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11/07/2005

【音楽】クイーン+ポール・ロジャースはなぜ成功したのか?〜来日リポート終章

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「クイーンがポール・ロジャースをヴォーカルに迎えてライヴ活動を再開する」というニュースが流れたとき、どれだけの人がそれを本気にしたことだろう? 以前にもジョージ・マイケルやロビー・ウィリアムスをヴォーカルに迎えて再活動という噂が出ては消えていたし、どうせまたその類の噂だろうと、多くの人が思ったはずだ。

それが紛れもない事実であることがわかったとき、どれだけの人がこのバンドの成功を予測しただろう? 両者の熱烈なファンである僕ですら、「なぜポール・ロジャースなんだ?」と首をひねったものだ。

確かにポール・ロジャースは「最高のヴォーカリスト」だが「クイーンにとって最高のヴォーカリスト」ではないはずだ。ポールはブルースフィーリングに溢れた黒っぽい歌い方が持ち味。しかしクイーン(特にフレディ・マーキュリー)は、あの時代のハードロックバンドとしては異例なほどブルース色が薄い。フリーの「Fire And Water」や「Be My Friend」を歌うフレディが想像できないのと同じように、ポールが歌う「Bohemian Rhapsody」や「We Are The Champions」など、あまりぞっとしない話だ…多くの人が、そう思ったことだろう。


だがクイーン+ポール・ロジャースという名義で活動を始めたこのバンドは、各地で精力的にライヴをこなし、9月には『Return Of The Champions』という驚くべきライヴアルバムを発表した。そこに収められていたのは、ポールが歌うことによって新たな息吹を与えられたクイーンナンバーの数々。そしてクイーン組の演奏によってオリジナルよりも遙かにパワーアップしたフリーとバッド・カンパニーのナンバーだった。曲によって出来不出来に多少のばらつきはあるものの、フレディの在籍時を凌ぐ演奏さえ幾つも見受けられた。その完成度は、オリジナル編成クイーンの集大成とも言える『Live At Wembley '86』と甲乙を付けがたいほどだった。

そしてついに実現した来日公演も、CD化されたシェフィールドでのライヴに勝るとも劣らぬ出来。クイーン+ポール・ロジャースというバンドに懐疑的だった人々をも熱狂させる素晴らしいステージングを見せてくれた。その模様はすでに4日分のリポートに書いたとおりだ。


そのリポートを締めくくるにあたり、やはり一つ書いておかなくてはならないことがある。


音楽的に合うはずがないと誰もが思ったクイーンとポール・ロジャースのコラボレーション。


それが何故これほどの成功を収めたのだろう?


                         *


最初に、フレディがこの世を去って以来、クイーンというバンドがどのように変化したかを確認しておこう。

主なポイントは次の4つだと思う。

1.クイーンナンバーのスタンダード化
2.「ロック(ハードロック)バンド クイーン」というイメージの強調
3.ステージにおける分厚いコーラスの再現
4.シリアスなフレディ・マーキュリーの偶像化

以下、詳しい解説。


1.クイーンナンバーのスタンダード化

この10年ほどの間に、クイーンナンバーは最新のヒット曲としてではなく、様々な場面でBGMやテーマ曲として頻繁に使われるようになった。その広がり具合はロックという範疇を遙かに超えたもので、ビートルズにも匹敵する。
一番わかりやすい例は、スポーツの試合で「We Will Rock You」「We Are The Champions」が使用されるようになったことだ。最近のファンは昔からそうだったのではないかと思うかもしれないが、それは間違い。あの2曲がここまでスポーツのテーマ曲として扱われるようになったのは、フレディが死に、バンドが活動を停止して以降のことである。
各種コマーシャルでの楽曲使用も同様。フレディ存命中に、クイーンの曲がCMソングとして使われることなど、ほとんどもしくは全く無かったことだ。
日本では、キムタク主演のテレビドラマ『プライド』で楽曲が使用され、それに連動した編集アルバム『Jewels』が大ヒットとなり人気再燃…ということになっているが、それはあくまでも最終的な引き金に過ぎない。リアルタイムで彼らの活動を知らない若者たちも、この10年ほどの間にクイーンの楽曲をあちこちで耳にしており、クイーンの音楽に対する潜在的な需要は十分に高まっていた。そこへ彼らの楽曲をコンパクトに聞けるアルバムがリリースされたことで、あれほどの大ヒットを記録したのだ(『Jewels』は2004年度の年間洋楽チャートNo.1に輝いた)。


2.「ロック(ハードロック)バンド クイーン」というイメージの強調

これはフレディの死後、クイーンミュージックの管理と継承を行ったのが、実質的にブライアン・メイだったことと深く関わっている。
ジョン・ディーコンはだいぶ前に音楽業界を引退した。ロジャー・テイラーは活動を続けていたが、ソロではクイーンとは違う音楽性を獲得しようと模索していた。
それに対してブライアン・メイのソロは「一人クイーン」以外の何ものでもなかった。しかも彼が継承したのは、中期以降のポップな楽曲ではなく、初期や後期のハードロックだった。元々ハードロック志向の人だから当然の成り行きだろう。フレディ・マーキュリー・トリビュートに招待されたガンズ・アンド・ローゼズ、メタリカ、デフ・レパード、エクストリーム、トニー・アイオミといったアーティストの顔ぶれを見ても、ブライアンの意向が相当強く働いたことは間違いない。
最初のソロライヴではコージー・パウエル+ニール・マーレイという百戦錬磨の最強リズムセクションを従え、レインボーなどに近い古典的ハードロックを繰り広げていた。そこで披露されたクイーンナンバーも、もちろん「Now I'm Here」「Hammer To Fall」「Headlong」などのハードロック主体だ。
そしてフレディの死後に出た最初の編集アルバムは『Queen Rocks』という、クイーンの中でもロック色の強い作品ばかりを集めたもので、当然ほとんどがブライアンの楽曲だった。
そんなブライアンの苦労の甲斐あって(?)この10年ほどの間に、クイーン=伝説的ロックバンドというイメージが定着した。クイーンがロックバンドなのは当たり前だろうと言われるかもしれないが、少なくとも僕がリアルタイムで彼らの活動に接していた'80年代前半〜中盤のヒット曲は「Another One Bites The Dust」「Crazy Little Thing Called Love」「Body Language」「Radio Ga Ga」「I Want To Break Free」「A Kind Of Magic」など、ほとんどが王道的なロック、少なくともハードロックというイメージからかけ離れたものだった。そしてフレディのソロ『Mr. Bad Guy』も、彼が当時大好きだったティアーズ・フォー・フィアーズなどの影響をもろに受けたエレクトロポップ中心だった。
大雑把に言って『Jazz』から『A Kind Of Magic』までの時期、クイーンは明らかにロックを離れ、ポップスやダンスミュージック、ブラックミュージックの世界に接近していた(ただしライヴでは、ポップな曲でも思いきりダイナミックなロックに変貌する)。だからもっと以前からのファンは、この辺りでクイーン離れを起こしてしまったのだ。その中でクイーンを執拗にロックにつなぎ止めようと孤軍奮闘していたのがブライアン・メイだった。
今やクイーンナンバーの中で「Bohemian Rhapsody」と並んで最も有名なのは「We Will Rock You」だろう(日本では「I Was Born To Love You」もか)。しかしそれもここ10年ほどの話であり、少なくとも'80年代において「We Will Rock You」が今のようなロックアンセムになっていたという事実はない。クイーンを象徴するナンバーとして「We Will Rock You」を前面に押し出し、そのタイトル自体を一つのメッセージに昇華することで、ブライアンは「ロックバントとしてのクイーン」を強く世間にアピールしたのだ。


