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12/10/2006

【演劇】劇団桟敷童子『海猫街』2006.10.27&11.11

Umi400


見てからすでに一か月。書きかけのまま放置されていたのだが、これまでに見た桟敷童子の作品は全部レビューしているので、この作品だけ残すわけにもいくまいということで、ようやく完成させた。


劇団桟敷童子『海猫街』
2006年10月27日(金) 19:30〜 ベニサンピット
2006年11月11日(土) 14:00〜 ベニサンピット


ご贔屓の劇団桟敷童子。5月に番外公演・若手公演があったが、本公演としては2月の『泥花』以来だ。場所はベニサンピット。毎度の事ながら、夜に両国駅から来ると、ちゃんとたどり着けるか不安になる。関係ないが、つい先日、二兎社のオフィス所在地がベニサンピットだということに気がついた。あの元工場のどこら辺にオフィスがあるのだろう? 親会社の紅三と二兎社は何か関係があるのだろうか? 調べたがわからなかった。

ロビーでの受付や誘導は、相変わらず役者たちが衣装のままやっている。美術セットも自分たちで作っているわけだし、よくまあ体がもつものだと毎度の事ながら感心。この劇団でやっていくには、演技力以前の大前提として、並外れた体力がなくては絶対に無理だろう。ロビーのあちこちに、これまでの公演で使った幟やセットの一部が飾られていて、見せ物小屋的な雰囲気を醸し出している。

場内に入ると、さすがに息を呑む。いつも通りと言えばいつも通りに手の込んだ美術セットなのだが、スケールの大きさはこれまで以上だ。ベニサンピットはスズナリなどと比べて天井が高い。それをフルに使っているため、一番上と下の落差はかなりものになる。


時代は日露戦争の後。舞台は北九州あたりにある断崖絶壁に囲まれた「海猫街」。海賊の末裔と、かつて奴隷として連れてこられた者の子孫が暮らす貧しい村だ。世の中は日露戦争の勝利に沸き返っているが、海猫街の人々は借金の形に船まで取られ、このままではじり貧状態。
そんな時、日本政府の命を受けた玄海憂鯨社の人間が、軍艦基地への輸送中継の港を捜すため視察にやって来る。中継用の港に選ばれれば、海猫街は救われる。村人はこの来訪を歓迎し、海底の調査に進んで協力するが、玄海憂鯨社の真の目的は、海底に眠る石炭にあった。石炭採掘場の建設が始まれば、海は埋め立てられ、村人は強制的に立ち退きを迫られる。これを知った村人たちは反対運動に立ち上がり、玄海憂鯨社と真っ向から対決することになるが…


全体的な雰囲気やストーリーは『博多湾岸台風小僧』に非常によく似ている。その意味では新鮮さに欠けるが、決してマンネリに陥っているわけではない。何度でも手を換え品を換え、語らずにはいられないテーマ/物語があるということなのだろう。

また善と悪が比較的明白に分かれていた『博多湾岸台風小僧』に比べると、本作における海猫街の住人と玄海憂鯨社には、どちらにも譲れぬ理があり、善悪の境目は遙かに曖昧なものになっている。そこでぶつかり合うものは正義と悪、権力と反権力といったものではなく、人間の業と業、信念と信念だ。その摩擦が凄まじい熱気を生み出している。前作『泥花』のような少しほんわかした路線も嫌いではないが、本作を見ると、自分が桟敷童子に求めているのは、まさしくこのベタな熱さなのだということがよくわかる。

序盤は『博多湾岸台風小僧』同様、今村昌平や新藤兼人の映画に極めたよく似た世界が展開する。開巻間もなく登場する二人の女優のヌードや野外でのセックスシーンも今村映画そのもの。今回はまた原点回帰したのかと納得する。
ところが中盤から、この作品は今村昌平の世界を離れ、黒澤明の世界へと接近していく。『博多湾岸台風小僧』と『泥花』の間に位置する『風来坊雷神屋敷』にも黒澤的な要素は濃厚だったので、それ自体は驚くに値しない。だが『風来坊雷神屋敷』が『七人の侍』『用心棒』『椿三十郎』『隠し砦の三悪人』といった黒澤全盛期の大娯楽時代劇を下敷きとしていたのに対して、この『海猫街』には『乱』『影武者』といった晩年の作品群の影がゆらめいている。

それが最もはっきりと現れているのは、クライマックスの嵐と、それに続くエピローグだ。

クライマックスに嵐がやって来るのは『博多湾岸台風小僧』と同じであり、巨大なセットが動きだす大仕掛けも、基本的にそれをスケールアップしたものだ。形だけ見ればそっくりだが、そこで吹き荒れる嵐の性格が違う。『博多湾岸台風小僧』において吹き荒れる嵐は、いわば人間の荒れ狂う感情が具現化したものだった。ところがこの作品の嵐は、あくまでも人智を超えたもの。愚かな人間たちの営みを全て飲みつくすべく荒れ狂うのだ。人間社会の愛も憎しみも一切関係ない。犯してはならない海の掟を破った海猫街の者たちを罰し、海を埋め立てようとする玄海憂鯨社の思い上がりを嘲笑うため、絶対者のごとき存在として嵐は吹き荒れる。手塚治虫が自作について語った「僕の作品は勧善懲悪なんかじゃないよ。だって善も悪も死んでしまうんだから」という言葉が頭をよぎる。彼女たちが信じた守り神とは、恵みの神などではなく、呪いのことだったのだろうか。

