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02/26/2006

【演劇】りゅーとぴあ能楽堂『マクベス』2006.2.20

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りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ『マクベス』
2006年2月20日(月)19:00〜 梅若能楽学院会館


最近、人生の残り時間があまり多くないことを痛切に感じ、今年の初めに幾つかの目標を立てた。
その一つに、昨年異常なほど減った読書量を増やすというのがある。もはや死ぬまでに読める本も限られている。気が向いた本を手当たり次第に読んでいくスタイルを改め、ある程度計画的に「読むべき本」を読んでいこうと思った。
そこで今年「読むべき本」に指定したのがチェーホフとシェイクスピアだった。共に十代の頃から好きな作家だったが、就職してからは日常的に読んでいるとは言えなかった。特にシェイクスピアは、もう十数年きちんと読んでいなかった。
しかし年をとればとるほど、その価値が理解できてくる。チェーホフは、しばらく前に自分の中でリバイバルブームがあって、昨年からしばしば読み返していた。さらに昨年の末にMODEの『冬のエチュード/シェイクスピア2005』を見て刺激を受けたこともあり、今年はチェーホフとシェイクスピアを、以前読んだのとは別の翻訳で読むことに決めたのだ。チェーホフは、1月に四大戯曲を読み返して研究本を一冊読んだところで小休止。今度はシェイクスピアに移って四大悲劇と『十二夜』を読み、今『ヴェニスの商人』を読んでいるところ。次の『ロミオとジュリエット』で一番メジャーな作品群は読み返したことになるので、まだ読んだことのない渋めの作品を続けて読んでいく予定だ。

これらは全て戯曲である。ゲーテの『ファウスト』のように、戯曲の形は取っていても、実際には書物として読む方が適している作品もあるが、チェーホフやシェイクスピアの戯曲は純粋に「上演台本」だ。活字で戯曲だけ読んでいても決してわからない部分が多々あるし、戯曲を読んだ後で芝居を見ると、芝居に対する見方もより深いものになる。そこからまた戯曲を読み直すと、新たな発見が山ほど出てきたりする。そんなわけで「チェーホフとシェイクスピアを読む」という読書計画は「チェーホフとシェイクスピアの芝居を見る」という副産物まで生むことになりつつある。
もちろん以前に彼らの芝居を見たことがないわけではない。それどころか今のように熱心に芝居を見るようになる前は、シアターコクーンあたりでやるチェーホフとシェイクスピアくらいしか演劇は見なかった。それが3年前から小劇場中心に熱心に芝居を見るようになると、古典的な演目はつい後回しになってしまった。その傾向を改め、これからチェーホフとシェイクスピアで面白そうな上演があったら、積極的に見に行こうと思っているところだ。


前置きが長くなった。そんなシェイクスピア強化年間の一環として、能楽堂で演じられる『マクベス』を見に行った。いろいろ言っている割には、e+のハーフプライス・チケットが発売されたから見に行ったのだが(笑)。


りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)が主催し、能楽堂でシェイクスピア作品を上演するシリーズ、『マクベス(初演)』『リア王』『冬物語』に続く第4弾。今回はマクベスに市川右近、マクベス夫人に市川笑也、マルカムに市川喜之助と、歌舞伎役者を揃えたことが話題になっていた。このシリーズの高い評判は以前から聞いていたので、見に行きたいとは思ったが、SS席8500円という決して安くない値段に躊躇し、諦めていた。それがe+のハーフプライス・チケットで半額の4250円+システム利用料300円=4550円になったので、見に行くことにした。