3.ステージにおける分厚いコーラスの再現

フレディ存命中のライヴは、基本的に4人のメンバーだけでやっていたため、あの分厚いコーラスを再現するのはほとんど不可能だった。'85年のライヴで「Somebody To Love」が始まったとき、それが一体何の曲なのかしばらくわからなかったほどだ。当時のライヴは、レコードの音を忠実に再現するよりも、大胆にアレンジを変えて、ライヴならではのノリを生かすことに重点が置かれていたのだ。
だがフレディ・マーキュリー・トリビュートにおいて、彼らはジョージ・マイケルをリードヴォーカルに迎えて「Somebody To Love」を演奏。10人以上の聖歌隊をバックに付けることで、フレディ存命時を遙かに凌ぐ「Somebody To Love」をライヴで再現することに成功した。
その時ブライアンたちも気づいたのだろう。確かにフレディという唯一無二の強力なヴォーカリストは失った。だが代わりにコーラス隊を導入して、あの分厚いコーラスをステージで再現できれば、以前とは違った形でクイーンのライヴをやることができるかもしれない、と。
まずブライアンは、自分のソロライヴに二人の強力な女性ヴォーカルコンビを迎えた。ブライアン自身のヴォーカルも予想を超える上手さだったが、やはり単体として見ればフレディには及ばないし、出せない音域もある。それを補い、クイーンサウンドに新しい響きを導入するための起用だったのだろうが、これが驚くほどの成果を上げていた。
その後ブライアンとロジャーがクイーン名義で参加したエリザベス女王即位50周年記念コンサートやネルソン・マンデラ主催の「46664」コンサートでも、コーラス隊を大々的に導入することでフレディの穴を埋めていた。
その頂点にくるのは、言うまでもなくミュージカル『We Will Rock You』だ。本家ですらテープを流して誤魔化していた『Bohemian Rhapsody』中間のオペラティックコーラス部分を、人海戦術によって生で再現してしまったのだから驚きだ。
これらの相次ぐ成功によって、ブライアンとロジャーは「フレディがいなくても、多少スタイルを変えればクイーンの音楽を復活させることは決して不可能ではない。その重要なポイントとなるのはコーラスの再現だ」という確信を深めたのだろう。


4.シリアスなフレディ・マーキュリーの偶像化

もちろんフレディという人物にもクイーンの音楽にも、常にシリアスな部分は存在していた。だがそれが誰の目にも明白なメッセージとして姿を現すのは、『Hot Space』に収録された名曲「Life Is Real」が最初だと言っていい。以後はどのアルバムにも、社会的な内容や人生について思いを巡らせた歌が収録されるようになり、全編がフレディの遺言状とも言える『Innuendo』において、シリアスなフレディ/クイーン像は頂点を迎える。

だが古くからのファンなら誰もが知るとおり、それ以前のクイーンの音楽は、エンタテインメント至上主義とも言えるものだった。もちろん端から何も考えてなさそうな脳天気な音楽ではなく、人生の深い悲しみを知る者が、それでも精いっぱい明るい顔をして人生の享楽を味わおうとする「The Great Pretender」な世界ではあったが、表面的には馬鹿騒ぎのエンタテインメントであったことに代わりはない。
特に中期のフレディのブッ飛び方は生半可なものではなかった。最近のファンが真っ先に思い浮かべるフレディの姿は、ウェンブリーのライヴで右腕を高く掲げたポーズを決めたものだろう。しかしもう少し年季の入ったファンになると、ナチスのような格好をしてスーパーマンに肩車されたり、胸毛丸出しのピチピチレオタードでステージをはね回ったり、ひげを付けたまま女装して掃除をしたりと、シリアスなロックミュージックに喧嘩を売っているとしか思えぬ、フレディのあられもない姿が次から次へと浮かんでくるはずだ。さらに年季の入ったファンになると、長髪時代のフレディが印象強いかもしれないが、むしろその人たちの方がフレディのピチピチレオタードに大きな衝撃を受けたのではないだろうか。
ともかく'80年代前半までのフレディ・マーキュリーのイメージは、「歌は上手いし、誰にも書けない曲を書く。ただしヴィジュアル面では常人の理解を超えたセンスを持ったゲイの道化師」というようなものだったはずだ。今のように「迫り来る死と闘いながら最期まで歌を歌い続け、人生を完全燃焼し尽くした男」というシリアスなイメージなど微塵もなかった。

それがフレディの死後、大きく変わった。ジョン・レノンが凶弾に倒れた後、「愛と平和の人」というイメージが極端に肥大し、ジョンの持つ狂気やひねくれたユーモアが押し隠されてしまったのと同じである。
すでに述べた「ロックバンド クイーン」というイメージの強調も、クイーンをロックの保守本流に押し戻すことで、フレディとクイーンのシリアス化に一役買っている。そして'95年に出されたアルバム『Made In Heaven』は、「死と闘うフレディ」のシリアスなイメージを決定づけることになった。ミュージカル『We Will Rock You』においても、フレディはロックの自由を体現する闘士に祭り上げられている。彼は決して反体制的なミュージシャンというわけではなかったのだが…
そしてフレディがHIVという、今も大きな社会問題になっている病気で亡くなったことも、このイメージを強める役割を果たしている。彼が自らのHIV感染を公表したのは亡くなる前日であり、実質的には死後に病名が発表されたのとほとんど変わらない。「フレディがもっと早く病名を明らかにし、病気と闘う姿を世間に公表していれば、HIV患者の地位向上や社会的啓蒙にも役だったのに」と残念がる声が、少なからず聞かれたものだ。
だがいつの間にかフレディは「自らがHIVであることを公表し、残された人生を完全燃焼することで、同じ病気に苦しむ人々を励ました男」として英雄扱いされるようになってしまった。もちろん自分の病気を公表するか否かは個人の生き方の問題であり、それを他人がとやかく言う権利はない。だがやってもいないことで英雄として祭り上げるのは、さすがにいかがなものかと思うのだが。

そんなフレディとクイーンのシリアスな地位向上を示す最もわかりやすい出来事は、南アフリカとの関係改善だろう。'80年代前半、彼らは南アフリカのアパルトヘイトを象徴する街サンシティで公演を行ったことで、各方面から大きな非難を浴びた。特に同じミュージシャン仲間から激しい非難を浴びせられたのは、彼らにとっても大きなショックだったに違いない。
同じ時期、南アメリカで「I Want To Break Free」を演奏した際、フレディはプロモヴィデオと同じ女装で登場した(日本でもやっていた)。ところがこれを見た観客はバンドに大きなブーイングを浴びせ、ステージに物が投げ込まれた。女装がまずかったらしいと悟ったフレディはすぐに扮装をかなぐり捨て、普通の格好で歌い始めると、観客は熱狂し大合唱が湧き起こったという。実は圧政にあえぐ南米の人々の間で「I Want To Break Free」は、政治的な自由を希求するメッセージソングとして受け止められていたのだ(実際はラヴソングなのだが)。そんなシリアスな歌をふざけた女装で汚す行為に、観客は反発を示したというわけだ。これもクイーンというバンドが、いかに社会的・政治的な問題に無知だったかを示すエピソードだ。
だがそのような失敗を繰り返すことで彼らも多くを学んだのだろう。フレディ亡き後、残されたメンバーや関係者はフレディ・マーキュリー・フェニックス・トラストを設立し、HIVの予防と治療を始め、各種チャリティ活動を積極的に行うようになった。
そして2004年には、ネルソン・マンデラが主催するHIV患者救済コンサート「46664」において、ブライアンとロジャーがミュージカルディレクターに就任。巨大なイヴェントを見事に仕切り、クイーン名義での演奏も行った。かつてはアパルトヘイトを象徴する場所で演奏したことで唾棄されたバンドが、反アパルトヘイトの象徴であるネルソン・マンデラと手を組んで、南アフリカでHIV患者のためのチャリティイヴェントを行ったのだ。いかにもクイーンらしい、ドラマチックな出来事だ。もちろんこの時フレディはすでにこの世にいないわけだが、彼がHIVで命を落としたからこそ実現した繋がりであり、影の主役はやはりフレディであったと言える。

