« 【演劇】ガラシ×ク・ナウカ『ムネモシュネの贈りもの』2006.6.17 | Main | 【ライヴ】伊吹留香/te 2006.6.18 »

06/24/2006

【バレエ】モーリス・ベジャール・バレエ団『バレエ・フォー・ライフ』2006.6.18

Bejart4


モーリス・ベジャール・バレエ団
『バレエ・フォー・ライフ』
2006年6月18日(日) 14:00〜 五反田簡易保険ホール


バレエを生で見るのは人生で2度目だ。前の1回は2003年4月にオーチャードホールで見たマシュー・ボーンの『白鳥の湖』(ザ・スワン役=アダム・クーパー)。つまりバレエに関してはまったく門外漢ということだ。

そんな自分が、なぜ14000円もの金を払ってこのバレエを見たか? 言うまでもない。この『バレエ・フォー・ライフ』がフレディ・マーキュリー(とジョルジュ・ドン)に捧げられた作品であり、全編にわたってクイーンの曲が使われているからだ。クイーン・ファンとして、一度は見ておかねばなるまい。昨年のミュージカル『WE WILL ROCK YOU』が、素晴らしく楽しいものに仕上がっていたので、あちらとの違いを楽しみたいという思いもあった。

しかしチケット代は唖然とするほど高い。S席が17000円、A席が15000円だ。昨年のミュージカルや、クイーン+ポール・ロジャースのライヴよりも高額ではないか。悩んだ末、少し節約してA席を選び、バレエの会員になっている友人にチケットを手配してもらった。1000円割引になったが、それでも14000円。まだミュージカルや本家のライヴよりも高いのだから溜息が出る。

それほど高額のチケットだが、席は1列目の一番端の方。アーティストには近いのでライヴならそれほど悪い席とは言えないが、あの広いステージを使ったバレエの場合、あまり端に寄ってしまうと、群舞シーンで全体像がわからくなるのが辛い。1階の横の方と2階とどちらがいいか聞かれて1階の横を選んだのだが、この内容を事前に知っていたら2階を頼んでいただろう。演劇やライヴで、少しでも前で見る癖が付いてしまっているが、バレエの場合もっと後ろや2階で見た方が良い場合も多いということを今回で学んだ。もっとも、通路を挟んですぐ隣のブロックはおそらくS席なのだろうから、贅沢は言うまい。次は金を貯めてS席で見よう。
2階席の状況はわからないが、1階席は超満員だった。普通のバレエは圧倒的に女性客ばかりだと聞いているが、この日は、すぐにクイーン・ファンだとわかる男性の姿もかなり見受けられた。


使用楽曲は、順番に以下の通り。

イッツ・ア・ビューティフル・デイ
フレディ
タイム/レット・ミー・リヴ
ブライトン・ロック
ヘヴン・フォー・エヴリワン
天使
アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー
モーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」
カインド・オブ・マジック
モーツァルト「エジプト王タモス」への前奏曲
ゲット・ダウン・メイク・ラヴ
モーツァルト「協奏曲 第21番」
シーサイド・ランデヴー
テイク・マイ・ブレス・アウェイ
モーツァルト「フリーメーソンのための葬送音楽」
ラジオ・ガ・ガ
ウインターズ・テイル
ミリオネア・ワルツ
ラヴ・オブ・マイ・ライフ〜ブライトン・ロック
ボヘミアン・ラプソディ
ブレイク・フリー
ショウ・マスト・ゴー・オン


音が小さいという噂を聞いていたのだが、僕の席は何しろPAのすぐ近くなので、その点は問題なし。白いシーツをかぶって横になっていた30人ほどのダンサーが、高らかに鳴り響く「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」と共に、むくりと起きあがってくるところから舞台に引き込まれる。

曲が変わるごとに構成やダンサーが変わる。白と黒と赤を基調とした衣装もいろいろ変わるのだが、どれもシンプルでありながら目を惹きつける魅力に満ちている。あとでジャンニ・ヴェルサーチのデザインだとわかって納得。

何よりも面白かったのは、フレディ・マーキュリーのモチーフが随所に出てきたこと。フレディならではのステージアクションや決めポーズ、そしてエキセントリックな衣装が出てくるたびに思わずニヤリ。この辺は、クイーンファンでなくてはわからないお楽しみだ。あの胸開き白タイツや幾つかのポーズは元々バレエから来たものなのだろうが、それをデフォルメしたフレディの動きや衣装が再びバレエに逆輸入されることで、普通のバレエともクイーンのステージとも違う、ユーモラスで美しい光景を生み出している。