会場の梅若能楽学院会館に入ってみると、席は脇正面の最前列。左右で言えばちょうど真ん中辺り。これは相当良い席だ。なぜこんな席がハーフプライスチケットで出ているのか理解に苦しむ。メインの芝居を見る分には、さすがに正面席の方が見やすいことが多いが、橋掛りで行われる芝居もかなりあり、それは(斜め後ろを向くのが面倒ではあるが)脇正面の方がすぐ近くで見られる。どこで行われる芝居も総じて間近で見られるという点では、本当に良い席だ。最前列より少し下がった方が、より見やすいのかもしれないが、この能楽堂は傾斜が緩やかなので、最前列以外は確実に前の人の頭が邪魔になるはず。それを考えれば、やはり最前列がベストだろう。
能は千駄ヶ谷の国立能楽堂に何度か見に行ったことがあるが、いつも一番安い中正面席専門(笑)。梅若能楽学院会館は国立能楽堂よりもずっと小ぶりで、中正面席の数自体が少ない。中正面は、目付柱が時々邪魔になることを除けば、正面と脇のいいとこ取りで料金も一番安いのでお得だと思うが、今回の公演で、脇正面は脇正面で面白い見方が出来るものだと納得した。通は脇正面を好むというのも何となく理解できる。とは言え、さして広くはない空間なので、どこで見てもそれぞれに楽しめることは間違いない。


『マクベス』の中身だが、能楽堂で演じられると言っても、芝居自体はほぼストレートプレイで、台詞が謡になっていたり、演者が能面を着けていたりするわけではない。それでも能楽堂という場の発する磁力は強烈で、見ていると能に通じる様式美をあちこちに感じる。セットは皆無であるにも関わらず、役者の演技とほんのわずかな小道具だけで豊かなイマジネーションを生み出すところも、能に共通する特長だ。


決定的に駄目な点を一つ、先に上げておこう。
マクベス役の市川右近、まったく駄目。救いようもなく駄目。
この人、名前だけは前からよく聞いていたが芝居を見るのは初めて。まさかここまで魅力のない役者だとは思わなかった。何から何まで違う。あの丸っこい顔も体型も、猛将マクベスのイメージにはほど遠い。
ルックスは持って生まれたものだから仕方ないとしても、あの台詞回しはひどすぎる。モゴモゴベチャベチャした話し方で、一音一音が非常に聞き取りにくい。主役の台詞が一番聞き取りにくいというのは、ある意味凄い話だ。
それにも増して許せないのは、あの語尾。他の役者が「なぜ○○なさるのだっ」「…だと言うのか!」と歯切れの良い話し方をする中、この人だけは「なぜ○○なさるのだあ」「…だと言うのか〜」(最後の「あ」や「〜」は下がり気味)という具合に、全ての語尾がダラダラと締まり無く流れていく。これがどうしようもなく気持ち悪いし、一人だけ浮きまくっている。
歌舞伎の台詞回しの名残だと思うが、同じ歌舞伎役者でも笑也と喜之助はあんな話し方はしない。もっと歯切れ良く、聞き取りやすい話し方をしている。なぜ右近だけあんな話し方なのだ。演出家はあのおかしな台詞回しを事前に矯正できなかったのだろうか。万が一あれが狙いだとしたら、完全に外している。『ヴェニスの商人』のシャイロック役なら、あの違和感を生かせたかもしれないが、マクベス役であれはない。あんなてれてれとした締まりのない話し方をするマクベスなど絶対に嫌だ。右近マクベスには、どこを切っても武人らしさのかけらも見いだせない。
さらに言えば、他の人たちが人物の内面を理解することで外面を作り上げる現代的な演技をしているのに対し、右近だけは「型」としての外面を演じているように見える。それがいかにも中途半端で、「型」を作り込むことで内面が浮かび上がってくるというレヴェルには達していない。おかげで「人生はたかが歩く影法師、哀れな役者だ、出場のあいだは舞台で大見得を切っても、袖へ入ればそれきりだ」というような名台詞さえ、ちっとも心に響いてこない。


では良い点は無いのかと言うと、とんでもない。市川右近以外は全て素晴らしい(笑)。主役は全然駄目だが、それ以外の要素が全て良くて、総体的にはとても見事な芝居となっている…こういう作品も珍しい。