長くなったが、そのようにして、フレディ・マーキュリーというミュージシャンも、クイーンというバンドも、いつの間にかシリアスなメッセージを持った、ロックの代表的なアーティストに昇格していった。
むしろシリアスなロックをコケにするかのように、ピチピチのレオタードでステージをはね回り、「自転車 自転車 自転車に乗りたいんだ」と普通のロックミュージシャンなら思いついても絶対にレコーディングしないであろうブッ飛んだ歌を歌うフレディの道化じみた姿は、古くからのファンが時々思い出してはクスクスと笑うカルトなポジションへと後退していったのである。


                         *


もう十分すぎるほど長い文章だが、まだまだ終わらない(笑)

次にポール・ロジャースについて書いておこう。


4日間のリポートでさんざん書いたように、ポール・ロジャースは一般的な知名度こそ低いが、間違いなくロック史上1〜2を争う名ヴォーカリストだ。特にミュージシャン仲間からの評価は絶大なものがあり、最も尊敬するヴォーカリストとして彼の名を上げるミージシャンは、あのロッド・スチュワートをはじめ枚挙に暇がない。元ディープ・パープル/ホワイトスネイクのデヴッィド・ガヴァーデールを知っている人なら、彼のヴォーカルスタイルやマイクスタンドを使ったアクションが、すべてポール・ロジャースの物真似であることにすぐ気づくはずだ。

ミュージシャンが憧れるミュージシャン、ポール・ロジャース…今回初めて彼の歌声に触れ、その素晴らしさに打たれた人は、この機会にぜひフリーやバッド・カンパニーの音楽にも耳を傾けて欲しい。なぜ彼がミュージシャン仲間からそこまで大きな尊敬を受けるのか、嫌と言うほどわかるはずだ。オリジナルアルバムで1枚だけということなら、フリーの『Fire And Water』をお勧め。ただしフリーもバドカンも、強いアルバムコンセプトを持ったバンドではないので、各種出ているベスト盤で、曲数が多く音質の良さそうなものを選んでも一向に構わないと思う。


だが実際には、ポール・ロジャースがその実力と名声に見合う活動を行っていたのは、フリーがデビューした'69年から'70年代末までのせいぜい10年間に過ぎない。

特に'80年代に入ってからのポールは、音楽的にもセールス的にも成功から見放された日々が続いていた。オリジナル バッド・カンパニー最後のアルバム『Rough Diamond』は批評的にもセールス的にも失敗で、彼は創造性の衰えたバンドを脱退。'83年には初のソロアルバム『Cut Loose』を出すが、これも失敗作の烙印を押されてしまう。続いてレッド・ツェッペリンを解散した後低迷しまくっていたジミー・ペイジと、ザ・ファームを結成する。しかしこれも二人の音楽性が合わず、不評のアルバムを2枚出した後あえなく解散。'91年にはケニー・ジョーンズとザ・ロウというバンドを組むが、これも世間からは完全に無視される…といった具合。'80年代は彼にとって暗黒の時代だったと言っていいだろう。

そんなポールの起死回生の一発となったのが'93年に出した『Muddy Water Blues』だ。自身の音楽的ルーツであるブルースに原点回帰した作品だが、曲ごとにジェフ・ベック、ブライアン・メイ、スラッシュなどの豪華ギタリストをゲストに招き、充実したブルースロックを聞かせてくれた。セールス的にも久々のヒットとなり、ソロとして初の日本公演も実現(ニール・ショーンがギタリストとして同行)。フリーやバドカンのナンバーも連発する素晴らしいライヴパフォーマンスを披露して、ポール・ロジャース復活をアピールした。
そこまでは良かったのだが、後が続かない。続いて彼が出したのは、ジミヘンの曲だけを集めたミニアルバム、フリーやバドカンの名曲のセルフカヴァー集、そしてライヴなど、過去を向いた作品ばかり。これでは過去の遺産で食いつないでいると言われても仕方あるまい。『NOW』という新作を出したのは、ようやく'97年になってから。内容自体は良いものだったが、いささか遅きに失した。しかもこのアルバムを出した後の来日公演では、確かこのアルバムの曲をほとんど、あるいは全くやらなかったような記憶がある。今思い出しても、目に浮かぶのはフリーやバドカンの曲を歌う姿だけだ。
以後来日公演も途絶え、僕も「ヴォーカリストとしては凄い実力を持っているが、もはやポール・ロジャースに新しい音楽的展開を望むのは無理なのだろう」と思うようになった。'99年には『Electric』という新作を出したが、これもまったく話題にならず、僕もついに買わなかった(今、買おうかと思い始めている)。

以後まったく音沙汰が途絶えたと思ったら、いつの間にかオリジナルラインアップでバッド・カンパニーを再結成していた(バンド自体はポール脱退後も別のヴォーカリストを入れて活動を続け、アメリカでは結構売れていた)。しかしアルバムも出さぬ内に、今度はミック・ラルフスとボズ・バレルが脱退。それでも新メンバーを加えて活動を続け、ライヴアルバムを1枚出している。だがそのライヴアルバムの存在を知ったのは、今回の来日中。それほど再結成バドカンも大した話題にはならなかったということだ。ライヴはきっと盛り上がったに違いないが、新しい音楽性などは望むべくもなかっただろう。


ずっと書いてきたら、この人は本当にそんな凄い人なのか、だんだん疑わしくなってきた(笑)。

確かにポール・ロジャースは、ヴォーカリストとしては誰にも尊敬される存在だ。だが実に25年間にもわたって、その実力をフルに発揮できるバンドを組むことが出来なかったのだ。'70年代を上回る曲も書けなかったし、ヒットにも恵まれなかった。


そんな風にくすぶっていたポール・ロジャースだが、何しろ歌だけはやたらに上手いので、トリビュートコンサートのようなものがあると、しょっちゅうお声がかかる。

2004年9月、そんなコンサートの一つとして、彼はフェンダーストラトキャスター50周年記念パーティーに参加。「All Right Now」を歌う。ギターは久しぶりに共演するブライアン・メイだ。

その時彼は何かを感じたようだ。

そして2か月後、今度はミュージック・ホール・オブ・フエイム1周年記念でまたブライアンと再会する。
しかもそこにはロジャー・テイラーもいた。
3人は急遽「We Will Rock You」「We Are The Champions」そして「All Right Now」を演奏することになった。
最初はちょっとしたギグのつもりだったのかもしれない。
だがその演奏は今までにないインスピレーションを3人に与えた。
「ひょっとすると一緒に活動できるかもしれない」そんな思いが彼らの頭をよぎる。


唯一無二のヴォーカリストに先立たれた、偉大なるバンドのメンバーたち。

自分の実力に見合う強力なバンドと新しい音楽的展開に長い間見放されてきた、偉大なるヴォーカリスト。


両者は、お互いに欠けているものを補えることに気づいたのである。


                         *


話をもう一度クイーンの側に戻そう。


最初に述べたように、ポール・ロジャースはブルースをルーツとする黒っぽい節回しを得意とするヴォーカリストだ。常識的に考えれば、ブルージーなフィーリングが薄く、オペラの唱法に影響を受けたフレディの後任として、ポールはまったく似つかわしくない。


にも関わらず、なぜブライアンとロジャーはポール・ロジャースを選んだのか?


