからの謝礼金でマイホームを新築した」「刑務所に入っている定へ400以上の結婚申し込みがあった」「出所後に名前を変えて結婚し、平和に暮らしていたのだが、マスコミの訪問で、夫は初めて自分の妻があの阿部定であることを知り、結婚生活は崩壊」「離婚されてからは、事件を描いた芝居で自らヒロインを演じるなど、自分の知名度を生かして生きていった」などなど。「その後の阿部定」だけで一本の映画が出来そうなほど、波瀾万丈な人生だったようだ。


ちなみにこのロマンポルノ特集、さすがに場所が渋谷のシネマヴェーラだけあって、観客の20%近くは女性である。しかも一人で来ている人がけっこう多い。「興味はあるけど、女一人ではさすがにちょっと…」と心配する必要はないので、面白そうな作品があれば、ぜひ足を運んでみてください(もちろん男性も)。今回上映される作品は一本も見ていないので、正確なお勧めは出来ないが、とりあえず神代辰巳や田中登の監督作品は当たりの可能性が高いはずだ。
http://www.cinemavera.com/


(2007年6月)

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