中でも一番素晴らしいのは3人の魔女! これだけで右近のマイナスを埋めて余りある。普通は老婆の姿で描かれる魔女たちだが、ここでは衣装も白、顔も白塗りの日本人形のような少女たちとなっている(役者の実年齢は少女ではないようだが、役柄としては明らかに少女)。しかもその動きはからくり人形を模したもので、動くたびにカチカチとゼンマイが回るような効果音が響く。手に持った笹がカサカサと鳴る音も非常に効果的。そんな魔女たちの姿は、『ツィゴイネル・ワイゼン』や『ピストル・オペラ』といった鈴木清順の映画を彷彿とさせる。これこそ日本ならではの怪奇様式。彼女らが、それぞれに台詞を喋ったり、一斉に同じ台詞をハモったりするところは本当にゾクゾクする。

見ていて「ああ、この魔女たちを家に置いておきたい」と思った。
家に帰ると、白装束に身を包んだ魔女たちが、あのからくり人形のような動きで笹をカサカサさせながら、あちこちから集まってくる。
魔女1「ご主人様、ご主人様、ご主人様」
魔女2「それほどお疲れではないが、ずっとお疲れの方」
魔女3「あまり幸せではないが、幸せを生み出すお方」
魔女全員「お帰りなさいませ!」

そんな家に、私は住みたい。

え? 趣味悪いですか?(笑)

最初3人だった魔女は、途中から6人に増え、時には他の役も兼ねたりする。またバンクォー役の谷田歩や、ダンカン役の菅生隆之が、本来の役で死んだ直後に別の役に移行する場面もある。特に谷田歩は、首を絞められた赤い紐をずっと首に巻いたまま、別の役を演じていたりする。つまり最初は生者たちに囲まれていたマクベス夫妻が、次第に死者に囲まれていくわけだ。これがとても不気味だ。

『マクベス』という戯曲の解釈、上演の仕方は様々だ。僕はどちらかと言うと、この物語におけるマクベスの主体性を重視している。最初こそ魔女にそそのかされたものの、あとは道を踏み外してしまったマクベスが「運命よ、こうなったら徹底抗戦だ」の台詞どおり、自らの意志によって修羅道を突き進んでいく悲劇だ。同志とも言うべき夫人を失った後、マクベスが意を決して悪に徹する姿には、道徳的な価値とは別の、運命に立ち向かう人間の荘厳さと悲壮さを感じてしまう。
しかしこの作品の解釈はそれとは正反対で、魔性の者たちに翻弄された人間の悲劇に重点が置かれている。物語の行く末を決める舵取りは、あくまでも魔女たちの手に委ねられており、マクベスは操り人形に過ぎない。必然的に、この作品ではマクベスよりも魔女たちの方が印象強く描かれることになる。原作ではワンシーン登場するだけのヘカテが、6人の魔女のボスのような存在として全編に登場し、彼女が観客に呪いをかける仕草をして幕切れという演出は象徴的だ。先に書いたとおり、生者が次第に死者に入れ替わっていくところも不気味だし、全編を覆うムードは怪談そのもの。シェイクスピアというより、『雨月物語』meets『ツィゴイネル・ワイゼン』と言うのが一番端的な感想だ。古典の解釈として、これはこれで一つの正しい姿だろう。
武人らしくない市川右近をマクベス役にしたのも、おそらく巨大な暗黒の力に翻弄される人間の弱さを表現したかったからだと思う。先に上げた「運命よ、こうなったら徹底抗戦だ」の名台詞がカットされていたのも、そのせいだろう。しかし元々気の弱そうな人間が魔性の者に翻弄されるより、知性も力もある立派な人間が知らず知らずのうちに地獄に堕ちていく方がよりドラマチックだし悲劇的だろう。しつこいようだが主役の右近だけはミスキャスティングだったと思う。