まずブライアンが言うとおり、ポールが決してフレディの物真似をしない人物だったからということがある。フレディに似た声質と唱法を持つ上手いヴォーカリストは他にもいるかもしれない。それこそミュージカル『We Will Rock You』のキャストから抜擢することもできただろう。
だがそれではどこまで言っても、しょせん「フレディの代役」でしかない。その人物が実際にはフレディ以上の歌唱能力を持っていたとしても、必ず「あの曲ではリズムのノリが悪い」だの「ユーモアに欠ける」だの「カリスマ性では遠く及ばない」だの、ありとあらゆる難癖を付けられてコテンパンに叩かれることは火を見るよりも明らかだ。
またそのようなヴォーカリストを起用すれば、フレディの亡霊から逃れることは永遠に不可能となり、何とか復活しても懐メロバンドとして生きる以外に選択肢は無くなってしまう。下手に新しいことをやろうとすれば、全てブーイングを受けることになるだろう。ブライアンもロジャーも、さすがにそれは嫌だと思ったに違いない。

それを避けるには、次のような条件を満たしたヴォーカリストを探すしかない。

・フレディとは違うタイプでありながら、フレディと同等以上に歌が上手い。
・クイーンの音楽性を継承しつつ、そこに新しい何かを付け加える才能がある。
・スタジアムライヴで観客を惹きつけるだけのカリスマ性を持っている。

こうやって書き連ねるのは簡単だが、そんな凄いヴォーカリストが簡単に見つかるはずはない。ほとんど不可能だと言っていい。

だが奇跡は起きた。


ポール・ロジャースというヴォーカリストのキングが、その大任を引き受けてくれることになったのだ。


確かに彼はフレディとは似ていない。その唱法は水と油ほどに違う。
だが実際にクイーンのナンバーを歌ってもらうと、何しろ天才的ヴォーカリストだから、力業で歌を自分のものにしてしまう。曲によって出来不出来はあるが、時間をかければ、全て自分の歌として消化してしまうに違いない。

「これならいける!」二人はそう思ったのだ。


だがそれだけではあるまい。


ここで先ほど上げた「フレディが世を去って以来、クイーンというバンドがどのように変化したか」という4つの項目に照らして、なぜポール・ロジャースだったのか? なぜクイーン+ポール・ロジャースがこれほどの成功を収めたのかを、考えてみよう。


1.クイーンナンバーのスタンダード化

これは別の言い方をすれば「フレディが歌わなくても、クイーンナンバーはクイーンナンバー」ということになる。今時誰がビートルズナンバーを歌おうが、「こんなものビートルズじゃない。ただのまがい物だ」と目くじらを立てる人間がいないのと同じようなものだ。

かつてクイーンナンバーはクイーン以外に再現不可能だと思われていた。とりわけフレディの個性があまりにも強すぎて、彼以外の人間が歌うクイーンナンバーが想像できなかったからだ。事実フレディの存命中にクイーンのカヴァーをするアーティストはほとんど現れなかった。
だがフレディの死後、様々なアーティストがクイーンのカヴァーに挑戦するようになった。その先陣を切ったのは、他ならぬクイーンのメンバーたちだ。まずフレディ・マーキュリー・トリビュートで、様々なゲストにフレディの代わりを務めさせた。大部分はオリジナルに遠く及ばず、フレディの並はずれた歌唱力を証明する結果に終わったが、それでも何人かは素晴らしい歌を披露した。言うまでもなく筆頭は「Somebody To Love」など3曲を歌ったジョージ・マイケルだ。しかもそのシングルが大ヒットした。これによって人々は「確かにクイーンの歌を歌いこなし、オリジナルと同等以上の作品に仕上げるのは難しい。だが絶対に不可能なわけではない」と気づいたわけだ。
それを残されたメンバーが後押しする。ブライアンもロジャーも、それぞれのソロライヴで、自分の作った歌を自分で歌い始めたのだ。特にブライアン・メイの歌とバンドの演奏は、コージー・パウエルらの助力もあって「クイーンの1/4」を遙かに超えるパワフルなものとなっていた。中でも破壊力抜群のハードロックと化した「We Will Rock You」「Hammer To Fall」の演奏は、本家を凌ぐものだったと言っていい。やはりこの手の曲を叩かせたら、コージー・パウエルの右に出るものはいない。
これに刺激を受けたのか、イギリスで大きな人気を誇るロビー・ウィリアムスをはじめ、様々なアーティストがクイーンのカヴァーを歌い始めた。日本でもジャズ・ヴォーカリストのケイコ・リーが「We Will Rock You」を、ポップデュオのキリンジが「Fat Bottomed Girls」(←ファンなら必聴)を歌うなど、意外なほどの広がりを見せ始めた。しかもそれらの出来がなかなかいい。単なるカヴァーではなく、「ああ、この歌をこんな風に歌うと、こんな意外な表情を見せてくれるんだ」という驚きを持っていた。
そして止めとなったのがミュージカル『We Will Rock You』だ。様々なタイプのヴォーカリストが、オリジナルとはかなり違うスタイルでクイーンナンバーを歌う。それでもクイーンらしい魅力が失われないことを、あの舞台が証明していた。

このような変化によって、フレディ以外の人間が歌うクイーンナンバーもありなのだという認識が、ファンの間にも少しずつ浸透していった。それによって、フレディとはまったく違うスタイルを持つポール・ロジャースのヴォーカルが受け入れられる下地が出来たわけだ。おそらく10年前だったら、ポールの起用はありえなかっただろう。それを可能にしたのは、ミュージカルを初めとする「他のヴォーカリストが歌うクイーンナンバー」が、広く人々に受け入れられたからに他ならない。


2.「ロック(ハードロック)バンド クイーン」というイメージの強調

そしてブライアンがポール・ロジャースに白羽の矢を立てた最大の理由はこれだと思う。早い話がブライアンがやりたがっている古典的なハードロックには、フレディよりもむしろポール・ロジャースの方が合うのである。

例えば「Tie Your Mother Down」。クイーンのライヴで常に重要なポジションを占める曲だが、僕はこの曲を本当に良いと思ったことが一度もなかった。「Now I'm Here」なども同様だ。フレディがこの手の曲を歌うと、彼のヴォーカルの良さが失われ、単調な印象になってしまう。ああいった曲をフレディが歌う必然性が見いだせないのだ。
だがクイーン+ポール・ロジャースによる「Tie Your Mother Down」は見違えるように素晴らしい。ポールの手にかかると、あの単調な歌メロにこれほど豊かな表情が与えられるのかと驚くばかりだ。この曲でライヴが本格的に幕を開けたとき、確かにブライアンたちの選択は正しかったのだと一瞬にして納得させられた。

旧来のクイーンを再現するだけなら、ポール・ロジャース以上の適任者はいたかもしれない。だがフレディがいないという現実をふまえて新しいクイーンを作り上げていくにあたり、少なくともブライアンはよりシンプルで正統派のハードロックバンドを思い描いていたはずだ。そのヴォーカリストとしてポール・ロジャース以上の適任者はいなかった。例えばジョージ・マイケルなら、ポップな曲はポール以上に上手いかもしれないが、彼の声はハードロック向きではないし、本人も歌いたがらないだろう。ついでに言えば、クイーンの演奏する「Wishing Well」や「All Right Now」は最高だが、クイーンの演奏する「Wake Me Up Before You Go Go」や「Careless Whisper」はあまり聞きたくない。

またブライアンもロジャーも、音楽的志向から見てフリーやバッド・カンパニーの曲が大好きだったことはまず間違いない。ポールの持ち歌である「All Right Now」「Wishing Well」「Can't Get Enough」などは、もはやフリーやバドカンの名曲などというものではなく、ロックの古典的名曲だ。以前から古いロックンロールナンバーをライヴで演奏していた彼らにとって、それらの曲を演奏することには何の異存もない。むしろクイーンの新しい魅力として、フレディの穴を埋める強力な材料になるだろう。とりわけ「All Right Now」は、「We Will Rock You」のように、会場全体が観客の合唱で埋め尽くされる強力なお祭りナンバーとなるはずだ…そんな計算もあったに違いない。


