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03/21/2006

【演劇】MODE『唐版 俳優修業』Aプロ 2006.3.17

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MODE『唐版 俳優修業』2006年3月17日(金)19:00〜 中野光座


昨年の秋に、松本修が教えている近畿大学演劇専攻の卒業生&学生で『唐版 風の又三郎』を上演したMODEが、今回は「現代日本戯曲再発見シリーズVol.3」という位置づけで『唐版俳優修業』を上演する。Aプロ、Bプロに分かれていて、Aプロは石村実伽をはじめとするMODEの常連俳優中心、Bプロはmode(プチモード)名義で、山田美佳をはじめとする近畿大学出の若手中心。modeの方は昨年大阪で一度上演しているらしいので、ある意味ベテラン勢が不利。さて、どうなることか。全体的な出来もさることながら、石村実伽/山田美佳というヒロイン2人の対決にも興味が湧く。僕はMODEで初日と楽日(26日)、modeで21日に観劇。最初はまとめて書くつもりだったが、かえって重荷になりそうなので、1日ずつ気軽に書いていくことにした。


会場の中野光座には初めて行った。駅から近いが、事前にネットで調べて外見を知らなかったら、おそらくどこが光座なのかわかなくて、辺りをウロウロ迷っていたことだろう。普段は転位21がよく使っているらしいが、元はピンク映画館。映画館廃業後リニューアルされたわけでもなく、椅子も内装も当時のままで、まさしく廃墟。お世辞にも清潔とは言い難いが、本作の雰囲気にはよく合っている。しかし崩れかけたようなボロボロの壁を見ていると、アスベストを吸い込みそうでちと怖い。
座席も映画館時代のままで、ひどいオンボロだが、椅子があるだけマシと考えよう。元映画館とは思えぬほど傾斜が緩いので、後ろの人の邪魔にならないよう出来るだけ姿勢を低くしていたら少々疲れた(一番前の席だった)。

観客は、具体的な名前はわからずとも、一目で役者や業界関係者だとわかる人が半数以上を占める。廃墟と化した元ピンク映画館に集結した役者顔の集団は、それはそれで一幅の絵のようだった。言うまでもなく「地獄絵」に近いものだが。「ここは自由席ですか」と聞いてきた、坊主頭で大柄のおじさんは、明らかに役者だと思うのだが、誰だろう。磨赤兒でないことは確かだが(笑)、前にもスズナリの何かの芝居で僕の前に座っていたな。


芝居は19時5分開演、20時35分頃に終演。約1時間半。前に2時間くらいあると聞いていたのだが、予想外にコンパクト。『唐版 風の又三郎』は休憩を含めて3時間以上もあったが、その半分だ。ただし唐十郎作品だけに、台詞や情報の量は膨大で、2時間以上あったような気がした。お腹いっぱい。


主役の石村実伽は、最初のうち力が入りすぎている感じで、いつもの瑞々しさが感じられなかった。台詞回しにもまるで生彩がない。彼女に合わないタイプの芝居だろうとは予想していたが、それにしてもこれほどとは…と思わず不安になった。あんなに芝居に苦戦している石村を見たのは初めてだ。
それが中盤からぐんぐん良くなっていった。ようやく演技のギアが噛み合い、慣れない役柄を力業で自分のものにしたかのようだ。彼女の最大の美点である豊かな感情表現力がキラキラと輝き、溢れ出す。

あらためてわかったことがある。石村は、つい聞き惚れてしまうほど素晴らしい声を持っているし、台詞回しもうまい。だが彼女の演技が最も深く心に突き刺さってくるのは、むしろ台詞が無いシーンだ『AMERIKA』や『逃げ去る恋』のように喜劇色が強い作品の場合はそうとも言えないが、『城』や『遙(ニライ)』など、女性的な役柄や悲劇性を帯びた役柄の場合は、間違いなくそうだ。小さな顔とは不釣り合いなほど大きな目は、女優としての強力な武器だろう。「目は口ほどに物を言う」とは彼女のためにある言葉だ。後半になると彼女の台詞量が少し減り、表情で見せるシーンが多くなるのだが、やはりその辺りが一番魅力的だった。
逆に言えば、機関銃のように台詞を話す唐十郎の芝居は、基本的に彼女に向いていないということだ。少なくとも本来の魅力が発揮できる芝居ではない。それでも自分に向いていない役柄を、あそこまで自分に引き寄せてしまうのが、彼女の実力だろう。


