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12/30/2005

【演劇】MODE『冬のエチュード/シェイクスピア2005』2005.12.22&12.25

etudes

MODE『冬のエチュード/シェイクスピア2005』
2005年12月22日(木)19:00〜/12月25日(日)19:00〜 シアターブラッツ


MODE/松本修が初めてシェイクスピアを題材に取り上げた作品。スタイルとしてはシェイクスピア劇のワンシーンが幾つも並んだオムニバスで、その合間に井手茂太振り付けのダンスや座談会、役者の独白によるシェイクスピア論などが入ってくる。衣装はすべて現代のもの。セットは椅子とベンチ、そして張りぼての柱が数本だけ。それらをエピソードごとに移動して、使ったり使わなかったりする。

解説によれば、松本修が15人の出演者に「裏切り」「嫉妬」などのキーワードを与え、各人がそのキーワードを表現するために演じたい場面を持ち寄り、最終的に松本が全体の構成を手がけるというワークショップ形式で作られたらしい。実に手間と時間がかかる、しかし役者にとってはやり甲斐のありそうな創作方法だ。


取り上げられたシェイクスピア作品だが、見てすぐに分かったのは全体の7割程度。具体的には『ハムレット』『オセロー』『マクベス』『リチャードIII世』『ジュリアス・シーザー』の5作品。他に『アテネのタイモン』『トロイラスとクレシダ』という、やけにマイナーな2作品が入っていたようだが、見ている間は何と言う作品かまったくわからなかった。また前述の5作品も隅々まで覚えているわけではないので、知らない作品を基にしたエピソードだと思ったのが、実は『リチャードIII世』の一場面だった…という可能性もある。
また『ハムレット』の解体文学(戯曲)として知られるハイナー・ミュラー作『ハムレットマシーン』の影が、台詞の端々から感じられた。そして山田美佳が延々と本の朗読をする場面があるが、その内容は明らかにシェイクスピア作品ではない「小説」だった。あれが何だったのかも気になる。つまり純粋なシェイクスピア作品だけでなく、シェイクスピアにまつわる他の文学も、素材やモチーフとして使用されているわけだ。座談会では、チェーホフとシェイクスピアの比較論まで語られていた。


全体的に言えば、非常に面白く、興味深い作品だった。

エピソードごとに、かなりのムラがあるのは確かだ。やはり原典を知っている作品と知らない作品では、どうしても後者の分が悪い。ただし一番最後の山田美佳を中心としたエピソードなど、原典を知らないにも関わらず、台詞の一語一語が実に面白くて惹きつけられた。素材が全てではなく、あくまでも料理の方法と腕次第ということだ。

もし「これがMODE版シェイクスピアの決定版だ」と言われたら、首を傾げることになるだろう。だが上演の形態にせよ内容にせよ、本作が「今MODEがシェイクスピアを上演するには、どんな方法があるのかを探るための実験作」であることは明らかだ。その観点からすれば、面白いエピソードや刺激的なエピソトーはもちろん、退屈なエピソードや空回りに終わったエピソードさえ、大きな意義を有している。松本修自身もプログラムで「これまでにないやり方でシェイクスピアを舞台化するためのヒントはいくつか見つけられたように思える」と書いている。うまくいった部分もいかなかった部分もすべて引っくるめて、この実験は成功だったと言っていいだろう。


以下、印象に残ったことを幾つかランダムに。なおプログラムには、15人の役者の名前は書いてあるものの、役名が書かれていないので、石村実伽、山田美佳、中田春介以外は名前と人物像が一致しない。その点は悪しからず。せめて一番主な役だけでも書いておいてもらえると有り難いのだが。


合間に挟まる井手茂太振り付けのダンスだが、今回は舞台が狭く人数も少ないため、いつものような群舞の楽しさには欠けていた。だがその分、役者一人一人の個性に合わせて振り付けをしたかのようなパーソナルな匂いがして、それはそれで悪くない。特に中田たちが気怠いジャズをバックに踊ったダンスは、今までにない雰囲気で魅力的だった。
ただカフカものでは、ダンスがストーリーの中に組み込まれて場面転換の役割を果たしていたのに対し、今回はエピソードとエピソードをつなぐ役割が特に見いだせなかったため、良いアクセントにはなったが、ダンスシーンが存在する必然性は希薄だったと思う。あるいはあの振り付けも、シェイクスピアの作品からモチーフを得ているのだろうか?


