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07/09/2005

【本】『新耳袋』シリーズ  幽霊の孤独に一粒の涙を

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『新耳袋』の新刊、それも最終巻がもう出ているはずだと気づき、ネットで調べると案の定6月に出版されていた。木曜の夜に本屋で購入。金曜の夜に読み終えた。江戸時代に根岸鎮衛が書いた元祖『耳袋』に倣って、第十夜(第10巻)でこのシリーズは終了となるそうだ。

『新耳袋』とは、木原浩勝と中山市朗の二人が全国から取材した怪異譚のシリーズだ。各巻に99話ずつ収録されており、全て実話だという。
もちろん僕も990話全てが実話だとは思っていない。著者によれば、実際に収集した話は1万数千もあるが、大部分は明らかな勘違いや創作であり、それらをはぶいた中から怪談として成立しうるものだけを厳選して収録したそうだ。それでも中には、「うん?」と首を傾げる不自然な部分や、実話にしては出来すぎではないかという怪しい匂いを感じる話がけっこうある。

しかしそうやって怪しげなものをはぶいていっても、「これは確かに現実に起きた事だろう」という強い説得力を持ったエピソードが、少なからず残ることになる。

幽霊などの超常現象について、僕は消極的肯定派だ。なぜ「消極的」かと言えば、幾つかの非日常的な体験はあるものの、明確に幽霊だと言えるものは見ていないし、この本に収録出来るほどはっきりとした体験もしていないからだ。しかし自分の貧弱な体験を通じても、「直感」によって、まだ常識として認知されていない何かの存在を感じる事が出来る。もちろんその直感が間違いだという可能性もあるが、自分が納得できる形で間違いだと否定する証拠が出ない限り、自らの直感を信じたいと思う。「今現在科学的に証明されていないものは存在しないものだ」などという人間も世の中にはいるようだが、そんな「非科学的」と言うよりは「反科学的」な人間につける薬はない。歴史や科学の本質を少しでも見通す目があれば、そんな傲慢な考えが出てくるはずはないと思うのだが。

しかし一般に「幽霊」と呼ばれる現象はあるとしても、それが現実にどのような性質を持った存在なのか、いわゆる死後の世界が存在するのかは、全て推測の域を出るものではない。
だから日常的には、死後の世界は無いものと考えて生きている。仮にそのような世界があったとしても、肉体を離れて別の存在になる以上、死後の生はいずれにせよ今とは全く別の性格を帯びたものになるはずだ。生まれ変わりがあるとしても、今現在の記憶を失うのであれば、いわば自分は死んで自分のクローンが生きているのとあまり変わらない。ヘタをすれば、自分の子どもが自分の遺伝子を引き継いでいるのと同じレヴェルかもしれない。確かにそれによって自分の一部は生き残るだろうが、決して「自分自身」が生き続けるわけではない。いずれにせよ、今自分が生きているこの生は今回限りで終わる…そう考えるのが順当だろう。


話がそれた。ここで書きたいのは、あくまでも『新耳袋』の感想と、それに触発された自分の思いだ。その前提として、僕が霊的なものの存在を原則的に信じているということを言いたかっただけだ。ここで幽霊の存在を声高に主張したり、死後の世界について議論したりするつもりは毛頭無い。


というわけで『新耳袋』だが、このシリーズを初めて読んだのは確か4年前。すぐにそれまで出ていた全巻を集め、以後毎年6月か7月の新刊を楽しみにしてきた。


このシリーズが素晴らしいのは、すでに述べたように、少なからぬエピソードが「これは確かに現実に起きた事だろう」というリアリティを持っている点だ。
別の言い方をすれば、お話として面白くするために脚色された形跡がほとんど見られない。そのため多くの話は、旧来の怪談に比べて遙かに地味である。親類縁者の幽霊に関する話を除けば、大抵は「こんなおかしなものを見た」というだけの話で、物語としての起承転結も、いわゆるオチもない。ところがこれが怖い。何の理由も説明されず、原因も分からず、そもそもそれが何だったのかもわからないだけにかえって怖い。

