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06/05/2006

【演劇】新国立劇場『Into the Woods』2006.6.4

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『Into the Woods』
2006年6月4日(日)13:00〜 新国立劇場 中劇場


スティーブン・ソンドハイム作詞・作曲のブロードウェイ・ミュージカルを、新国立劇場制作で宮本亜門が演出・振付した作品。普段なら見ないタイプの作品だが、2年前の初演がたいへん評判が良く、その年のミュージカルのベストワンに選ばれたりもしていたので、見て損はないだろうと思いチケットを買ってみた。

グリム童話をベースにしたストーリー。主役のパン屋はオリジナルキャラクターではないかと思うが、「ジャックと豆の木」「赤ずきん」「シンデレラ」「ラプンツェル」のキャラクターが同じ森の近くに住んでいる設定。子供が出来ない呪いをかけられたパン屋が、魔女に言われたとおりの物を森の中で集めていく話を縦軸に、お馴染みのグリム童話が交錯する。最後は全ての人々の希望がそれぞれに叶えられ、メデタシメデタシ…
と言うのが前半(1時間40分)。20分の休憩を挟んで展開される後半(1時間20分)は、そのハッピーエンドの後の話で、ジャックに金のガチョウを盗まれた上、夫を殺された女巨人が彼らの国にやってきて、ジャックを出せと迫る。次々と踏みつぶされる登場人物。責任の押し付け合い。何が正しいことなのか、何が自分の望む物なのかという問い。そしてパン屋、ジャック、赤ずきん、シンデレラは女巨人を倒すために力を結集するが…

前半だけなら人畜無害なファミリー向けミュージカル。言うまでもなく作品の眼目は後半にある。グリム童話が実は恐ろしい内容であることは、今やある程度常識となっているが、この作品は表面的な残酷さから一歩突っ込んで、「自分の欲望のために他人を犠牲にする行為は、どこまで許されるのか」「そもそも他人から物を奪う、あるいは他人に何かを与えるとはどういうことなのか」といった倫理的な問題を追究している。オリジナル版は80年代に出来ているが、むしろ911以降の今だからこそ、よけい考えさせられる内容を含んでいる。


テーマも設定もストーリーも非常に興味深い。事実かなりの部分は面白い。

しかしこの作品は、出来れば全編ストレートプレイとして見たかった。何しろストレートプレイの部分は面白いのに、歌のシーンになると急に退屈してくるのだ。これではミュージカルにする意味がない。


この作品がミュージカルとしてつまらない理由は主に3つある。

1つ目は、曲自体に魅力がない。これはオリジナル版からの問題だろうが、メロディ/リズム/ハーモニー、どれを取っても強く印象に残る曲がほとんどない。少なくともスタンダードとして後世に残るような曲は皆無だ。それを歌う俳優たちの歌唱力も、魔女役の諏訪マリーやシンデレラ役のシルビア・グラブなどを除けば、かなりお寒いものがある。

2つ目に、誰かが歌を歌い始めると「劇」としての進行がそこでストップし、「歌詞で心情を表現したり、ストーリーを説明したりするだけのシーン」になってしまう(「歌」ではなく「歌詞」であることに注意)。だからストレートプレイのシーンがどんなに面白くても、歌のシーンになると急に退屈になるのだ。これは俳優たちが、歌いながら踊ったり演技をしたりするだけの技量を持っていないせいもあるだろう。