3.ステージにおける分厚いコーラスの再現

これはすでに述べたようにミュージカルの方に顕著な特徴だが、ライヴでも明らかにフレディ時代以上の強化が行われている。ベース/サイドギター/キーボードという3人のサポートメンバーが全員コーラスに参加できるので、最大で6人の声を重ねることが出来る。それと4回見てもはっきりわからなかったのだが、かなりキーの高い声がたまに聞こえたので、女性ヴォーカルのサンプリングも使われていた可能性もある。

むしろ不思議なのは、フレディ時代になぜバックヴォーカルを導入してコーラスを再現しなかったのかということだ。あれほどの大物になれば、ツアーの費用がかさむからという問題でもあるまい。リードヴォーカルを取る能力があるブライアンですら、あまりコーラスに参加しなかったのだ。むしろ積極的にコーラスの再現を拒否していたとしか思えない。

あくまでも推測だが、これはフレディがコーラスの再現に関心を示さなかったせいではないだろうか。ライヴではそんなことに縛りつけられるよりも、客とダイレクトに向き合って、より自由に歌ったり煽ったり、客に歌わせたりしたい。レコーディングされた曲を完璧に再現することよりも、音楽を通じて皆が一体化することの方が大切なんだ…彼はそう考えていたのではないだろうか。だからこそライヴエイドのように客が大勢いる場所では、いつも以上の巨大なヴァイブレーションを肌で感じ取り、あれほどの凄まじいパフォーマンスを行うことが出来たのだ。

しかしブライアンとロジャーは、すでに述べたようにぶ厚いコーラスの再現が新生クイーンの新しい魅力になりうると考えた。そこでポール・ロジャースと話しあったところ、コーラスの再現にも協力的だし、「The Show Must Go On」のようなオリジナルにはないコール&レスポンスのアイデアや、フリーのナンバーにクイーン流のコーラスを導入することで派手にパワーアップするアイデアも出てきた。この点からも、ポールはブライアンたちの理想に叶っていたというわけだ。


4.シリアスなフレディ・マーキュリーの偶像化

フレディ・マーキュリーにあってポール・ロジャースに無い最大のもの、それは「笑い」である。ポールは基本的に真面目なキャラクターだし、十代の頃から人生の苦みに溢れたブルースを歌ってきた男だ。奇妙な扮装とナルシスティックなアクションで道化を演じてきたパーティーマン、フレディとは別世界の住人だと言っていい。

しかし死後のフレディがシリアスなミュージシャンとして偶像化されてきたことが、ここでは有利に働く。

もしフレディがパーティーマンとしての生き方を極めたまま死んでいたら、ポール・ロジャースへの引き継ぎはイメージが違いすぎると言うことで困難になっただろう。ところが幸いにも、彼は最後に『The Miracle』『Innuendo』のようなアルバムを出し、「レオタードで歌い踊るゲイ」としてではなく「迫り来る死と闘いながら、最期まで歌を歌い続けた男」としてこの世を去った。最後の最後になって、フレディの方がポール・ロジャースの世界へ歩み寄ったのだ。これによってフレディからポールへの引き継ぎが格段に容易になったのである。

「The Show Must Go On」は、そんな二人の最大の接点とも言える歌だ。実際にはフレディの書いた曲ではないらしいが(確かロジャーだったと思う)、あれを聞いてフレディの生と死を思い浮かべぬ者はいない。と同時に、十代の頃からロックの世界で生き続け、一時は大きな脚光を浴びながら、長い間低迷の日々を送ってきたポールにとっても、あの歌のメッセージは強いリアリティを持っていたはずだ。フレディの魂の歌であると同時に、ポールの魂の歌ともなりうる「The Show Must Go On」…あの歌がライヴの最大のクライマックスになるのは当然のことだろう。


このように考えていけば、ポール・ロジャースがクイーンの歌を歌うための条件は十分に整っていたことになる。


                         *


もう一度話をポール・ロジャースに戻そう。


すでに述べたように、ポール・ロジャースの黄金期は'70年代末で終わりを告げ、以後四半世紀に渡って低迷の時代が続いていた。

『Muddy Water Blues』はかなりの好評を博したものの、'70年代のように頂点を極めたわけではないし、その後が続かなかった。ソロでバックを固めていたジェフ・ホワイトソーンらの演奏は手堅く、フリーやバドカンの曲は達者にこなしたが、それ以上の新しくパワフルな音楽を生み出す何かが欠けていた。このバンドでフリーやバドカンの歌を歌っているかぎり、安定した活動は出来る。だが本当にそこに安住していいのか?

そのバンドが崩壊した後、彼はバッド・カンパニーを再結成する。こちらは実際の音を聞いていないので何とも言えないが、元々バドカンの音楽性は時代より半歩後ろに下がったようなところがあるし、一度は創造性の衰えによって崩壊したバンドだ。'70年代と同じように素晴らしい音楽は演奏していたかもしれないが、'70年代以上に素晴らしい音楽や'00年代にふさわしい音楽を新たに作り出していたとは考えにくい。

50歳を過ぎたポール・ロジャースには、もはや自分の音楽人生の先が見えていたことだろう。それは決して悪いものではないにせよ、20代で瞬く間に頂点を極め、以後その遺産で食べている感は否めない。

だが今なお歌を歌わせたら世界一の男である。本当にこのままでいいのかという疑問は絶えず持っていたに違いない。

今自分に欠けているものは何なのか? それはフリーやバドカン時代に匹敵する新しい代表曲であり、自分のヴォーカリストとしての能力を最大限に引き出してくれるバンド…つまり創造性を刺激してくれるパートナーだ。

そんな相手が突然出現した。

ブライアン・メイである。

'93年の『Muddy Water Blues』でも共演したが、まだその時は機が熟していなかった。当時は二人とも自らのソロ活動に情熱を傾けていたし、ブライアンもクイーンの再編など考えていなかったことだろう。
しかしそれから12年の月日が流れ、二人の状況は変わっていた。はっきり言えば、二人ともソロ活動が暗礁に乗り上げていたのだ。
すでに述べたとおりポール・ロジャースは、安定はしているものの、もはやそれ以上のブレイクは望めない袋小路に迷い込んでいた。
ブライアン・メイも'98年の『Another World』以来ソロアルバムを出していなかった。この期間になぜ彼の音楽活動が停滞したのか詳しい事情は知らないが、新たな音楽的盟友となっていたコージー・パウエルの突然の死が要因の一つだったことは間違いないだろう。

ブライアン・メイがフレディとコージー・パウエルを失ったように、ポール・ロジャースも盟友ポール・コゾフを失っている。

こうして、信頼すべきヴォーカリストを失ったギタリストと、信頼すべきギタリストを失ったヴォーカリストが、ついに手を結ぶことになったのである。


とは言え、それがまったく新しいバンドではなく「クイーン」の名を冠することが決まったとき、ポール・ロジャースも相当悩んだに違いない。
いくら「世界一のヴォーカリスト」という名声はあっても、セールス面での成功では、クイーンに遠く及ばない。イギリスではクイーンは完全な国民バンドである。いくら「+ポール・ロジャース」と並列にしたところで、吸収合併というイメージは避けられない。ましてやフレディ・マーキュリーというカリスマ的人気を誇る人物がヴォーカリストだったバンドだ。彼の歌を歌うことになれば、何をどうやっても叩かれることは間違いない。
また現在もポール・ロジャースを支持しているような熱心なファン、とりわけフリーのファンには、クイーンを色物系のコマーシャルバンドと見下している者が少なくない。クイーンと手を組み、クイーンナンバーを歌うことになれば、そのようなコアな支持層からも愛想を尽かされる危険がある。

仮にこのコラボレーションが失敗しても、ブライアンとロジャーは「やはりフレディの代わりは誰にも務まらないことがわかった」などと言って、それとなくポールに責任を押しつけることが出来る。だがポールは「最初からうまくいくわけないとわかりきってるのに、何故あんな馬鹿なことをやったのかねえ。やはり金目当てだったのか?」と言われ、クイーンファンからもフリー/バドカンファンからも軽蔑の眼差しを受けて終わりである。またフレディの歌を歌いこなせなければ、「世界一のヴォーカリスト」という称号さえ失うことになる。

ポール・ロジャースにとっては、まさに一か八かの賭けだ。

しかもその賭に勝つ確率は極めて少ない。

なぜ彼はこんなにも危険な賭けに出たのだろう?