例えば第一夜(第1巻)に収録された「地下室」。家の建て替えのために工事をしていると、地下室のさらに下から、家人の誰も知らなかった部屋が見つかる。二畳の広さで、すでに腐っているが畳が敷かれている。窓も出入り口もなく、四方を漆喰で塗り固められた何もない部屋。ただ壁の西側に、日の丸を思わせる模様が朱色で描かれていたという。
その部屋が結局何だったのかはわからない。その後家の人に祟りが降りかかったというような後日談もない。だがその不可解な部屋が、誰にも知られることなく、百年以上も前から家の地下にじっと眠っていた…その光景を想像するだけで背筋が寒くなる。


そのような地味だが怖い話がある一方で、もっと強烈な怖さを秘めた作品もある。例えば第四夜に収録された連作「山の牧場にまつわる十の話」だ。読者投票でもすれば、確実に最も怖いエピソードのNo.1に輝くことだろう。
冷静に考えれば、これも特に何かはっきりした事件が起きるわけではない。幾つかの出来事も偶然の一致と考える事はできる。それでも「頼むから、これだけは作り話であってくれ」と思ってしまうくらい怖い。特に、それ自体は事件でも何でもない建物の光景が、あまりにも怖すぎる。今ちょっと読み返してみたが、やはり全身に鳥肌が立ってしまった。

人間が恐怖を感じるツボは幾つかある。その中でも最重要キーワードとなるものは「死」「孤独」「未知」「肉体的苦痛」の4つだろう。「山の牧場にまつわる十の話」や「地下室」における第一のキーワードは「未知」だ。たとえそれによって直接的な被害を受けなくても、日常的な光景の中に突然未知なるものが侵入し、しかもその意図が常識や理解の範疇を超えている時、人は恐怖を感じる。そこに残り3つのキーワード「死」「孤独」「肉体的苦痛」が加わればなおさらだ。

「山の牧場にまつわる十の話」は「未知」を中心にしつつ、残り3つのキーワードを全て網羅している。本当にこれだけは、作り話や、真実がわかってみれば「な〜んだ」という話であって欲しいと願ってしまうほどだ。


それに続く怖いエピソードと言えば、第六夜の「居にまつわる二十の話」だろうか。これはよくある幽霊マンションの集大成的な話なので、既視感があり、未知の怖さは少ない。だがテレビの黒い画面を見ると、自分の真後ろに十数人の顔が映り込んでいるという光景は、あまりにも身近なるが故にゾッとする。


他にも紹介し始めれば怖いエピソードは山ほどある。地味な話が多くて退屈する巻もないわけではないが、その中にも印象に残るエピソードが必ず幾つかあるはずだ。


また、単純に「恐怖」や「異界」への窓口として楽しむのもいいが、僕がこのシリーズに惹かれてやまない大きな理由は、そこにしばしば人間の絆や深い悲しみが描かれているからだ。

例えば最新の第十夜に収録された「水草」。小学生の男の子が突然大量の水を吐いて保健室に運び込まれる。吐き出した水の中にはなぜか水草が混じっていた。その時学校に連絡が入る。男の子の妹が池で溺れ、亡くなったのだ。
ありがちな話である。しかしただそれだけの話でも、必死に自分の苦しみを兄に訴えた幼い妹と、その思いを肉体で受け止めた兄の姿を想像すると、目頭が熱くなる。

第十夜では「忘れないよ」も好きだ。ある妊娠した女性が、切ったはずのテレビが急につくなど、些細だが不思議な現象に遭遇する。産気づいた彼女は無事出産を終えてアパートに帰ってくるが、その夜、枕元に見知らぬ女の子が立って寂しそうな顔で「パパに私のことを忘れないでって言って」と言う。そこで彼女は、夫と前妻との間に娘がいたこと、しかし心臓が悪くて生後三ヶ月で亡くなっていたことを思い出す。その話をすると、夫は「忘れないよ、忘れないよ」と繰り返し、以後その家では、長男の誕生日に亡くなった娘の誕生祝いもするようになったという。

これらの「絆」ものは、因果関係がはっきりしているし、大抵の場合家族の愛情に裏付けられた話なので、ほとんど怖くない。『新耳袋』の主流である、未知のものに対する恐怖、起承転結のない怖さとは異質なエピソードだ。だがあくまでも「恐怖」を中心にしつつ、そのような多様なエピソードを含んでいるところが、このシリーズの大きな魅力なのだ。


