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04/17/2007

【演劇】MODE『変身』2007.3.10

Henshin


一か月以上前に見た作品だが、途中まで書きかけていたので、やはり完成させることにした。最近きちんとしたレビューをまるで書かなくなっていたので、これを機に復帰することにしよう。


MODE『変身』
2007年3月10日(土) 15:00〜 ザ・スズナリ


松本修の主催するMODEが『AMERIKA』『城』に続いて上演したカフカ作品第三弾。秋に『審判』が上演されれば、短編を除くカフカ作品は全て舞台化したことになる(実際には『変身』も短編の部類だが)。

前2作は、ストーリーこそ原作に忠実だが、主人公が複数の役者によって演じられたり、井手茂太振り付けのダンスが入ったり、カフカの言葉がスクリーンに文字で映し出されたりと、かなり実験的な手法が用いられていた。それに比べると、この『変身』は驚くほどオーソドックスな作りだ。ストーリーはほぼ原作通り。オリジナルの台詞は少なからず入っているものの、それも作品の輪郭内におとなしく収まっている。まさかここまで原作に忠実な、普通の芝居になるとは思っていなかったので、かなり意外だった。

結論から言えば、これはこれで非常に面白い作品だった。実験的な刺激と祝祭感に満ちた大作『AMERIKA』『城』には及ばないものの、わかりやすく、誰が見ても普通に楽しめるという意味では、これが一番かもしれない。前2作は上演時間3時間半で、特に『城』は少々中だるみするところもあったが、こちらは2時間ほどの長さにまとまっているので、だれる部分もなく、とても見やすい。

『変身』は、以前ワレーリー・フォーキン監督/エフゲニー・ミノーロフ主演のロシア映画を見たことがある。舞台版のスタッフ/キャストが、舞台劇をそのまま映画にしたような作品だ。本作と同様グレゴール役の俳優が生身のまま「虫」を演じることを除けば、原作に極めて忠実な映画化だが、それ以上のプラスアルファが何も感じられない退屈な作品だった。その映画と比較しても、遙かに面白い。このMODE版には、フォーキン版と違って「何故今『変身』なのか?」という問いに対する明確な答えが感じられたからだ。
この舞台を見て、多くの人はグレゴール・ザムザの姿に、引き籠もりや認知症患者の姿を投影することだろう。そのグレゴールの扱いに窮し、家族の性格や関係が次第に変化していく様は、観客が明日にも直面するかもしれない出来事として、切実なリアリティを帯びている。100年近く前に書かれた不条理小説の中から、現代の日本社会に通じる家族のドラマが浮き彫りにされていく様は圧巻だ。
抽象的なカフカの原作に比べると、日本人の肉体と言葉を通じて表現された、この舞台劇は、ずっと具象的でわかりやすい。その分、原作が持つ多様性を狭めていると言えなくもないが、不条理な物語に潜む現代性や普遍性を浮き彫りにしたプラス面の方を、より高く評価したい。

美術セットは、手前がグレゴールの部屋で、真ん中にドアがあり、その奥が居間になっている。普通なら二つの部屋を横に並べそうなものだが、それを縦の構図にすることで、グレゴールの疎外された状況や、家族の心理的変化が、より自然に伝わってくる。中央のドアが、照明の当て方によって、何もないかのように向こうが透けて見えたり、重々しく閉ざされた木のドアに見えたりする様は、極めて秀逸だ。

グレゴールを演じる中田春介が好演。僕はこの役者が大好きなのだが、はっきり言えば不器用な人で、はまる役がある程度限られている。たとえば同じカフカでも、『城』のイェレミアス役は、彼の個性がうまく生かされていなかった。『秘密の花園』でも、一体どうしてしまったのだろうと思うほど覇気が無かった。しかし『唐版 俳優修行』は良かったし、『ゼロの神話』のように情けない男の役をやらせたら天下一品だ。『冬のエチュード』では、コメディ演技で意外な魅力を見せてくれた。
そしてこの作品では、精神的な問題を抱えた引き籠もりのごときグレゴールを、情けなさと男の色気を併せ持った独自の個性で演じきっている。エフゲニー・ミノーロフのように、自分の肉体一つで巨大な毒虫を表現してしまう術は持ち合わせていないが、作品のテーマを考えれば、それはほとんど問題にならない。毒虫になってしまったグレゴールが持つ疎外感や挫折感、そして家族がどんどん自分を見放していくことへの絶望感…そんなマイナスベクトルの感情表現は、エフゲニー・ミノーロフ以上のリアリティを持っていた。これまでに見た中では、中田のベスト演技だ。