いや、むしろ危険な賭けだったからこそ、彼はこの話に乗ったのではないか。

すでに述べたように、最近のポールに欠けていたものは新しい刺激だった。自分の中に眠っている才能をフルに発揮する素材として、クイーンナンバーへの挑戦は打って付けのものだ。自分とまったくタイプが違うとは言え、同じヴォーカリストとして、ポールもフレディの才能は十分すぎるほど理解していたことだろう。原曲の良さを壊さないように歌いこなしつつ、どこまで自分らしいカラーを出すことが出来るか…それはヴォーカリストとして自分に劣らぬ才能を持ち、世間一般の名声においては自分を遙かに凌ぐフレディ・マーキュリーへの挑戦でもあったはずだ。その挑戦に勝つことが出来れば、彼は今度こそ自らがロック・ヴォーカリストの最高峰であることを高らかに宣言できるのだ。

かと言って自分と根本的に合わない音楽、魂が込められない音楽をやっても仕方がない。しかし表面的にはまったく別物のように聞こえるクイーンナンバーも、根っこの部分はやはりブルースの血を引くロックミュージックだ。華やかなアレンジの下に隠されたブルースの遺伝子をピックアップして新しい解釈を施せば、自分自身の歌として十分に消化できる。ましてやライヴでは、フレディ作曲の歌は最小限に抑えられ、ブライアンとロジャーの作品が中心になる。シンプルなハードロックであるブライアンの曲は、バドカンと通じる部分も多く、消化することはいともたやすい。ロジャーの歌もなせばなるだろう。今回は参加しないがジョン・ディーコンの曲は、あとの二人以上にブラックミュージックの要素が強く、これならフレディよりもうまく歌いこなせるはずだ…


確かに危険な賭けだが、自分の能力を最大限に生かせば必ずできる。

ポールはそう確信したに違いない。


「窮鼠猫を噛む」という言葉がある。追いつめられれば、ネズミでもネコに反撃を企てるのだ。ましてやポール・ロジャースはヴォーカリストのキング、ネズミどころかライオンだ。自らを断崖絶壁に追いこんだ百獣の王が、一体どれほど恐ろしい力を発揮することか…それをまざまざと見せつけてくれたのが、今回のライヴだった。

このような人物がフロントに立っていたのだ。

初日に感じた「ポール・ロジャースと、そのバックバンドを見たみたい」という印象は当然のことだったのだと、今にして思う。


                         *


クイーン+ポール・ロジャースはなぜ成功したのか?


4つの項目を中心に説明したように、フレディの死後、クイーンというバンド、クイーンの音楽が少しずつ姿を変え、ポール・ロジャースのようなタイプのヴォーカリストを受け入れる体制が整えられていたためだ。

そしてさらに決定的な要因は、自ら背水の陣を敷いたポール・ロジャースが、ヴォーカリストとしての才能をフルに発揮したためだ。


これによって、フレディ・マーキュリー無くしては成立しえないと思われたクイーンの音楽が、新たな生命を得て甦ったのだ。

それはもちろんフレディ時代のクイーンとまったく同じものではない。だが音楽的な完成度は勝るとも劣らないもので、むしろ以前と違う部分が新鮮な魅力につながっている。


ボクシングに多少なりとも興味がある人なら誰でも、モハメド・アリとジョージ・フォアマンの名前を知っているだろう。

「蝶のように舞い蜂のように刺す」と言われた華麗なテクニック、そして「ほらふきクレイ」とも呼ばれる派手な言動で知られたモハメド・アリは、世界ヘヴィー級チャンピオンの座にいたが、ベトナム戦争への従軍を拒否して、'67年にタイトルを剥奪されてしまう。'70年にようやくリングに復帰するが、それまで敗北知らずだった彼が2回も敗北を経験し、もはやボクサーとしての盛りは過ぎたものと思われた。
'74年、アリは再びヘヴィー級の王座に挑戦する。敵はアリよりも7歳若く、凄まじい強打で知られたジョージ・フォアマンだった。ほとんどの人がアリの敗北を予想した。だが彼は頭脳的なプレーでフォアマンを翻弄し、ついにマットに沈めてしまう。「キンシャサの奇跡」だ。こうしてモハメド・アリはボクシング界の生きる伝説となった。

一方アリに敗れたフォアマンはその後も復調せず、3年後にボクシングを引退して牧師となった。

普通ならここで終わりである。これだけで終わっていれば、フォアマンの名は「史上屈指の強打を持つチャンピオンとして名を馳せたが、'74年キンシャサでモハメド・アリに破れ、王座を明け渡す」という具合に解説され、彼自身の業績よりもアリ伝説の有名な敵役として後世に名を残すことになっただろう。

ところがフォアマンの人生はそれでは終わらなかった。

引退から10年後、彼は突然リングに復帰する。復帰当初はまだぶよぶよに太り、ろくな試合はできなかったようだ。'90年代に入るとタイトル戦に2回挑んでいるが、いずれも判定負けを喫している。

しかし'94年、彼は復帰後3度目のタイトル戦に挑む。相手は17歳以上も若いマイケル・モーラーだ。そして第10ラウンド、フォアマンはモーラーをマットに沈める。KOパンチは、かつて自分がアリに倒されたのと同じ右ストレートだった。

実に20年もの歳月を経て、フォアマンは王座に復帰した。

その時45歳、ヘヴィー級チャンピオンとしては史上最年長だ。宿敵アリはとうの昔に引退して、パーキンソン病に苦しんでいた。そのアリに破れて表舞台から姿を消したフォアマンは、誰もが無理だと思った奇跡の復活を成し遂げたのだ。


そんなモハメド・アリとジョージ・フォアマンのドラマチックな人生、どちらがより感動的だろうか?