そして一見単なる恐怖ものであっても、それを超えた感情を突き動かされる話も非常に多い。

同じく第十夜で言えば「二階」だ。廃屋となった長屋に探検に入った子どもたちが、倒れている襖の下に長い髪の毛を発見する。マネキンかカツラだよと言ってそれに触ろうとすると、女のうめき声が聞こえて髪の毛が襖の下にズルズルと引き込まれていく。子ども達は恐怖のあまり一目散に逃げ出す…忘れているだけで、自分も幼い頃こんな経験をしたことがあるのではないかと思うような話だ。

だが大人になった僕は、ついこんなことを考えてしまう。

その髪の毛が、いわゆる幽霊だったとしよう。

だとすれば、その霊はどんな事情があって、ひとりぼっちで打ち捨てられた長屋に取り憑いているのだろう?

どう考えても、その人が生前に幸福な最期を遂げたとは思えない。

例えばその人が何年か前に殺されて床下に埋められていたとしよう。肉は腐り、ほとんど骨だけになった死体。彼女がどんなに孤独な生涯を送っていたとしても、生前にいくらかの人間関係はあったはずだ。だがその死は犯人以外の誰にも知られることはない。弔いも行われぬまま、ただひっそりと肉体だけが暗い地面の下で朽ち果てていく…それはあまりにも悲しい光景だ。

そして、もし幽霊に生前に近い意識があるとすれば、見捨てられた長屋でただ独り苦しみを訴え続ける辛さ、孤独感はどれほどのものだろう? 
それこそ彼女にとって、探検に来た子どもたちは、暗闇の中に見えた一筋の光明だったのかもしれない。だが恐ろしい幽霊の形でしか自分の苦しみ・悲しみを訴えられない彼女に救いは訪れない。
やがて長屋は壊され、跡地にはマンションが立つ。だがもしその工事中にも発見されなかったら、彼女の死体はさらに数十年間、誰にも知られることなく地下に埋もれ、行き場のない霊だけが苦しみを訴え続ける事になる。いつになれば、その苦しみが癒される日が訪れるのだろう?

すでに述べたように「孤独」は恐怖の極めて重要なキーワードだ。逆に言えば、ほとんどの恐怖には孤独の影が必ずつきまとうものだ。ハリウッド製ホラー映画の大部分が、アクション映画/怪獣映画としては楽しめても、まったく怖くないのは、「孤独」の影が微塵も感じられないからに他ならない。


死、孤独、絆、癒し…『新耳袋』の一見無愛想な記述の中には、そんな様々なドラマが含まれている。エピソードの幾つかは、言わば素材としてたまたま怪異譚を扱っているに過ぎず、そこに描かれているものは人間の普遍的な苦しみや悲しみ、そして喜びや愛情なのだ。


もちろんそのような文学的な観賞をせずとも、単なる怪談として十分に楽しめる。幾つかのエピソードには、古い民話や現代の都市伝説との関連が感じられて、社会学的な見地からも興味深い。

絶対必読とまでは言わないが、「一体どんなものだろう」と興味をお持ちの方には、多分読んでも損はしない本だとお勧めしておこう。僕はすべてメディアファクトリーから出ている単行本で読んでいるが、今はもう第七夜まで角川文庫に収録されているので、そちらなら値段的にも手頃だ。


しかし…こうやって全990話も読んだ割には、ちっとも怪異が訪れないなあ…(-_-;)

あまり邪悪なものや、僕では手助けしようのない悲しみを背負ったものは遠慮したいけど、無害な霊であれば、ものすごく見たいのに…


いや、でもそんなこと書くとバチが当たるか(^_^;)。他の事はともかく、交通事故に関しては、何かに守られているとしか思えない体験をしてるからなあ…もし守護霊のようなものが守ってくださってるなら、本当に感謝します。そうでなければもう2度ばかり死んでいても不思議はないわけで…


お盆には、少し注意深く暗闇を見つめることにしよう。


(2005年7月初出)

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