もう一つ非常に興味深かったのは、ヒプノシスのデザインを思わせるモチーフがあちこちに見られたことだ。「これはピンク・フロイドのレコードジャケットか?」と言いたくなる美術と振り付けが、偶然とは思えぬ頻度で現れるのだ。フレディ同様、ヒプノシスがバレエの世界からいただいたモチーフが逆輸入されたものもあると思うが、ベジャールがヒプノシスのデザインからヒントを得ている部分もかなりあるはずだ。これほどクイーンに敬愛の念を抱いている人物が、ピンク・フロイドやヒプノシスの芸術にまったく触れていないと考える方が無理がある。ピンク・フロイド・バレエなどというものもあるくらいだから、フロイドはバレエ界でも人気があるのだろう。
それに加えて、曲間にしばしば風の音がSEとして使われていたので、いつベースの音が鳴り響いて「吹けよ風、呼べよ嵐」が始まることかとドキドキしてしまった(笑)。クイーンに加えてピンク・フロイド…70年代ロックファンにはたまらない展開だ。満員の客席には、クイーン・ファン(ロック・ファン)もいればモーリス・ベジャール ファン(バレエ・ファン)もいたと思うが、「クイーンはよく知っているがバレエには詳しくないファン」と、その逆のファンがいたら、この作品をより楽しめるのは、間違いなく前者だろう(両方に詳しいファンが一番楽しめることは言うまでもない)。


特に印象に残ったのは「アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」。ここでソロを取ったカトリーヌ・ズアナバールという女性ダンサーが最高に素晴らしかったからだ。群舞の中で踊っているときから目についていたのだが、褐色の美しい肉体(キューバ出身)を黒い衣装に包み、堂々のソロを見せてくれたときには、息が止まるほどの感動を覚えた。途中の動きは柔軟で優雅だが、手足を伸ばす決めの部分が非常にシャープで攻撃的。野性的な容姿とあいまってメカニカルな黒豹のようだ。クイーンやベジャールと無関係な作品でも、彼女が踊るのであればぜひ見に行きたい…そう思わせるほどの力に満ちていた。「これまでの人生で見た最も美しい人間の一人」と言って過言ではない。彼女との出会いは、この日最大のサプライズだった。

それ以外で特に良かったのは、ユーモラスな「シーサイド・ランデブー」(この曲の終了後、初めて拍手が起きた)と、プロモビデオの群衆イメージを換骨奪胎してヒプノシスのデザインを隠し味に使ったような「ラジオ・ガ・ガ」。どちらもユーモアと視覚的な楽しさに溢れている。
またコンセプト的にはクイーンの曲だけにした方が良かったと思うのだが、実際には4曲使われたモーツァルトナンバーによるダンスが例外なく素晴らしかった。特に巨大なレントゲン写真の前でアレッサンドロ・スキアッタレッラが踊る「フリーメーソンのための葬送音楽」は、物悲しく厳しい美しさに満ちていた。「協奏曲21番」のエロティックさも忘れがたい。

ただし肝心のクライマックスが今ひとつ。「ウインターズ・テイル」から「ブライトン・ロック」あたりまでは特に印象に残らないし、「ボヘミアン・ラプソディ」も盛り上がりに欠ける。特に途中のオペラテッィクコーラス部が地味な照明とソロダンスで処理され、後半のハードロック部分がカットされるという展開は、どうにもいただけない。これは全編で一番ガッカリした部分。


その後は「ブレイク・フリー」をバックにジョルジュ・ドンの映像がコラージュされるコーナーとなる。曲目リストで「ブレイク・フリー(フィルム):ジョルジュ・ドン」という文字を見たときには、彼が生前「ブレイク・フリー」を踊った映像が存在するのかと思ったが、さすがにそれはなかった。