初日と楽日の2回見たが、大筋は変わらないものの幾つか変更があって、どの辺がアドリブかわかったのが興味深かった。座談会のシーンなど、キーとなる幾つかの部分は同じだが、細かな展開は出演者に結構自由に喋らせているようだ。
石村実伽の『マクベス』(マクダフとマルカムのやり取り)に対する突っ込みのシーンも同様。初日は「あそこは別の作家が書いた部分。そんなシーンを取り上げるなんてシェイクスピアをわかってない証拠」と言っていたのに、楽日では「いや、その説はもう古くて、あそこはシェイクスピアの手になるものだ」と切り返されていた。これはやはり後者が正しいのだろうか?
そして視覚的に初日から最も変化したシーンと言えば、『マクベス』(三人の魔女のシーン)の前に、山田美佳がいきなり黒い下着だけになって着替えをするところだ。どう考えても、あそこで着替えを見せる必然性はないと思うのだが、観客へのサーヴィスか? ならばクリスマスプレゼントとして有り難くいただいておきます。


すでに述べたように、座談会ではシェイクスピとチェーホフの比較論が語られていて、チェーホフ好きとしては非常に興味深かった。抽象的な発言も多かったが、チェーホフの唯物論的な側面(まず肉体ありき)に対する言及には「なるほどなあ」と思わず感心。


役者の独白では、「シェイクスピア劇で重要なのは、場面ごとのドラマチックな効果であり、現代劇のようにキャラクターの性格や心理に首尾一貫したものを求めるのはお門違いである」というような言葉が、かなり衝撃的だった。
そうか、シェイクスピア劇ではキャラクターの心理的な矛盾は気にしなくて良かったのか。それを聞いて、マクベス夫人の突然の狂乱に対する長年の疑問が、ようやく解決した。あれはあくまでも劇的な効果を狙ったものであり、性格や心理の側面から「あそこで彼女が突然発狂する理由がわからない」などと言ってはいけなかったのね。そこまであっさり言われると、何だか笑いがこみ上げてくる。昔だったら「そんな馬鹿なことがあるか」と憤ったかもしれないが、それを「さもありなん」と受け止められるようになったのは、歌舞伎や文楽と言った日本の古典芸能に接するようになったおかげだろう。この点について思うところを述べ始めると切りがないのでやめておくが、ともあれ目から鱗が落ちる発言だった。


最大のご贔屓女優、石村実伽について述べよう。彼女が主要な役割を果たすエピソードは『ハムレット』『マクベス』『リチャードIII世』の3つだ。
『ハムレット』ではハムレット役。昔だったら得意の男の子演技で、少年のようなハムレットを演じたかもしれない。だが大人の女性としての魅力に溢れた今の石村が、女性のままハムレットを演じているため、どこか宝塚っぽい雰囲気になっている。王様役の男優がももひき姿で歯を磨いているなどコミカルな味付けが施してあるので、面白くは見られるが、そこに作品の本質を射抜くような批評性が感じられないのが残念だ。極端に言うと、これだけではバラエティ番組のコントと大きくは変わらないのではないか。
『マクベス』は、中田春介たちの突っ込みが本当だとすれば、石村がぜひやりたいと言って実現したエピソード。金髪のカツラとヤンキーな衣装に身を固めた彼女が踊り狂うところから始まる。確かにはじけた演技ではあるが、『ハムレット』と同様、奇をてらった趣向が作品の本質に迫る批評となっていないため「だから何なんだ」と言う気がしないでもない。むしろ普通の演技をしている場面、例えば「スコットランドももう終わりだな〜」という台詞回しなどに魅力が感じられた。
だがこのエピソードは、続く中田たちの突っ込みシーンとセットで考えるべきだろう。そこまで含めると、パロディに対する批評が『マクベス』そのものへの批評にもなるという面白い構造を有していて、全編の中でも特に印象深いエピソードとなっている。
しかし一番驚いたのは『リチャードIII世』だ。特に変わった趣向はなく、石村とリチャード役の男優が、椅子に座ったままストレートな芝居をするだけなのだが、恐ろしいほど妖艶な雰囲気を醸し出している。石村がシックな黒いドレス、男優がトレンチコートのような衣装を着ているためか、ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』やリリアーナ・カバーニの『愛の嵐』といった映画を思い出した。前のいじくり回した『マクベス』があることで、こちらのストレートな芝居がよけい際だって見える。特にひねったりパロディにしなくても、シェイクスピアをストレートに演じるだけで、これだけの魅力を出すことも出来る…その代表的なエピソードと言っていいいだろう。石村実伽の演技の上手さが発揮された、素晴らしい場面だ。


