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06/13/2005

【映画】『リプリー』短評

かなり期待していたのだが、何ともピリッとしない出来。残念ながら期待は大きく裏切られる結果となった。

「月のように冴えない青年が太陽のような存在にあこがれ、それになりかわろうとする青春映画」「ホモセクシャルとヘテロセクシャルの愛憎ドラマ」「一つの嘘がさらなる嘘を呼び、一つの殺人がさらなる殺人を呼ぶ、皮肉で滑稽な犯罪劇」…そんな幾つかの主要要素が、どうにもうまく噛み合っていない。一つ一つを見ればそこそこ面白い描写もあるのだが(あのラストの寂寥感は評価に値する)、それらがてんでバラバラな状態で存在するため、一本の映画としては求心力を持てず仕舞い。どうにも冗漫な印象は拭えない。ジャズに対するこだわりには思わずニヤリとさせられたが、これとて中心となるテーマにうまく結びついておらず、お遊び的な要素を超えるには至っていない。


        (少しネタバレあり)


特に問題なのは、リプリーのディッキー殺しがあくまでも偶発的なもので、その後のディッキーなりすましもまったく計画的なものではないという点だ。あの展開ではリプリーが一体何をやろうとしているのか全然わからず、見ていて戸惑うばかり。これではサスペンスも盛り上がりようがない。
事実彼のやることはすべて場当たり的で、感情移入する以前に、「何をやってんだか…」と馬鹿馬鹿しくなってくる。その上サスペンスの山場となるのは、ほとんどがケイト・ブランシェットと「偶然」出会う場面ばかりなのだから、鼻白むばかりだ。
パトリシア・ハイスミスの原作のもう一つの映画化『太陽がいっぱい』の方では、あの殺人も、その後のフィリップへのなりすましもすべて計画的なものとして描かれている。サインの偽造や写真の張り替えなどをじっくり見せることで、彼のやろうとしていることが明確に伝わるし、その犯行がばれるか否かというサスペンスでぐいぐい見る者を引っ張っていく。本作を見て、あらためて『太陽がいっぱい』の数学的なまでに美しい構成美を再確認することが出来た。


「再映画化」ではなく「同じ原作の映画化」ということで出来るだけ比較せずに見るつもりだったのだが、やはり結論としては「『太陽がいっぱい』は本当に素晴らしい映画だった」と呟く他ない。本作は何とか『太陽がいっぱい』とは違ったものを作ろうとして、結果的に『太陽がいっぱい』から離れれば離れるほどつまらなくなっていくというジレンマに陥っている。原作は読んでいないが、この物語の映画化として『太陽がいっぱい』は「これ以上のものは作れない」という究極のものだったのだろう。ルネ・クレマンとアラン・ドロンは偉大だった。


(2000年8月初出/2001年1月改訂)

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