他の役者で圧倒的に目立つのは、ミヨ役の得丸伸二。まさしく怪演。凄まじい存在感。
準主役と言えそうなシェイクスピア役斎藤歩は可もなく不可もなく。
坂田役の中田春介は大好きな役者なのだが、今回は今ひとつパッとしない。不器用な人らしく、どうも作品によって出来不出来が激しい。前作『冬のエチュード』では生き生きとした魅力を発揮していただけに残念だ。
しかし一番芝居が下手だったのが、チョイ役で登場する松本修だというのはご愛敬。


物語だが、サクランボ・ポリスという劇団研修生が、稽古のため街頭芝居に立ち、そこで様々な人たちと出会い、別れていくというもの。もちろん唐十郎作品なのでリアリズムからはほど遠く、ある意味ファンスティックと言ってもいい内容になっている。そこに成田闘争と「藤十郎の恋」という2つの大きなモチーフが絡んでくるのだが、この辺は予備知識無しだと少々きつい。
中心となるテーマは、『俳優修行』というタイトル通り、「演劇」そして「俳優/演技」だ。総じて「演劇に関する演劇」と言って差し支えないだろう。そして演劇が人生を照射するものである以上、「演劇に関する演劇」は必然的に「人生に関する演劇」へと変貌していく。
ただしあまりにも膨大な情報量と個性的なストーリーテリングのため、1回見ただけでは全体像を消化しきることは不可能だった。それでも『唐版 風の又三郎』に比べれば遙かにコンパクトにまとまっているため、勘所は大体掴むことが出来た。さらにBプロを1回、Aプロをもう1回見るので、内容についてはゆっくりと解釈していこう。

またこの作品は「台詞」の強度が全てを支配する芝居と言っていいだろう。『AMERIKA』『城』などのカフカものは、むしろ台詞以外の部分が重要だったが、前回のシェイクスピアも含め、松本修の演劇的な関心が今「台詞」に向かっていることを伺わせる。
その点から言うと、まだ役者が完全に台詞を血肉化していない恨みは残る。しかし石村実伽は、悪戦苦闘しながらも、後半はかなりいい線まで行っていたので、最終日にどこまで成長しているか楽しみである。

なお斉藤ネコによる音楽も特筆に値する。先日手に入れた『城』のサントラは、聞くだけで切なくなるようなメロディに満たされていて、あの作品における音楽の重要性を再確認できるものだった。本作でも、美しい音楽が、観念的になりがちな内容に大きな叙情性を与えている。


最後は客席にいた唐十郎も舞台に出て挨拶。


まだ初日。未完成な印象はあるが、Aプロだけで全10回の公演を経た後、MODE版唐十郎劇がどんな形になることか、興味深い。


                     *


すでに半分以上書いた時点で、この芝居に関する思いがけない事態が起きたのだが、それをこの文章内で書くのは違うのではないかと思い、あくまでも最初に書くつもりだった内容で完成させている。その思いがけない事態については、Bプロか2回目のAプロ評で触れることになるだろう。


(2006年3月)

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Comments

ぼのぼのさん、はじめまして。
トラックバックありがとうございます。
私は22日の回を観たのですが、A・Bプロの違いや、初日との違いなど、ぼのぼのさんの書かれている記事を大変おもしろく読ませて頂きました。
またこちらにお邪魔させていただきますね。

Posted by: ANC | 03/27/2006 at 23:51

いらっしゃい、ANCさん。前にも『王女メデイア』でTBさせていただきました。僕もまたお邪魔させていただきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

Posted by: ぼのぼの | 03/29/2006 at 23:56

松本さん、カート・ヴォネガットでも芝居にしやぁすとえぇと思うんだけどね。

Posted by: breakaleg | 04/11/2006 at 21:04

ヴォネガットですか。「スローターハウス5」なんか、演劇にしたらいろいろな演出方法があって面白そうですね。

Posted by: ぼのぼの | 04/12/2006 at 00:57

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