もっと能の様式を大胆に導入した芝居を見たい気もしたが、和風にアレンジされた『マクベス』として、これはこれで大成功だろう。前から評判が高かった理由もよくわかる。夏に上演される『オセロー』もぜひ見てみたい。しかしハーフプライス・チケットであれだけ良い席が取れるとなると、次はどのタイミングでチケットを買うべきか悩むところだ(笑)。また、久しぶりに能楽堂に足を踏み入れて、あの不思議な空間の磁場にも魅了された。少し先の話だが、6月に千駄ヶ谷でやる『鵺』が面白そうだから、見てみようかな…


なお僕にとっての『マクベス』は、黒澤明の映画『蜘蛛巣城』が一つのスタンダードとなっている。そのため「マクベス=三船敏郎」のイメージが強い。前に見た蜷川幸雄の舞台でも、唐沢寿明のマクベスに「どう見てもただのいい人。野望に燃える感じがまったく出ていない」と不満を抱いてしまった。今度の市川右近は、三船とは対極にある軟弱なマクベス。そのため一層違和感が募った部分もあることは、最後にお断りしておく。それこそ唐沢マクベスしか見たことがないような人なら、右近マクベスをすんなり受け入れてしまう可能性もあるだろう。


http://www.ryutopia.or.jp/shakespeare/index.html


(2006年2月)

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Comments

はじめまして。風知草のとみといいます。トラバありがとうございました。
観劇歴は長く,マイ・ファーストマクベスは,平幹二郎丈&板東玉三郎丈のものでした。以来傾向は変わらず,お二方を,体力とお小遣いの続くかぎり拝見する覚悟でございます。
で,マイスタンダードマクベスは平幹丈です。
運命の魔女の吊り人形という設定は好きです。運命と切り結ぶギリシャや悲劇風ももっと好きです。
細々とではありますが,感性を総動員して観劇しておりますので,よろしかったらお立ち寄りコメントなど頂戴できましたらありがたいです。
前売り券を買わなかった理由は貴公と同じです。

Posted by: とみ | 02/26/2006 22:22

★ぼのぼの様
TBありがとうございました。早速TB返しをさせていただきましたm(_ _)m
高校時代に山本圭のハムレットを観て以来、舞台で観てからシェイクスピアが好きになり脚本も読むようになりました。
今は蜷川シェイクスピアの舞台はなるべく観るようにしております。たしかに唐沢寿明のマクベスは大竹しのぶの夫人の添え物くらいにしか感じなかったです。昨年の『天保十二年のシェイクスピア』でもあまり気に入らず、どうも舞台での唐沢くんがいいと思えないようです。映画やTVではけっこういいなと思うのですけれど。
今回の能楽堂シリーズは注目していてやっと観ることができました。脇正面最前列で観たのですが、それと同じような席が半額で出ていたとは...。確か追加公演の分ですね。まあカンパのつもりで8500円払っちゃいました。
右近への超辛口の評価はまあ仕方ないところがありますね。口跡の悪さは私もずっと気にしてましたから。
栗田氏の舞台はこれが2回目でした。今後もこのシリーズは要チェックだと思います。今回のようなキャストでない公演もマークしていくつもりです。
★とみ様(横から失礼m(_ _)m)
>マイ・ファーストマクベスは,平幹二郎丈&板東玉三郎丈...羨ましい限りです。玉三郎デズデモーナは観たのですが、マクベス夫人も評判でしたよね。観てみたかったなあ(遠い目)。

Posted by: ぴかちゅう | 02/27/2006 00:15

当ブログへのTBありがとうございました。
トラバ返しさせて頂いたのですが、
反映されてないようです。

でも、ココログ遅いことがあるので、様子見てみます。

魔女の皆さんはひとりを除き、高校生だそう。
ビックリしました~。若いとは思っていたけど、
19歳くらいから25歳以下くらいかな~と
勝手に思っていたので。

逆に、その若さだからこそ、演出家の意図に素直に沿って
きっちりと出来たのかもしれません。
役者としての自意識や自我(無自覚の領域でだとしても)
に、損傷されることなく…