このジョルジュ・ドン追悼パートは、極端な功罪両面があって評価が難しい。まず「罪」の方からいくと、それまでずっとクイーンとフレディ・マーキュリーのモチーフで来ていたのに、いきなりジョルジュ・ドン自身の映像が流れるのは、さすがに唐突な感じがする。いくら「同時期にエイズでこの世を去ったフレディとジョルジュ・ドンに捧げられた作品」という知識があっても、作品の流れからすると取って付けたような感は否めない。
また、このコーナーに「ブレイク・フリー」という曲が合っていたかも大いに疑問。踊りのリズムに合っているわけでもないし、少々無理な編集が目立つ。むしろ「フー・ウォンツ・トゥ・リヴ・フォーエヴァー」あたりを持ってきた方が良かったのではなかろうか。ただしこの曲のプロモビデオはニジンスキーの「牧神の午後」をモチーフにしているので、ドンの映像で出て来た「神の道化」とのニジンスキーつながりということなのだろう。
次に「功」の方だが、「作品の流れとは無関係に、今は亡きジョルジュ・ドンの凄まじい存在感に圧倒される」、これに尽きる。僕はもちろん彼の生のステージは見ていないのだが、遙か昔に一度見た映画『愛と悲しみのボレロ』だけで、生涯忘れないほどのインパクトを受けた。映画のストーリーなどもはや忘却の彼方だが、クライマックスでラヴェルの「ボレロ」を踊るジョルジュ・ドンの妖気とカリスマ性を、どうして忘れることが出来ようか。この世のものとは思えぬオーラを身にまとった彼の映像は、それまでがんばっていた生身のダンサーたちを圧倒して余りあるものだった。もはや踊りがどうのこうのという問題ではなく、存在の次元が違う。日常生活を送っている光景が想像できないという異質性では、フレディを遙かに超えている。まさにジョルジュ・ドンの存在そのものが一つの芸術だ。この妖気の前には誰も太刀打ちできない。


最後は「ショウ・マスト・ゴー・オン」。ダメだ、僕はこの曲にはいかなる文句も付けられない。ジョルジュ・ドンの存在がダンサーという枠を飛び越えているように、この歌も音楽という枠など飛び越えて、人生と芸術に対する聖歌となっている。オープニングシーンを巻き戻すかのように、全てのダンサーが白いシーツをかぶって眠りに就いたとき、思わず目に涙がにじんでしまった。


上演時間110分。長い作品だが退屈する部分はどこにも無く、様々な意味で楽しむことができた。クイーンの音楽やジョルジュ・ドンの妖気はもちろんだが、ようやく見ることが出来たモーリス・ベジャールという人の芸術にも、大いに興味が湧いた。何しろチケット代が高いので、次も必ず見るとは言えないが、生であれ映像であれ、出来る限り追いかけることにしよう。カトリーヌ・ズアナバールも同様だ。

チケット代は高かったが、それを超えるほどの感動を味わうことが出来て、大いに満足。


(2006年6月)

|

« 【演劇】ガラシ×ク・ナウカ『ムネモシュネの贈りもの』2006.6.17 | Main | 【ライヴ】伊吹留香/te 2006.6.18 »

Comments

トラバありがとうございます。
クイーンの洗礼を受けたものの詳しいわけではないので、興味深く読ませていただきました。
特にドンの映像に使われていた「ブレイク・フリー」を
ニジンスキーつながり
と看破されたのには目からウロコでした。

ベジャールはピンクフロイドもU2も使用していますし、エルトン・ジョンとアルバン・ベルクなんて組み合わせの作品もあるんです。音楽に対する感性が柔軟な人だなって思っています。

Posted by: アナホリフクロウ | 06/25/2006 at 18:21

初めまして。

クィーンの音楽史的な偉大さはなんとなく知っているけれど。。程度の人(私)には、言葉にしにくいバレエだったので、色々な方の感想を探してます。クィーンマニアの彼は、今も陶酔しちゃってて、聞ける雰囲気じゃないし(汗)

知識があると、こんなに楽しみ方が違うのねと、感心しながら興味深く読ませていただきました。
でもなんか、もっと大きなものっていうか、クィーンもバレエもマニアでない私にもすごい感動があったんですが、うまく言葉にできません(悲)
ベジャールは哲学的な?人らしいので、そのへんをわかっていると、説明できるのかなーなんて思いました。

お邪魔しました、また遊びに来ます。

Posted by: りこ | 06/27/2006 at 16:32

#アナホリフクロウさん

あとで『愛、それはダンス』の内容を調べてU2を使用していることを知りましたが、やはりピンク・フロイドも使っていましたか。だとすればヒプノシスからの引用はまず間違いなさそうですね。