そして3つ目が「やはり日本語はミュージカルの歌詞として不適当」というかなり根本的なもの。
もう大昔の話になるが、ロンドンで『オペラ座の怪人』を見てたいへんな感動を覚えた僕は、その後劇団四季による同作を見に行って、ひどくガッカリした経験がある。やっていることは基本的にすべて同じ。それなのにロンドンで見たときの3分の1も感動できない。それが何故なのか当時はよくわからなかったのだが、この作品を見て「やはり日本語が問題だったのだろう」とわかった。『オペラ座の怪人』がどうだったか、もう正確に覚えていないが、この『Into the Woods』における日本語と音楽の組み合わせは最悪だ。ただでさえ凡庸なメロディに、ダラダラとメリハリのない日本語が乗ることで、ますます歌としてのクオリティを下げている。
日本語によるミュージカルが難しいことは確かだが、100%ダメとも言い切れない。例えば前日に見た映画『嫌われ松子の一生』はところどころミュージカル仕立てになっていたが、この作品のような退屈さや違和感はまったく感じなかった。日本語のポップミュージックも数十年の歴史を経て、日本語の歌詞を西洋的なリズムに乗せるノウハウはかなり高度なレヴェルに達している。最初から日本語オリジナルのミュージカルを作れば、それなりのものはできるのだ。問題はブロードウェイやウェストエンドでやっているミュージカルを日本語に翻案した場合で、これはまずダメだということを、この作品で再確認した。どうあがいても、日本語の歌詞が元のメロディやリズムにうまく乗らない。ましてやミュージカルの歌は、半分台詞のような役割を果たすため、物語の進行に合った歌詞にしなくてはいけないという問題がある。そのため説明的な歌詞を無理矢理ねじ込んだような苦しい場面が頻出。同音異義語が多い日本語の欠点で、少し考えないと、今何を歌ったのかわからない場面もしばしばあった。そのため音楽としてのクオリティがますます低くなり、聞いていると眠くなってくる次第だ。


またミュージカルシーンを無視してストレートプレイと考えても、結末にはいささか納得いかないものがある。確かに人間側も多くの無関係な犠牲者を出したが、言い分としては明らかに女巨人の側に理がある。それなのに女巨人を倒して、生き残った人々が、新たな家族として生きていこうという結末はどうなんだ? 
最初に「911以降の今だからこそ、よけい考えさせられる内容を含んでいる」と書いたが、この部分は特にそれに該当する。もしこの作品が今の時代に書かれたとしたら、こんな「復讐の連鎖」をそのまま放置するかのようなラストではなく、もっと巨人側と人間側の言い分を調停するような方向に話が進むことだろう。そういう意味では、オリジナル版を改変することなく上演した宮本亜門の姿勢には疑問を感じる。


しかしそのような疑問点も含め、この物語が様々な示唆とメッセージに富んだものであることは間違いない。それだけにミュージカルパートの凡庸さが痛い。繰り返すが、この物語は全編ストレートプレイの形で見たかった。


なお、美術セットは上出来。特にラスト、森の遙か彼方まで続いているかのように見える道は、奥行きのある中劇場のメリットを最大限に生かしてお見事だ。

役者では、すでに述べた諏訪マリーとシルビア・グラブもさることながら、赤ずきんを演じた宮本せいらが最も印象に残った。2年前はSAYAKAが演じた役で、今回ほとんど無名の宮本が代わりに抜擢されたことで話題になったそうだが、この抜擢は大成功だ。あの小さな体(150cm)から生き生きとした明るさを振りまき、見ているだけで楽しくなる。歌はまずまず程度だが、台詞回しはポンポン歯切れが良くて、新人とは思えないほどだ。これまでのプロフィールを見ても、今後普通の女優を目指すのか、ミュージカルの道を進むのか、タレント的な仕事をしていくのか皆目わからないのだが、いずれにせよ名前は記憶しておこう。
主役の小堺一機は、何をやっても小堺一機であることがよくわかった(笑)。
一番引っかかったのはジャック役の矢崎広。背が高すぎて、少年らしさに欠ける。もっと少年らしい役者がこの役を演じていれば、作品全体の印象もだいぶ変わったと思うのだが。
そして何気にうまかったのはミルキーホワイト(牛)役の飯野めぐみ(笑)。冗談抜きに、こういうかぶり物の役でうまいと思わせるのは実力がある証拠だ。

なお客席の反応は良好で、拍手のタイミングやラストの手拍子などから見て、リピーターがかなりいたようだった。


(2006年6月)

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