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09/06/2006

【演劇】TPS『北緯43°のワーニャ』2006.9.2

Vanya_01


TPS『北緯43°のワーニャ』
2006年9月2日(土) 19:00〜 こまばアゴラ劇場


北海道演劇財団が主催する劇団TPS(シアタープロジェクト札幌)が、チェーホフの戯曲『ワーニャおじさん』をオーソドックスなスタイルで上演した作品。翻訳は定番の神西清。演出・音楽はMODEの俳優としてお馴染みの斎藤歩。


各幕の初めに、役者たちが演奏する音楽を除けば、奇をてらった演出は何一つない。セットも、椅子にテーブル、サモワールなど、ごくわずか。それでも全4幕、約2時間半にわたって退屈しないのは、チェーホフの『ワーニャおじさん』がいかに優れた戯曲であるかの証明だろう。これまでに2回、1998年のシアターコクーンと、2002年の新国立劇場で見たことがあるが、どちらも比較的オーソドックスな演出ながら、よく出来た感銘深い作品に仕上がっていた。チェーホフの四大戯曲の中でも『ワーニャおじさん』は最も改変がしにくく(一番改変しやすいのは『三人姉妹』?)、同時にオーソドックスな演出でも十分な感動を与えてくれる作品と言っていいだろう。


ではこの『北緯43°のワーニャ』が、感動的な芝居であったかというと、答えは否! オーソドックスなるが故に、基本的な部分での荒が目立ちまくった作品だった。


まず役者がほぼ壊滅状態。見事なまでに、全員が「らしくない」。その「らしくなさ」を意図的に追究していけば面白い作品になったかもしれないが、チェーホフを解体するわけでも再構築するわけでもなく、らしくない役者が普通にチェーホフ劇を演じているだけだから始末が悪い。

主要人物だけ具体的に言うと、

ワーニャ(永利 靖)
どうがんばっても「老けて見える若者」という感じ。実年齢は40歳だそうだが、47歳の男ならではの苦しみや心の痛みが、まるで感じられない。ルックスが似ている分、新国立劇場の角野卓造とつい比較してしまうのは残酷か。

アーストロフ(斎藤 歩)
元気すぎる。アーストロフの抱えている虚無感がまったく感じられない。医者にも見えなければ、森を育てる男にもまったく見えない。

セレブリャーコフ(坂口芳貞)
この人は何をやっても坂口芳貞だから…と笑って許せる部分もあるが、それにしても下品すぎる。これではワーニャたちが、彼を立派な人物だと思って人生を捧げてきた設定が嘘くさく感じられてしまう。セレブリャーコフは、表面的にはもう少し知性や優雅さを感じさせるキャラクターではなかろうか。

エレーナ(山崎 美貴)
地味すぎる。あれではアースとロフやワーニャが熱を上げる設定に説得力がない。そして、申し訳ないが老けすぎている。エレーナだけは人物表で「27歳」の指定があるが、とても27歳に見えない。それはまだしもアーストロフより年上に見えてしまうのは、さすがにいかがなものか。そしてアーストロフから医学が感じられないのと同様、この人からは「音楽」が感じられない。「久しぶりにピアノを弾きたくなったわ」という台詞が、いかにも空々しい。

ソーニャ(宮田 圭子)
この人は可もなく不可もなく程度だが、自分の不器量さを嘆くところなど妙に力が入りすぎ。本当にそう思っているのか?と疑問になってしまう。


そのような雰囲気・風貌の問題もさることながら、誰もがチェーホフ劇の台詞をまるで血肉化できていないように思えた。

ごく一例を指摘しよう。

ソーニャ「わたし、器量が悪いの」
エレーナ「いい髪の毛だこと」

ソーニャの「わたし、器量が悪いの」という台詞も力が入りすぎていて、「そんなこと胸を張って言われても…」という感じだったが、それ以上の問題はエレーナの「いい髪の毛だこと」という返答だ。この後ソーニャは(この芝居ではむくれた態度で)「人は不器量な女を見ると、髪や目を誉めるものなの」というような名台詞を吐く。

しかしこれをリアルな会話としてみた場合、「わたし、器量が悪いの」と言って「いい髪の毛だこと」と返されたら、そりゃ誰だって気を悪くするに決まってるだろう(笑)。これではエレーナがただの無神経な女に見えてしまう。

これが小野理子の訳だと以下のようになる。

ソーニャ「あたし、不器量なの」
エレーナ「こんなに綺麗な髪の毛をしてるじゃない」

微妙な違いだが、この言い方なら、返答に困って思わず数少ない美点を誉めてしまったエレーナの気持がよくわかる。

もちろんこれは、読む文学としてはともかく上演台本としてはさすがに古さを感じさせる神西清の訳を使用したせいだ。だが神西清の訳をベースとしながらも、今の時代の舞台としてところどころを変えるくらいは当然のことだと思う。それをやらなかったのは演出の問題だ。
そして演出家が台詞自体を変えないと決めても、微妙な台詞回しによって小野訳のような自然なニュアンスを付け加えるのが役者の務めではないのか。宮田の頭をがしっとつかまえるかのような動作で「いい髪の毛だこと!」(←まさに!が付いている感じ)と言いきってしまう山崎美貴は、その時のエレーナの気持ちをどう解釈していたのだろうか? 

これは、ごく一例に過ぎない。全編にわたって「何故この台詞を、そういう演技と、そういう発声で言うかねえ?」と言いたくなる場面が数限りなくある。それをいちいちあげつらっていったら切りがないので、これだけにとどめておく。


とは言うものの、最初に述べたとおり戯曲そのものに強い力があるので、「金返せ!」と言うような舞台にはなっていない。チェーホフのことをあまり知らない人が見たら、「救いがないけど、何だか胸に染みる芝居だったね」くらいの感想は出ても不思議はない。
だがそれは「チェーホフの『ワーニャおじさん』は、この程度の演出・演技でも人を感動させるだけの力を持っている」ことを証明しているだけだ。この『北緯43°のワーニャ』は、スタイルこそオーソドックスだが、チェーホフの戯曲が持つ深い虚無感や人間性を十全に表現できているとは言い難い。楽器の演奏を練習している暇があったら、他に練習することがたくさんあるだろうに…と言うのが正直な感想だ。


なお「どう考えても、そこで笑う意味がわからん…」という変なタイミングで笑っているおじさんがいると思ったら、柄本明だった。何か演劇人にしかわからないマニアックな美点でもあったのだろうか?


(2006年9月)

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