ヒプノシスのデザインワークはこの辺りで見られます。
http://sound.jp/hipgnosis/yapwall/yhip.html

上には出ていませんが、フロイドの『炎』Wish You Were Hereの中にポスターとして封入されていた逆立ち写真そのまんまな振り付けもありました。

最初に書いたようにバレエはほとんど門外漢なのですが、この作品でモーリス・ベジャールに惚れ込んでしまったので、彼の作品については、生の舞台であれ映像であれ見られるものは見てみようと思い始めました。さしありた9月に発売される『愛、それはダンス』のDVDが楽しみです。


#りこさん

この作品、クイーンやジョルジュ・ドンやバレエ全般に詳しい人ほど楽しめることは間違いありませんが、それらにまったく詳しくなくても十分楽しむことが出来るのではないでしょうか。

それはおそらくフレディ・マーキュリーとジョルジュ・ドンに共通する美学、良い表現が見つからないのですが、ある種の「滅びの美」のようなものが全編に色濃く流れているからだと思います。

「滅びの美」と言っても普通のデカダンスや敗北主義ではありません。ライヴやダンスと言った、その場限りで消えていく芸術に、並外れたエネルギーを注ぎ込んでしまった者だけが持つ美しさ、はかなさ、悲しさのようなものです。
フレディの方は、CDという形で後世に残る作品を生み出していますが、やはりライヴでのカリスマ的パフォーマンマンスこそ、この男の表現の核ではないかと思っています。ベジャールも、そういう部分を強調したかったからこそライヴ音源をあれだけ多用したのでしょう。

もちろん二人の偉大なパフォーマーには様々な側面があります。しかしベジャールは、その中から「滅びの美」を最も大切な要素としてピックアップし、静謐な死の匂いがするバレエを作り上げた。
この作品におけるフレディとジョルジュ・ドンは、冷たく青白い炎に包まれています。たとえ二人がどんな人物かを知らなくても、その冷たい炎に触れることさえ出来れば、死すべき運命にある人間は何らかの形で心を動かされるのだと思います。


Posted by: ぼのぼの | 06/28/2006 at 00:05

初めまして。
ベジャールで調べていたらこちらに辿り着きました。
私も同じ日に右の前から数列目の端からバレエフォーライフをみていました。
あの日は人生で初めての感覚を味わい、数日間はベジャールに浸かりながら生活をしているようでした。
そして私もカトリーヌ・ズアナバールに心奪われてしまった一人です。
あんなに魅力的な人に初めて出会いました。
彼女だけ、どこで踊っていても背中から一本の線が延びているかのような独特な立ち振る舞いがあり、彼女が出てきたらそっちを見っぱなしでした。
途中で、彼女が手にキスをされるときの細かな何ともいえない表情にはやられました。
涙ボロボロです。

私は元々、母の影響でベジャールファンでしたが、生で作品を見たのは初めてで、それがバレエフォーライフでよかったと思います。
ドンの映像が出てくるはずなのにおかしいな、と思っていたら最後に持ってくるとは・・・・。
だめでしょ、そんなぁ~もう体は震えるし、涙止まらないし、大変でした。
クイーンの曲は特に詳しくなかったのですが、最後のショウ・マスト・ゴー・オンはもう私の中で
あの作品の曲として残りました。
本当にいい体験をしたと思います。
長々と書いてしまいすみません。
ただ、あの時を過ごした人についつい言ってしまい、思い出したくなってしまうのです。
では失礼します。

Posted by: ぺこ | 07/18/2006 at 14:54

#ぺこさん

いらっしゃいませ。確かにあの公演を見たら、しばらくは身も心も奪われたままになりますね。僕たちの見た日は観客が大人しめでしたが、ロックコンサートのように観客が総立ち状態になる日もあるようです。

カトリーヌ・ズアナバールは、とても自分と同じ人間とは思えない、存在そのものが「美」のような人ですね。早く彼女の踊りをまた見たいものです。

「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、もう単なる歌というレヴェルを超えた存在になりつつありますからね。『ムーランルージュ』という映画でも印象的に使われているので、ぜひ一度ご覧あれ。

では、また遊びに来てください。

Posted by: ぼのぼの | 07/19/2006 at 00:15

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/85126/10661133

Listed below are links to weblogs that reference 【バレエ】モーリス・ベジャール・バレエ団『バレエ・フォー・ライフ』2006.6.18:

« 【演劇】ガラシ×ク・ナウカ『ムネモシュネの贈りもの』2006.6.17 | Main | 【ライヴ】伊吹留香/te 2006.6.18 »