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06/21/2005

【映画】『バウンス koGALS』あくまでも古典的な友情物語

最初に見たときは、かなり気に入ったものの、コギャル語がよく理解できないのが気になって、あまり大きな感動は得られなかった。そこでシナリオを読んでみたところ、映画を見たときには気づかなかった幾つものメッセージに気が付くことができた。あらためて映画を見直してみると、今度はシナリオという文字の世界では表せなかった映画的躍動感を随所に見いだし、その素晴らしさに感動。ラストは涙ものだった。

ただし一つだけ言っておきたい。この作品は大いなる欺瞞に満ちている。

それはここに描かれたコギャルたちが、大人の倫理観に基づいて描かれた理想像、すなわち絵空事的な優等生に過ぎないということだ。
この作品に対して「現代の女子高生たちの姿をリアルに描いた」などと言ったら、当のコギャルたちから笑われるのが落ちだろう。だいたい援助交際が主要モチーフになっていながら、実際のセックス行為がまったく描かれていないのはどうしたことか? 援助交際はおろか、同世代同士のセックスも全く描かれていない。サップなど、リサのためにあんなにボロボロにされたというのに、キスの一つもしていないではないか。今はかなりポピュラーになっているはずのドラッグも出てこない。それどころか、彼女たちは酒すらまともに飲まないのだ。何とまあ人畜無害で安全な子どもたちだろう。
一見不可解きわまりなく、金と遊びとセックスにしか興味がないようだが、実は友情に厚く、根底の部分では中年世代とも共闘できる存在…これが「大人にとって都合のいい理想的コギャル像」でなくて何だろう。しかも大人の世界で「いい人」は、ヤクザやブルセラショップの店長など社会の裏側に生きる人たちばかり。一方東大出の官僚は金に汚い変態野郎。この設定って、あまりにもステレオタイプではなかろうか。せっかくコギャルとその周辺文化を描きながら、批評的な視点は極めて浅いものにとどまっている。

つまりこの作品は、若者ではなく大人のためのファンタジーであり、極めて古典的な友情物語なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。したがって僕は「この映画を主人公と同世代の人間に見せなくては意味がない」というような言葉にはまったく賛同できない。もちろん本物のコギャルたちが見ても、古典的な友情物語として一定の感動はすることだろう。しかし同時に「この人は身体障害というハンディキャップにも関わらず、こんなに努力して偉い人になったんですよ」といった映画に通じる、作者の「視線の高さ」に欺瞞を感じ、反発を覚える可能性も高いと思う。

だがどうあがいたところで、僕自身は決して現代の女子高生ではなく、旧世代に属するおじさんだ。だからこそ僕はこの映画に感動する。素晴らしいファンタジーとして。古典的な友情物語として。そしてバウンスというタイトルにふさわしく、いつも飛び跳ねているような映画的な躍動感に対して。

ラストに流れるUAの「水色」は最高だ。イントロが途切れ、ボーカルが入ってくる一瞬に、スパッと黒落ちしてエンドクレジットになった時の気持ちよさたるやもう… あれ以来UAのアルバムをひっきりなしに聴きかえしている。


(1997年12月初出/2001年1月改訂)

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