素晴らしい造形でしたね。

右近さんのがマクベスであったことについては
ぼのぼのさんとは真逆の感想で、
今回のこの舞台については
良かったな~と思っています。

打掛?ガウン?マント風な
着物の裾の捌きや、身体の向きを変える際など
右近さんに倣って(たぶん)
歌舞伎的な「間」で動くことがあり、揃って綺麗だったし

√脳味噌出せば人は死ぬ~
で、魔女たちの操られるあたりでは、
歌舞伎役者の肉体、「型」の基礎があるからこその、
美しい所作と感じていました。

「人生はたかが歩く影法師、哀れな役者だ、
出場のあいだは舞台で大見得を切っても、
袖へ入ればそれきりだ」
の科白も、事実役者であるその人が言うことと
物語りの科白であることの二重写しが
彼の、たくさんの舞台を観ている者としては
数え切れないほどの回数の
舞台の終演の都度、
黒い暗幕の張られた袖に引っ込む、役者の孤独
あるいは孤高を思わずにいられませんでした。

それは、ひとり右近さんに限らず、
でも、この芝居では右近さんの表出するものを通じて
猿之助さんのことを想ったり、
あるいはすべての、この舞台の袖に下がる
役者さんの想い感じたり。

科白はそうですね~
ノッてくると、こもりがちになるのは欠点かもしれません。
これは古典歌舞伎をしているときでも。


今回が初マクベスであり、
シェークスピア劇も観てこなかった私にとっては、
特に、マクベスの「雛形」がないので、
これから、
いろんな解釈や演出の舞台を観たいな~とも思ってます。

とりあえず、能楽堂で貰ったチラシの中に
外国の劇団?の案内があったようだったけれど
3月国立の観劇などと重なり日程が合わず見送りです。

Posted by: yaya | 02/27/2006 01:52

#とみさん

風知草の方でコメントをさせていただきました。今後ともよろしくお願いいたします。


#ぴかちゅうさん

同じ席、定価で買われましたか。どうもすみません(^_^;)。
蜷川シェイクスピアは、見たいことは見たいのですが、毎回チケット代が高いため、ほとんど見送っています。『マクベス』で苦い思いもしているし(笑)。しかし山本圭のハムレットとはまた渋いなあ…

確かに今後もこのシリーズは要チェックですね。定価で買うかハーフプライスを狙うかはともかく、毎回行くことになるような気がします。


#yayaさん

トラバ、大丈夫だったようですね。

>魔女の皆さんはひとりを除き、高校生だそう。
>ビックリしました~。若いとは思っていたけど、
>19歳くらいから25歳以下くらいかな~と
>勝手に思っていたので。

え? そうだったんですか? それは僕もビックリ。パンフを買わなかったので、チラシの写真を見て「ああ、実は大人なんだ」と思ったのですが、それだったらまだ十分少女と呼べる歳ですね。しかし一つ一つの所作に隙はなく、みんなとても高校生には見えなかったな〜。

右近に関しては、やはりあの台詞回しだけはどうも…というところです。「武人らしくない」という点については、「魔性の力に翻弄され、破滅するマクベス」というテーマについて考えていくに連れて、それほど気にはならなくなってきましたが。

『マクベス』でしたら、とりあえず本文中でも触れている、黒澤明の映画『蜘蛛巣城』をご覧になってみてはいかがでしょう。今回の右近とは対極にある、三船敏郎の武闘派マクベスをご覧になれば、僕が「こんなマクベスは嫌だ!」という拒否反応を起こした理由もお分かりいただけるのではないかと思います。逆に今回の右近が初マクベスだとすると「あんな強面のマクベスは嫌だ!」と言われてしまいそうですが(笑)。
また今回の舞台とはかなり違った形で能の様式を色濃く取り入れた映画ですから、その点からも見比べてみると面白いと思います。

Posted by: ぼのぼの | 03/01/2006 00:04

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