ともあれMODEとは思えぬほどウェルメイドな芝居だった。前2作とは正反対の作風で成功を収めたことで、秋に上演される『審判』にも期待が高まるというものだ。


ただ、そのような出来の良さを認めた上で、最後に一つ、個人的に引っかかった要素について詳述したい。

妹のグレーテを演じた山田美佳についてだ。

原作では、あまりそのような印象は抱かなかったのだが、少なくともこの芝居に関しては、後半の実質的な主役は、グレゴールではなくグレーテである。最初の内グレーテは、兄の変身に戸惑いながらも優しい心遣いを見せているのだが、希望が見えない生活に疲れ、次第にグレゴールを邪険に扱うようになる。ついには、巨大な虫が兄であることを誰よりもはっきりと否定し、積極的に虫を排除しようとする。肉体的に変身したのはグレゴールだが、精神的に最も大きな変身を遂げたのはグレーテなのだ。間借人たちの前に姿を現したグレゴールに対して、グレーテが堪忍袋の尾を切らせ、虫の排除を声高に叫ぶシーンは、全編で最大のクライマックスと言っていいだろう。

それを演じる山田美佳だが、1月にシアタートラムで行われた『審判』と『失踪者』の公開稽古で、彼女の声量が突出して小さく、演技のスケールも小ぶりなのが、非常に気になった。『唐版 風の又三郎』『冬のエチュード』『唐版 俳優修業』『秘密の花園』と、これまでに彼女の芝居を4本見ているが、シアタープラッツ/中野光座/笹塚ファクトリーと、どれも100人以下の小さな会場ばかり。そういう小屋では通用しても、シアタートラム程度の大きさになったら、とてもとても…という不安を抱かずにいられなかった。そのため、今回は特に彼女の演技に注目していたのだ。

その不安は杞憂に終わった。少なくともスズナリ程度の規模なら十分に通用する演技と声量で、山田美佳はグレーテの変貌をそつなく演じきっていた。

しかし、どうもそれを素直に受け止められない。何かが引っかかる。

確かに山田の演技は及第点に達していた。だが2年前なら彼女の代わりにグレーテを演じていたであろう人、すなわち石村みか(ex.石村実伽)のことを脳裏に浮かべると、「石村が演じていたら、絶対こんなものではなかったはずなのに…」という思いが先立ってしまう。演技のスケール、とりわけ感情表現の振り幅と濃密さにおいて、まだまだ山田は石村に遠く及ばない。この芝居が「良くできているが、心を深く揺さぶるには、ほんの少し何かが欠けている作品」にとどまった最大の理由は、山田のスケールの小さな演技が、後半のドラマを盛り上げきれなかった点にある。

もちろん山田には山田の個性があり、石村には真似の出来ない魅力も持っている。しかしこの作品を見てはっきりわかったのだが、山田は「数奇な運命に翻弄される受動型のヒロインを演じると魅力を発揮し、能動型のヒロインを演じると生彩を欠く」という傾向があるようだ。彼女の魅力が圧倒的に花開いていた『唐版 風の又三郎』は、その典型だ。『唐版 俳優修業』も同様。ところが同じ唐十郎劇でも、人に翻弄される側ではなく、人を翻弄する側に回った『秘密の花園』は、同じ役者とは思えぬほど酷い出来だった。そのような傾向は、『唐版 俳優修業』で書いたとおり、彼女の演技が、自分の内面から何かを生み出すよりも、周りの役者の「気」を操るようなスタイルであることと無関係ではないだろう。

この作品のグレーテは、ストーリーだけ見れば、兄の変身に翻弄される受動的な役柄と言えなくもないが、前半から後半にかけての変貌は、明らかに彼女の内面から生み出される能動的なものだ。それは『唐版 風の又三郎』のエリカや『唐版 俳優修業』のサクランボポリスの、器のような空っぽさとは、明らかに異質なものである。
そういう意味では、本来不得意な役柄をそつなく演じきった彼女は、演技者としてかなりの成長を見せていると思う。ただ、それと引き替えに『唐版 風の又三郎』で見せたダイヤの原石のような魅力が薄れ、普通の女優として、こじんまりまとまってしまった感は否めない。

かつてのMODEにおいて、「まず理屈ありき」な傾向が強い松本修の演出を、その肉体表現によって「演劇」へと昇華していたのは、間違いなく石村みかだった。その石村がMODEと袂を分かった今、以前なら彼女が演じていたはずの役は山田に回ることになるだろう。しかし山田が石村と同等以上の魅力を発揮出来る作品や役柄は、ごく限られているに違いない。実質的なキャリアはまだ2年にも満たないので、今後の伸びしろはかなりあるだろうが、それでも楽観的な思いは抱けない。『AMERIKA』改め『失踪者』のカール・ロスマンは、数奇な運命に翻弄される主人公であり、その意味では山田に合った役だろう。だが、かつてカールを演じた石村の奇跡的名演を思うと、山田があれ以上に魅力的なカールを演じられる可能性は、決して大きくはあるまい。

部外者が何をどう言っても仕方がないが、やはり石村みかを失ったことは、MODEにとって取り返しのつかない損失だったようだ。


繰り返すが、作品の出来は非常に良い。

それだけに、「感心」を「感動」に変え、「知性」だけでなく「感情」を揺さぶり、作品をさらに特別な地点へ押し上げる役割を担っていた、石村みかの不在を強く意識してしまう…個人的には、そんな作品だった。


(2007年4月)

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