決まっている。

両方とも感動的だ。

感動の質は違う。

だが感動の大きさ自体はほとんど変わらない。

そして我々観客は、幸運なことにその二つの感動をどちらも享受できる立場にいる。


もう言うまでもないと思うが、今僕の中ではモハメド・アリの姿がフレディ・マーキュリーに、ジョージ・フォアマンの姿がポール・ロジャースに重なっている。

あくまでもフレディのいるクイーンに固執し、クイーン+ポール・ロジャースを否定するファンは、アリの人生にのみ感動し、フォアマンのような人生には何の興味もないのだろうか? 
クイーン+ポール・ロジャースは、純粋に音楽的な見地から見て、明らかにオリジナルのクイーン以上、あるいはフリーやバドカン以上と思われる部分がある。そんな彼らの音楽を頑なに拒否するのは、自ら作り出したフレディへの思い、あるいはポール・ロジャースへの勝手な固定観念に囚われているだけではないだろうか? 
それによって素晴らしい音楽を聞き逃すのみならず、今リアルタイムで進行している大切なドラマまで見逃してしまうのは、あまりにもったいない。


華麗なヴォーカル、カリスマ的なパフォーマンス、そして道化じみたキャラクターを兼ね備えたフレディ・マーキュリーは、もう二度と現れないであろう異色の天才だった。
ファンならば誰もが彼の早すぎる死を悼み、彼が二度とクイーンのステージに立てないことを悲しんでいる。

しかしフレディは死んでも、残されたメンバーの人生は続いていく。

その中でクイーンの音楽をどのように受け継いでいくべきかは、いろいろな考えがあるだろう。

フレディの死と共にクイーンの幕を閉じ、歴史の1ページとするのも一つの方法だ。最初はブライアンたちもそう考えていただろうし、ファンもそれを望んでいたはずだ。

しかしポール・ロジャースとの出会いが、それを変えた。

ポールはもちろんだが、ブライアンとロジャーにとっても、今回のクイーン+ポール・ロジャースの結成は大きな決断だったに違いない。あそこまで完璧なエンディングを迎えたクイーンの歴史に新たな章を付け加えるのだ。よほどの勝算がないかぎり出来るものではない。

彼らの選択は正しかった。ポール・ロジャースは予想以上の力を発揮して、「クイーン+ポール・ロジャース」というバンドを、かつての「クイーン」とは違う魅力を持った新バンドとして、第一線に引き上げてくれたのだ。


現在ポール・ロジャース55歳、ロジャー・テイラー56歳、ブライアン・メイ58歳…政治家や企業経営者、あるいはクラシックの演奏家としてなら脂ののりきった年齢かもしれないが、ロックの世界では普通なら過去の遺物だ。昔のヒット曲を演奏して地味に食いつないだり、引退してバーの経営でもやっていておかしくない。特にポール・ロジャースは、前者の世界にほとんど足を踏み入れていたのだ。

しかし3人は、クイーン+ポール・ロジャースという新バンドを結成し、自分たちの音楽に新しい息吹を与えることに成功した。そして20年ぶりに、日本の土を踏み、素晴らしいステージを披露してくれた。

50代後半になってからの大きな挑戦に、彼らは勝利を収めたのだ。

そんな彼らの勇気と才能に、心から拍手を送りたい。


                         *


クイーン+ポール・ロジャースは、これから先どうなるのだろうか?

このワールドツアー一回かぎりの打ち上げ花火として終わる可能性もないわけではない。

幸い彼らはツアーの終了後、スタジオ入りして新しいアルバムを作りたいという意向を漏らしている。口ぶりからしてまだ決定事項ではないようだが、ライヴであれだけ素晴らしい演奏を披露し、興行的にも大成功を収めているのだから、十分に可能性はあるだろう。ぜひとも期待したいところだ。

もちろん不安を感じさせる先例もある。
例えばジミー・ペイジ/ロバート・プラントは、レッド・ツェッペリンの楽曲に新たな解釈を施したアルバム『No Quater』がヒットし、ツェッペリンナンバーで構成されたツアーも大好評だったが、ニューアルバムとして作られた『Walking Into Clarksdale』は今いちパッとせず、尻すぼみ的に活動を停止することになってしまった。
ザ・フーも'80年代初めの解散以後、折にふれては再結成しライヴ活動を行っているが、もう20年以上スタジオアルバムを出していない。

かつて作り上げたものが素晴らしければ素晴らしいほど、それと同等以上ものを作り上げることは困難になる。

ではクイーン+ポール・ロジャースがスタジオアルバムを作ったとして、それはかつてのクイーンやフリーの作品に匹敵するものになりうるのだろうか?

困難ではあるが、不可能ではないと思う。

先述のジミー・ペイジ/ロバート・プラントであれば、優れたサポートメンバーはいるにせよ、主役はあくまでもあの二人。逆に言えば、ペイジとプラントは二人だけでツェッペリンの遺産と対決しなくてはならない。だがそれではジョン・ボーナムとジョン・ポール・ジョーンズがいないだけ不利だろう。ザ・フーも同様で、相変わらずピート・タウンゼントだけが曲作りを担当するのでは、若くてエネルギーに溢れた過去の自分に勝つことは難しい。どちらも若い頃の自分たちと闘うための、新たなエネルギー源が不足しているのだ。

だがクイーン+ポール・ロジャースにおいては、一見水と油のように見えたクイーンとポール・ロジャースの間に、予想以上の化学反応が起きている。ポール一人だけでは、良質だが地味めのアルバムが出来てしまうだろう。ブライアンとロジャーだけでは、フレディとジョンがいないことで「半分クイーン」に終わってしまう可能性がある。
しかしその両者が刺激を与えあい、お互いの才能を引き出すことが出来れば、クイーンともフリーともバドカンとも違う、新しい名曲・名盤を作り上げることは決して不可能ではないと思う。

クイーン+ポール・ロジャースが、互いの全盛期に劣らぬニューアルバムを作り上げ、再び日本にやってきてくれることを期待しよう。


クイーンとポール・ロジャース、両方の熱烈なファンとして、本当にいい夢を見させてもらった。

どうかその夢を、これからも続く現実に変えておくれ。


素晴らしいステージに加え、50代になっても新たな挑戦を忘れない勇気を見せてくれたポール・ロジャース、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーに、あらためて感謝を捧げたい。


いつか必ずまた会おう。


(2005年11月初出)

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Comments

こんばんは
どこぞの雑誌の受け売りでなくご自身の言葉による洞察、最後まで一気に楽しく拝見させていただきました。
いままで愛情を持ってクイーン、ポールを見てこられたのがひしひしと伝わってきます。
僕がこの春、このニュースを聞いた時
「ああ、これはイチゴ大福だ」とBlogに書きました。
最初は誰も合わないと思ったけど意外と合うじゃんと(笑)
(このユニットで)たぶん続けると思いますよ。
新譜が楽しみですね。
ジョン・ディーコンには悪いけどベースのダニー・ミランダは本当にいいです。
教科書のようなベースを弾いてます。
ではまた

Posted by: 泡盛父さん | 11/08/2005 00:30

TBありがとうございました。
まるで論文のような洞察の深さと文章力に感動しております。

Q+PR、本当にQUEEN (Brian+Roger)とPaulの持ち味が良い方に共鳴しあうコラボレーションですね。
私はFreddieは好きですが、「Freddieが好きだからQUEENが好き」な訳ではなかったので、ほとんど抵抗なく受け入れられました。

彼らのオリジナル・アルバム作成が実現することを心底期待しています!

Posted by: 千里 | 11/08/2005 12:46

 コンサートレポートとともに、興味深く読ませていただきました。特に、今回の総括は読んでいてモニタがにじんできてしまいました。
 私はジョージ・マイケルがいいかも派だったのですが、総括を読んでいて、なぜ、ポール・ロジャースだったのか納得しました。素晴らしいライブレポ&総括をありがとうございました。
 ちなみに、初日のライブの後、オリジナルのWishing Wellを聴いたのですが、今回のテイクの方が圧倒的に好みでした。

Posted by: 朱権 | 11/09/2005 00:29

一気に読ませてもらいました。とてもおもしろい記事でした。自分はバドカン、フリーの順で曲とバンドを知ったものです。久しぶりに聴きなおしたいと思っています。10/26ライブでの「カンパニィ~」の声で身震いしたのですがもし新作が出たら是非ゲットしたいし、そのバンドが成功することも願っています。ポールロジャースのことをすごく尊敬している人がいることを知って感激しました。ありがとうございました。

Posted by: Tommy | 11/09/2005 09:52

私も読んでいてウルウルきました…
フレディ死後にクイーンを知った身としては何度も同時代を生きられなかったことを悔やんだりしたものですが、
今回のライヴはまさにリアルな歴史でした。今まで生きてきてこんなにもその一瞬が素晴らしいと感じたことはなかったですね。
神様サンクス。

