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07/29/2006

【ブログ】特殊清掃「戦う男たち」〜メメント・モリ〜

やはりこれは紹介しておこう。

そもそも書くのを躊躇すること自体、自分の中でここに描かれた事象に多かれ少なかれ生理的な嫌悪や蔑みの視点を持っている証拠だ。それらを極力取り除き、人間の真実を観照するためにも書くことにする。

最近たまたま発見した、あるブログに大きな衝撃を受けて、以後熱心な愛読者となっている。そのサイトは次のようなもの。


特殊清掃「戦う男たち」
自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・飛び込み…遺体処置から特殊清掃・撤去まで施行する男たち
http://blog.goo.ne.jp/clean110/


サブタイトル通りの内容である。書き手の「特掃隊長」は、問題の特殊清掃をはじめ、普通の葬式における遺体の処置など、遺体のケア全般を扱う遺体屋さん。現場経験14年、遺体処置件数1万件以上だそうだ。休日もあるから、平均すると毎日2体以上の遺体処置に携わっているということか。そんな特掃隊長が、これまでの仕事の中で出会った光景を綴ったブログだ。


普通の葬式にも対応しているので、決してグロ一辺倒の内容ではないが、特殊清掃の話になると、否応なくグロい話になってくる。気の弱い人なら、読んだだけで気絶しても不思議はないほど凄まじい話も珍しくない。

ちなみに僕はグロい話が嫌いな方ではない(笑)。リアルな死体写真のようなものは、故人への冒涜という後ろ暗い思いがつきまとうので、ほとんど見ることはないが、例えばユルグ・ブットゲライト(『ネクロマンティック』『死の王』)の映画や猟奇ホラーものなどは娯楽として楽しんでいる。マニアと言うほどではないが、ごく平均的な人にくらべれば、間違いなくそういうものに接している方だ。

しかしこのブログに書かれていることは、作り物ではない事実であり、娯楽として消化するには過激さとヘヴィーさの桁が違いすぎる。


例えば、遺体を放置しておけば、やがて無惨に腐乱することは大抵の人が知っている。それが実際にどんなものか、各種の情報に接している僕には大体想像できる。いや、できるつもりでいた。
しかしこのブログで執拗に書かれている「腐乱臭」の凄まじさは幸いにも想像できない。暑い季節なら蛆が湧くことはわかっていたが、これを読む限り、蛆の驚異的繁殖力はその想像を遙かに超えていた。まぶたを開けると眼球の部分を蛆が埋め尽くしている光景など、想像できないと言うよりしたくない。

それにも増して凄まじいショックを受けたのは人間の「液状化」だ。
「腐乱」までは大体理解していたが、そのままさらに放っておくと、人間の体が骨や髪を残して全て液状化してしまうなどという話は初めて知った。野ざらしの遺体が白骨になるのは、虫や獣に食われるだけでなく、腐敗して液状化するせいもあるのだろう。これが自然の中であれば、腐敗液はどんどん土の中に吸収されて分解され、植物をはじめとする生物の栄養素になっていくはずだ。しかし人工の建築物、特にバスルームのように液体が漏れていかない場所で死ぬと、血肉や脳や内臓が溶け崩れて黒いシチュー状の液体となり、さらに放っておくと粘土状の物体になるそうだ。特掃隊長が書いているとおり、人間の体の大部分は水で出来ているわけだから、死んで細胞が崩れれば液体になることは筋が通っている。しかしいくら理屈でそうだと言われても… こうなると、今まで大げさな表現だと思っていた日野日出志の漫画は、実は他のどの漫画よりも科学的に正しいものだったことがわかる(本当か?)。

もちろん常にそんな凄惨な現場にばかり行っているわけではなかろうが、気絶しそうに凄まじい液体人間との格闘エピソードは、このブログの白眉の一つだ。
マンションの一室に広がる、元人間だったどす黒い液体。想像を絶する腐乱臭。しかもその黒い液体の中に、無数の蛆が蠢いている…
僕がそんな現場にいきなり出くわしたら、いや、相当の心構えを持って臨んでも、即座に逃げ出すか気絶するかのどちらかだろう。だがそんな部屋で迂闊に気絶しようものなら、腐乱した液状人間の中にドポン… 何の心構えもなく、そういう事態に陥ったら、そのまま発狂しても不思議はないシチュエーションだ。
普通の人間はもちろん、日常的に死と接する機会が多い医者のような人種でも、ここまで凄まじい現場に出くわすことは極めて希だろう。特掃、警察、葬儀業、あとはせいぜい不動産業の人だけがかいま見る、この世の暗黒部分だ。

事故で原型をとどめないほどバラパラになるのも凄惨だ。しかし事故ならば、まだ仕方ないと納得できる部分もあるし、一部の例外を除けば残った骨や肉片をすぐに回収してもらえる。
しかし誰にも看取られることなく死んでいった人間が、何週間もかけて少しずつ液状化していく姿には、より深い暗黒を感じずにはいられない。バスルームのように液が漏れない場所ではなく、畳やフローリングの部屋で死んだ場合、その液体は下に染みこみ、建物の基礎コンクリート部分を汚染することさえあるそうだ。マンションなら、雨漏りのように階下の部屋にしたたり落ちたりするのだろうか? もちろん想像を絶する悪臭つきだ。それはこの世から見捨てられ一人寂しく死んでいった人間が発する、「私はここにいる。誰かわかって!」という絶望的な叫び、あるいは呪詛のように感じられる。強烈な腐乱臭は、その思いの強さに比例しているのかもしれない。