そして『唐版 風の又三郎』で鮮烈なデビューを飾った山田美佳。最初と最後に彼女が登場することからも、松本修の彼女への入れ込みぶりがわかる。
最初の方では今ひとつ生彩を欠いているのだが、その後関西弁で台詞を喋るようになると、急に生き生きしてくるのが可笑しかった。関西弁でシェイクスピアというアイディアは、もうどこかでやられているとは思うが、実際に目の前で見たのは初めてだったので、かなりのインパクトがあった。『マクベス』の三人の魔女のシーンは特にそう。こういう場面を見ていると、やはり関西人には生まれながらにしてお笑いの血が流れているのではないかと思いたくなる。
だが最後のエピソードは、笑いも関西弁もない、暗くてシリアスなものだが、シェイクスピアの名台詞を堪能できる素晴らしいシーンだった。シリアスなエピソードでは、これと石村の『リチャードIII世』がベストだろう。
次の『唐版 俳優修業』ではレギュラー中心のAプロ(MODE)と若手中心のBプロ(mode)の二つに分かれて同じ芝居をやるらしい。ビリングでは、石村実伽がAプロの、山田美佳がBプロの、それぞれトップに来ている。やはり松本修は、これから石村実伽と山田美佳のWミカをMODEの看板女優として打ち出していくつもりなのだろう。まだまだ危なげなところもあるが、未知の巨大な可能性も感じられる山田が、石村にどこまで肉薄していくか注目しよう。MODEを見る楽しみがまた一つ増えた。


途中、石村実伽と山田美佳、そしてもう一人名前がわからないがとても綺麗な女優が3人でダンスを踊るシーンがある。『唐版 風の又三郎』で石村と山田に共通する匂いがあることを指摘したが、その名前のわからないもう一人の女優も、明らかに一本の線で結ばれた魅力を持っていた。ヘアスタイルが『AMERIKA』の頃の石村にそっくりなせいもあるだろうが、例えば山田美佳の代わりに占部房子を加えれば、その類似性はさらに明白になる。
これを下世話な言葉で言えば「松本修の好きなタイプがよくわかる」ということになるが、もう少し高尚な表現をすると、松本の中には「女優のイデア」とでも言うべきものが、非常に明確な形で存在するのではないだろうか。そのイデアを100%体現できる女優は存在しない。だがその内の数十%ずつを石村や山田が体現している。各人の体現する部分は違っているが、元となるイデアは同じだから、必然的にどこか共通する匂いを感じさせる…そんなことではないだろうか。3人の美女が踊る様を見ながら、僕はその向こうにある「松本修にとっての女優のイデア」を見いだそうと目をこらしていた。イデアが目に見えるはずはないのだが…


MODEで一番好きな男優、中田春介も実にいい味を出していた。『城』ではミスキャストの感があったが、今回は彼の持つ男の色気、卑近さ、ユーモアといった個性がよく生かされていて大いに満足。男優女優を含め、台詞を一番自然に話せていたのは、この人だと思う。特に山田美佳たち三人の魔女を相手にした『マクベス』では、コメディ演技で思いがけない魅力を発揮していた。
男優ではもう一人、名前がわからないのだが、ハムレットの王様やリチャードIII世を演じた人がとても魅力的だった。


他の若い俳優たちについては、膨大な台詞を話すのに精一杯で、それ以上の感情表現まで手が回らない人もいた。だが最終日には皆かなりの進歩が見られたので、今後に期待していいいだろう。そう言えば初日は、石村を除く全員が台詞を噛みまくりで凄かった(石村は1回か2回程度)。


様々なエピソードが、様々な手法で演じられ、多くの情報や解釈や批評が飛び交う作品。語り出せばいくらでも語るべき事はある。

そんな風に見終わって何かを語りたくなる芝居が、悪いものであろうはずがない。

決して完成品とは言えないが、むしろ未完成なるが故に多くの魅力をはらんだ作品でもある。


この作品を種子として、いずれ『AMERIKA』や『城』のような大作が生まれることだろう。その日が待ち遠しい。


(2005年12月初出)

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