それにしても素晴らしいレポです。

Posted by: RS | 11/14/2005 23:10

驚きました。

「ポール・ロジャースとその豪華なバックバンド」
ダイ・ハードなQUEENファンの私がまさに初日を終えて得た素直な感想でした。

こちらに書かれているレポート、まるで私の脳と感情の壷の蓋を開け、中身をそのまま活字にされたのではないかと思うほど、ほとんどの場面で貴殿と同じような印象を持ちました。

ダイハードなQUEENファンと言ってはみたものの、ホットスペース以降その音楽には興味を失って再燃したのはフレディが亡くなった後でした。それに比べフリー、バドカンは細々とではありましたが常に私の傍らに存在していたのです。そんな両者のコラボレーション、まるで夢のような話でした。
ヨーロッパのツアー中私の懸念はただ一つ。
「ポールが、QUEENファンがほとんどを占めるであろう観客の在りように嫌気がさして’や~めた’といち抜けたにならないだろうか」それに尽きました。このツアーは日本に無事たどり着くだろうか・・・。ヨーロッパまで足を伸ばすべきではなかったか。

そして迎えた初日、長年のファンであったにもかかわらず、ポールの生歌は初めて。席はQUEEN英国ファンクラブの計らいで取ったアリーナ最前列、もう私の期待は盛り上がり放題でした。ところがA3ブロック左端の席の私は頭上のスクリーンとスパイクの背中しか見えない!(後日H.I.Pにはクレームを伝えましたが)
それでもポールの歌はすごかった!その素晴らしさは耳を疑うほどでした。スタジオテイクより断然ライブの方がいい。声に艶があり情感が込められていて本当に心を揺さぶられました。(バッド・カンパニーが聴けるとは思っていなかったのでポールが弾き始めたとき本当に涙が出てしまいました)
とりわけ「Feel Like Making Love」はその後花道のフェンスにもたれてポールを見ながら聞くことができましたが、今まで経験したことがないと思えるほど心に響く表情と歌声でした。

来日公演が始まる前、仲のよい数人のQUEENファンにフリーとバドカンのアルバムから好みの数枚を焼いてあげ、さりげなくライブで彼の曲をも盛り上げよとの指令を出しておりました。私はといえば、もちろん彼の楽曲ではQUEENのそれよりさらに大きな声で歌った訳ですが、ここでひとつ・・・必ずしもみんな歌ってなかった訳ではないんですよ。ポールの曲は女性には声を張り上げ難い音域だったんです。中途半端で。だから一生懸命歌ってもそれほど響かないんです。

そして数回の経験から最終日の福岡では私もポールにメッセージ・ボードを用意し、花道脇からポールに見せました。彼は丁寧にそれを読むと私に投げキッスをくれたんですよ。
余談になりますが福岡ではライブの後、ポールと話すことができました。そして私はステージの下でも彼の人となりに感激してしまったんです。

話は少々脇道にそれましたが、今回のライブではフリーの楽曲を演奏するブライアンの嬉しそうな表情も印象的でした。本当に楽しくってしようがないといった様子で。
このツアーでもうフレディとフレディのいたQUEENにはさよならして良いのではないでしょうか。そうしたからといって、誰もフレディを忘れたり、愛情が薄くなったりしないんだから。
才能もエネルギーも意欲もあるミュージシャンが生きているんだから、新しいアルバムに取り組んでほしいです。

長くなりました。
最後になりましたが貴方のレポートにもまた感動しました。

Posted by: Yoko | 11/17/2005 14:46

初めまして。素晴らしい記事です。
深い洞察に敬意を表したいです。
「ポール・ロジャースはジョージ・フォアマン」に同意です。
このユニットの今後の展開に期待したいですね。
TBさせていただきます。

Posted by: bongokid | 11/19/2005 21:38

 トラックバックありがとうございました。本当に素晴らしいライブでしたね!
 記事を読み、何故今回のポールとのジョイントが抵抗なく受け入れられたのか納得できました。ハードな初期のクイーンを愛するオールドファンとしては、感動また感動のライブでした。
 今後とも読ませていただきます。よろしくお願いします(^^)

Posted by: せり | 11/20/2005 11:30

お初です。検索で飛んできました。
いきなり失礼とは思いますが、事実関係にひとつ違いがあるので・・・・。

>『NOW』という新作を出したのは、ようやく'97年になってから。内容自体は良いものだったが、いささか遅きに失した。しかもこのアルバムを出した後の来日公演では、確かこのアルバムの曲をほとんど、あるいは全くやらなかったような記憶がある。

これは事実ではありません。
日本公演の地点では、「NOW」はまだリリースされていなかったのです。
(まだ録音中だった)
したがって、演奏しなかったのもむべなるかな、と。
私が観た札幌公演では、「今度リリースする新作から」とMCをして、「NOW」のナンバーを数曲演奏しました。

老婆心ながら・・・・

Posted by: コソ(-フ) | 11/22/2005 00:20

はじめまして。

念のため今調べてみましたが、やはり記憶に間違いはないようです。

まず『NOW』が出たのは1997年1月1日です。
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A006140/VICP-5815.html

そして僕が見た公演は、この方と同じ1997年5月24日のクラブチッタ公演です。
http://www.bremen.or.jp/hemmi-m/concert02.html#paul

おそらくコソ(ーフ)さんは、その前年の来日と混同されているのではないでしょうか。

ただ上の方の曲目評が正しいとすれば、「ほとんど、あるいはまったくやらなかった」どころか、5曲もやっていたことになります(笑)。この点は明らかな間違いですね。一番好きな「Heart Of Fire 」をやってくれなかったのが、記憶の中で拡大解釈されてしまったのかもしれません。 
だがそれにしては、『NOW』の曲の演奏が、見事なほど記憶に残っていない… あの時の公演は、初めて聞けた「Run With The Pack」に尽きるという印象です。

Posted by: ぼのぼの | 11/22/2005 00:54

あれ? なぜか前のコメントで直リンが出来ている(笑)。

Macの場合、今までココログではどうしても直リンが出来なかったのだが…なぜ今回はできたのだろう??

Posted by: ぼのぼの | 11/22/2005 01:06

すいません。
私の完全な勘違いです。
ご指摘の通り、96年のツアーの話だと思っていました。
というか、97年に来日していたのを知らなかった・・・・・(あるいは、忘れているのか?)

心より、お詫びいたします。
申し訳ありませんでした。

Posted by: コソ(-フ) | 11/22/2005 08:10

いや、コソ(ーフ)さんのおかげで「97年のツアーで、ニューアルバムの曲をほとんどやらなかった」というのが、僕の記憶違いであることがわかりました。感謝しています。

Posted by: ぼのぼの | 11/23/2005 18:59

はじめまして。misaと申します。
私も今回のクイーン+ポールロジャースのライブへ、さいたま初日と横浜二日間行きました。
横浜二日目は、ぼのぼのさんと同じブロックの席だったんですよ(^v^)
今回のライブでポールロジャースにすっかりハマってしまいました。
CD買いまくってます!

これからも素晴らしい記事を楽しみにしています。

Posted by: misa | 11/23/2005 22:49

コンサートとは全然関係ない話でとても恐縮ですが、このサイトにはとても詳しい方が多数いらっしゃると思い書いてみました。当時(70年代)バドカンの「キャントゲットイナフ」とグランドファンクの「サムカインドオブワンダフル」(だったけなぁ)がとても曲調が似ているという話題があったような気がしたのですが、誰かそのことについてご存じの方がいらっしゃれば投稿お願いします。

Posted by: Tommy | 12/02/2005 09:08

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