ともかくこの液体人間の話を読んでから、僕は世界を見る目が多少なりとも変化した。仏教には、遺体が朽ち果てていく様子をじっと眺めることで無常を実感する「不浄観」という修行があると聞く。このブログを読む行為はプチ不浄観と言っていいのではないか。
例えば街中で美女を見かけると、「ああ、綺麗だなあ」と思いつつ、その美しい肉体がどす黒い液体となる光景をつい思い浮かべてしまう。これではただのアブナイ人だ。見られる方としても、腐乱して液状化した姿を想像されるくらいなら、素直に裸でも想像される方がはるかにマシだろう。


案の定液体人間の話に力が入ってしまったが(笑)、これがいわばグロの究極である。しかしそんな話だけだったら、僕がここまでこのブログに惹きつけられることはなかっただろう。

このブログには、そのようなグロい話の一方で、あるいはグロい話そのものの中に、涙が出るほど感動的なエピソードや、「死」を通して「生」のあり方を照らし出す視点があちこちに散りばめられている。

例えば7月20日の「酒と遺書」は様々な意味で、自分自身の生と死について考えずにはいられない内容だ。このエピソードはグロ度ゼロなので、そちら方面が苦手な方も、とにかく試しに一度読んで欲しい。

7月25日の「犬と柿と別れの宴」は、文章のクオリティはともかく、描かれている光景は、まるで文豪が書いた短編小説の世界だ。7月24日の「パートナー」もそれに近いものがある。7月18日の「ウ○コ男」は、さながら芥川龍之介か。7月13日の「女心」は、グロな話の中に、人間の切ない感情が織り込まれていて胸を打つ。僕は幼い頃から比較的多くの死を見てきた方だが、7月5日の「Go to heaven」を読んだ時、自分より年下の子供の死に出会わずに来た幸運を、天に感謝した。

そのような感動的なエピソードだけではない。6月8日の「宝探し競争」は、腐乱死体のあった現場で金目の物を漁る親類の姿を、厳しい筆致で描き出している。


そしてこのブログが読み応え十分の内容になっているのは、描かれている内容もさることながら、極めて特殊な仕事の中から人生の普遍的真実を描き出す特掃隊長の透徹した視点によるところが大きい。グロな話をしても過度にセンセーショナルになることはないし、泣かせる話でも必要以上にエモーショナルにならない。折に触れては自分が世間の日陰者であることを嘆いているが、ベタベタとした自己憐憫はなく、透き通った諦念に貫かれている。その立ち位置が絶妙なのである。
また、文章のあちこちにすばらしいユーモアが散りばめられている。まるで短編コントのようなエピソードもあるし、グロな話にもユーモアの要素が色濃く見られ、と言うよりグロな話になるほどジョークを飛ばしたがるようで、それが凄惨極まりない内容を良い意味で和らげている。

文章も相当巧みだ。誤字・脱字が多いのには閉口するし、一つ一つの文章はゴツゴツと荒削りで、決して磨き抜かれているわけではない。しかし全体の構成や、人を惹きつける語り口は、素人とは思えぬレヴェルにある。「これは本当にノンフィクションなのか?」と思うこともしばしばだが、作り話であればその筋のプロに一発で見抜かれるだろうし、「ゴーストライターは立てていない」と明言しているので、やはり特掃隊長が自分で書いているのだろう。その優れた文章力に、人生の真実を貫く視点とユーモア、そして他ではお目にかかれない珍しい題材が揃っているのだから最強である。


「人間は死ねば灰になる」とよく言うが、実は灰にしてもらえるだけで人間は幸福なのだ。誰にも知られず息を引き取り、そのまま放置されれば、人間は溶け崩れて悪臭を放つどす黒い液体になるのである。

そんなグロテスクな事実に接して、世界を見る目がどのように変化するかは人それぞれだ。
底なしの虚無感や絶望感を抱く人もいることだろう。
だがそれを乗り越えて人生に価値を見いだすヒントも、このブログのあちこちに散りばめられている。

先の例で言えば、街で美女を見かけて「しょせんこの女も死ねば臭い液体になる存在」とニヒリスティックな思いを抱くことも出来る。だが、いつか必ず死を迎える生命体が、ほんのわずかな時間だけ生命の美を発露する姿に、哀しみの混じった感動を覚えることも出来る。

僕の場合、その両極の間を揺れ動きながらも、プラスマイナスすれば、人生と人間に対する愛しさが以前より3%ほど増したような気がする。


すでに述べたように、気絶しそうにグロな話も多いが、それも含めて出来ればこのブログに目を通すことをお勧めする。どうしてもグロが苦手な人は、タイトルや出だしから判断して、グロ度のないエピーソードだけでも読んでみて欲しい。


最後に、7月20日の「酒と遺書」から、特に印象に残ったフレーズを引用しておく。(一部改行位置修整)

> 私は遺書(遺言)を書いてある(書き続ける)。
> 親しい友人・知人に遺言を伝え、希望する葬式の仕様まで残してある。
> もちろん、今は自殺願望はないけど私にとって生きるために
> 遺書(遺言)は必要だから。
> 読者にも遺書(遺言)は書いておくことを勧めたい。
> 自分の誕生日に合わせて毎年遺書を書き溜めていくのが
> よくあるパターンかも。
> 遺書を書くと、自分にとって大事な人は誰か、何が大切なのかが
> よく分かってくる。
> 価値観の真(芯)が見えてくる。
> そして、生き方が少しだけ変わる。
>
> 死にたくなったら、まず遺書を書こう。
> 一人で静かに時間をかけて、できるだけ素直に、できるだけ詳しく、
> 残される人にできるだけの想いが伝わるように。
> それが生きる術になるから。


生きるために死を思い、今の生を変えるために遺書を書く。


人間とは、まことに愚かで滑稽で哀しい存在だ。


だが今は、そんな愚かさと滑稽さと哀しさが、人間に対する愛しさを募らせる。


(2006年7月)

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