そしてエピローグ。全てを失い、廃墟と化した海猫街で、イサナ(板垣桃子)と茜(もりちえ)だけが、決して帰らぬ龍次(池下重大)を、その後数十年間待ち続け、老いて死んでいく姿が映画的な手法で描かれる(この老いたイサナは開演前からステージの隅にいて、作品の円環構造を作り出している)。
全てが破壊された後、数十年にわたって続く、静かで哀切な時間…本編部分の熱さと見事な対照を見せる、この虚無観に満ちたエピローグは、今までの作品になかったものであり、悲劇でありながら圧倒的な高揚感の中で終わった『博多湾岸台風小僧』にない個性を本作にもたらしている。

ただし目立つ弱点も幾つか見受けられる。最大の問題は、龍次を取り巻く女たちの構図だ。特に龍次とイサナの結びつきは明らかに弱い。そのためクライマックスで彼ら二人だけが荒れ狂う嵐に立ち向かうところや、帰らぬ龍次をイサナが待ち続けるエピローグは、ドラマ的な見地から言うと必然性に欠ける。「龍次が思いを寄せる人」という茜の特質をイサナに持たせた方が、より素直だったのではないだろうか。
それと連動するが、劇団が大所帯になって出演者を増やさざるをえなくなったためか、いなくても困らないキャラが増えてしまい、ドラマの集中力を弱めているように感じられた。これは小さな劇団がある程度の規模になってくると、どうしても直面する問題のようだ。いかに優れた作家でも、そう毎回毎回全ての役者にスポットを当てながら優れた作品は書けるものではないだろう。かと言って作品の中身だけを重視していくと、出演できない役者が増えるし、若い役者が育たない…桟敷童子は、今そんな難しい曲がり角に差し掛かっているのかもしれない。

そのような弱点はあるが、本作に流れる「ベタの王道、ここに極まれり」な熱さは、それを補って余りあるものだ。『博多湾岸台風小僧』を超えたとは言えないまでも、肉薄する出来。ファンとして、「劇団桟敷童子、ここにあり!」と高らかに叫びたくなる。


役者で最も良いのは、言うまでもなく板垣桃子だ。毎回毎回、よくもこれだけ見事な演技を見せられるものだと感心する。しかも登場してしばらくの間、それが板垣桃子だと気づかないのも相変わらず。前にも書いたが、僕は彼女が真正面に座ったとしても、その人が板垣桃子だとは気づかないことだろう。どうして毎回毎回、ここまでルックスや印象が違うんだ。少なくとも僕が普段見ている芝居の中で、こんな女優は他に一人もいない。意外に太い地声と、『風来坊雷神屋敷』の阿呆丸役でも使っていた裏声を使い分けられるのも魅力の一つだ。それまでの裏声を太い声でに切り替えて「大なり!」と祈り海に潜るところ、サメ革の衣を身にまとうところ…要所要所でピタリと決まる見せ場の数々。板垣桃子という女優には、見る者の心に強い感情を喚起する何かが確実に宿っている。

そして男優の看板である池下重大…この人も板垣同様、いや板垣以上に毎回ルックスや印象が変わるため、出てきてしばらくは、それが池下重大であることに気づかない。考えてみると桟敷童子は、圧倒的に演技がうまいのに、どんな容貌をしているのかもまともにわからない、不思議な俳優を二枚看板にしているわけだ。

なおこの二人はクライマックスの大仕掛けで、三つに分かれてシーソーのように揺れ動く舞台の上で動き回る。『博多湾岸台風小僧』も同じような仕掛けだったが、あそこまで舞台上を動き回りはしなかった。あれだけ巨大なセットだ。うっかり転んでセットの間に体が挟まったら手足など簡単にちぎれるだろうし、ヘタをすれば死ぬかもしれない。見ている方が心臓に悪い。上手の高いセットを使った芝居も同様だ。あんな高いところから落ちたら、とてもタダでは済むまい。桟敷童子の公演は毎回体を張った危険な芝居が出てくるが、今回はその中でも頭抜けている。ある程度の傷は全員が負っているに違いないが、よく最後まで死傷者が出なかったものだ。

脇役で最も良かったのは客演の南谷朝子。「正しいことが人を救うとは限らない」という台詞どおり、人の思いを裏切りながらも、それが最終的に人を救うことにつながるのだという信念を貫く彼女は、この劇における最大の巨人だ。
彼女と奇妙な友情を結ぶ鈴木めぐみも非常にいい。脇役で最も光るのは、この婆さん役二人組だ。

他には、最近あまり目立たなかった川田涼一が、とぼけた味わいで名助演。板垣桃子とのコンビが板についた(?)もりちえも好調。客演のヨネクラカオリは『泥花』の浮浪児役とあまりにも違うのでビックリ。ちゃんと女の格好をすると、なかなか美人なのね。逆に『泥花』で実質的な主役を演じた外山博美や、桑原勝行などは、今回はあまり目立たなかった。


桟敷童子の次回作は、2007年2月に番外公演第4弾。5月に第16回公演『軍鶏307』。その後秋頃に、『しゃんしゃん影法師』『博多湾岸台風小僧』『泥花』の3作を再演するそうだ。新作もさることながら、劇団初の連続再演が楽しみだ。『しゃんしゃん影法師』以外の2作は見ているし、どうせなら特に良い評判を聞く『可愛い千里眼』を見たかったのだが、まあ贅沢は言うまい。もしこの文章を読んでいる人で『博多湾岸台風小僧』を見ていない人がいたら、何も言わず必見だ。桟敷童子の最高の魅力がつまった大傑作。何としてでも見て欲しい。


(2006年12月)

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