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03/23/2006

【演劇】mode『唐版 俳優修業』Bプロ 2006.3.21

yamada


mode『唐版 俳優修業』2006年3月21日(火)19:00〜 中野光座


初日のAプロに続いて、今回は近畿大学出身の若手中心によるBプロ公演。名義はMODEならぬmode(プチモード)。普通なら若手中心のBプロの方が見劣りするものだが、今回はそうとも言えない。本来唐十郎的とは言えないMODEの芝居で鍛えられてきたAプロ勢に対し、近畿大学勢は『唐版 俳優修業』『唐版 風の又三郎』を昨年上演しており、唐十郎劇に関しては、むしろAプロ勢よりも経験豊かだからだ。しかも唐ゼミからの援軍(杉山雄樹)まで加わっている。少なくとも「唐十郎劇としての完成度」から言えば、Bプロの方が上だろうと予想していた。


結論から言えば、それぞれに一長一短で、全体の出来に大きな優劣はない。残念だったのは、演出にまったくと言っていいほど違いがなかったこと。必然的にAとBの違いを語ることは、役者の違いを語ることとイコールになってくる。


具体的にいくと、シェイクスピア役の小林徳久は普通にがんばっている感じで、Aプロの斎藤歩と目立った差はない。強いて言えば斎藤の方がカリカチュアの度合いが強く、笑える度では幾らか勝っていたというところか。

ケムに関しては、さすが本家の唐ゼミにいるせいか、杉山雄樹の方がシュールな個性を発揮していた。ただし組み合わせの問題で言うと、杉山=山田よりもAの高田=石村の方が歯車が噛み合っていたと思う。

坂田役の齋藤圭祐は、Aの中田春介よりも良かったと思う。これは年齢的な問題が大きく、やはり中田はこの役には年を食い過ぎだったことがわかる。

そしてミヨ。これに関しては問答無用でAプロの得丸伸二に軍配が上がる。Bの栗須慎一朗も十分にがんばっていたのだが、さすがに相手が悪すぎた。得丸の凄まじい存在感に敵うものはいない。この人本当に文学座?(笑)


そして主役のサクランボポリスを演じるのは山田美佳。石村実伽との比較を真剣に書き出すと、恐ろしく長くなりそうだ。

まず『唐版 風の又三郎』『冬のエチュード』の時に、石村実伽と山田美佳、ふたりのタイプが似ていると述べた。山田美佳の方が体が小さく顔立ちが薄いせいで、より女の子っぽくはあるが、どこかボーイッシュで妖精を思わせる個性は明らかに共通しているし、声のトーンもかなり似ている。
だが持って生まれた個性は似ていても、演技的なアプローチはかなり違うものであることも薄々感づいていた。具体的には、石村は理知的に役柄を分析した上で演技を組み立てていく秀才タイプ、山田はもっと本能や直感を優先する天才タイプだろうと見ていた(この場合天才>秀才という意味合いはない)。
そして今回の芝居でもう少しはっきりとした違いが見えてきた。
石村実伽の「剛」に対し、山田美佳は「柔」。
別の言葉で言えば石村が「太陽」、山田は「月」。
あくまでも自分の肉体から「気」を発して芝居を引っ張ろうとする石村に対し、山田はむしろ自分の肉体を媒介にして周りの人々の「気」を操ることで芝居の流れを形作っている。ひどく抽象的で曖昧な表現ではあるが、僕にはそんな風に見えた。

…と、ここまて書いたところで翌日のAプロを再見し、この先書こうと思っていた比較が少々ピント外れになってしまった。石村実伽最後の登板となるAプロの出来が、初日よりも遙かに良くなっていたからだ。執筆のタイミングが観賞のペースに追いつかないと、こういうややこしい事態が生じてくるから困ってしまう。

仕方がないので、全体的なまとめをAプロ2回目に全て回し、ここでは山田美佳の優れた点と良くなかった点だけを簡単に述べるにとどめよう。

まずサクランボ・ポリスは劇団員になるべく街頭芝居に立つ研修生という役柄。これは山田の方がリアルで当然だ。石村は、すでに独自の個性と演技力を持った一人前の女優であり、その演技の上手さがむしろサクランボ・ポリスのリアリティを損ねていると言えなくもない。
そして今回は衣装として大きめな男物の警官服を着ているため、小柄で目鼻立ちも小さい山田の子供っぽい容姿が余計際だつことになる。そんなコスプレをしたお子ちゃまのような研修生が、奇怪な人たちと触れあいながら、次第に俳優と人生の関係に目覚めていく様子は、容姿が幼い分だけ石村よりも説得力を持っている。終盤の一つのクライマックス、机の上でガス銃を持ち、「シェイクスピアから離れろ!」等の台詞を放つ辺りは、山田の方が合っていた。石村は「彼女なら当然これくらいのことはやるだろう」という感じがして、意外性に欠ける。
そして最初に予想したとおり、山田の方が唐十郎劇の不条理でファンタスティックな雰囲気を無理なく身にまとっている。石村が今までにない役柄と作風を身につけようと悪戦苦闘しているのと好対照だ。まったく余計な力が入っておらず、呼吸をするような自然さで芝居をしている。その点については、二人のハンディキャップは予想以上に大きかったようだ。

だが不満も少なからずある。前の方で述べたとおり、自ら「気」を発するのではなく、周りの「気」を生かす演技スタイルは、確かに今までにない新鮮さが感じられるし、うまく「気」が流れている時は、素晴らしく劇的な時間を作り出すことに成功している。だがその流れが少しでも緩むと、劇的な時間は驚くほど退屈な時間へと転化する。そういう場面が少なからず見られた。
またすでに上演経験があるにしては、台詞を噛みすぎ。これは山田だけではなく他の役者たちも同様で、俳優としての基本的なテクニックがAプロ勢よりだいぶ落ちる事実を露呈している。

そして一番決定的な問題は、山田の演技も芝居全体も、こじんまりとまとまり過ぎていること。これは唐十郎劇の雰囲気をごく自然に体現できることのデメリットだろう。オリジナルをかなり忠実に再現出来るが故に、「再現」以上のものになりえていないのだ。その点では、前作『唐版 風の又三郎』の方が得体の知れないパワーと現代性を感じることが出来た。
もちろんこれは見方による。唐十郎の熱心なファンは、多分Bプロの方を支持することだろう。しかし僕のように唐十郎のことを詳しく知らず、思い入れもない人間にとっては、唐的な世界を忠実に再現したBプロよりも、唐的な演技スタイルを持たないAプロの役者たちが、唐劇を必死で自分のものにしようとする時に生じる摩擦が、リアルで興味深いものに感じられた。唐劇としての完成度でBプロが優れていても、それは所詮あの時代の縮小再生産にしかならない。「2006年という時代に、この劇を上演する意味はどこにあるのか?」その解答を手探りで見つけていくスリルを、役者と観客が共有できるAプロの方が、僕にとってはずっと現代的な作品に思えた。


ひどく中途半端になってしまったが、やはり全体的なまとめはAプロ2日目の方に回すことにする。


(2006年3月)

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