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05/03/2005

【本】『デビルマン』『バイオレンスジャック』永井豪

ある程度予想されたことではあるが、その予想を遙かに超えるほど映画版『デビルマン』の評判が悪い。ネットでの評価が本当なら、もはや「バカ映画」や「突っ込みながら楽しむネタ映画」としてすら楽しめない、それはそれは惨憺たる出来らしい。

とにかく見る評すべてが「口を極めた酷評」なのだ。長い映画ファン歴の中でも、公開前にここまで凄まじい悪評が吹き出した作品は、寡聞にして知らない。僕は今年公開された『CASSHERN』に対して「映画に対する冒涜以外の何ものでもない」と激怒していたのだが、「『デビルマン』に比べれば『CASSHERN』の方がなんぼかマシ」という意見がほとんどなのだ。想像するだけでも恐ろしい。と言うか、似たようなジャンルで、あれ以上の駄作は想像できない。いや想像したくない。

とは言え、そこまで歴史的な駄作だと言われると、歴史の証人として(笑)、苦痛に耐えてでも見ておこうかという気分にもなる。台風さえ来なければ、今日見にいっていたところだ。そんな駄作に極力金を払いたくないので、せめてシネコンのポイントを使おうという計画も立てていた。

そしてどうせなら、その怒りと失望を十分に満喫するため(笑)、当初は絶対やめておこうと思ったことをやってしまった。

原作を読み返したのだ。

さらに勢いが止まらず、(知らない人も多いようだが、実は)続編である『バイオレンスジャック』の最後の3巻分まで読んでしまった。

そんな状況なので、映画を見た後私が東映本社や那須監督邸の焼き討ちに加わり、牧村邸を襲撃した暴徒のごとく生首を掲げて驚喜の声を上げていたとしても、情状酌量の余地が大いにあることは理解していただきたい。間違っても「悪魔はお前だ!」などとは言わないで欲しい。


で、映画はまだ見てないので、とりあえず原作に関する雑感など。


まず結論。この漫画が読者の人生観を変え、漫画界に止まらず日本の文化に革命的な影響を与えてしまった理由…それは連載の後半から、作者の永井豪に何かが取り憑いてしまったからに他ならない。


読み返す前には、こんな予想をしていた。なるほど、人間の中に潜む悪魔性を徹底的に暴いた『デビルマン』の反ヒューマニズム的世界観が、1970年代に大きな衝撃を与えたのは当然だろう。しかし溢れるほどの情報によって世界中の惨事が実況中継され、それをお茶の間で楽しむ(?)習慣が当たり前になった昨今、『デビルマン』の描き出したテーマは、ある程度自明のこととなり、今読んでも、かつてほどの衝撃は受けないのではないか…

理屈としては、まったくその通りである。にも関わらず、2004年の今読み返しても、漫画『デビルマン』の衝撃力はいささかも衰えることがなかった。
なぜか? それは内包するテーマを超えた、漫画としての異常なテンションのせいだ。テーマは多少古びても、表現としての凄まじいヴァイブレーションは、古びるどころか、今の時代にもはやこれほどのものは望めまいという高みに達している。それはほぼ同時代の、レッド・ツェッペリンやジミ・ヘンドリックスといった、ロックの最高峰を想起させずにはおかない。

冷静に読み直してみると、この作品にはかなりの穴がある。と言うか展開におかしな部分がある。このような漫画に過度なリアリズムを要求するのは馬鹿げているが、幾つもの伏線やキャラクターを置き去りにしたままの終盤部には、元々考えていた構成を無視して、勢い任せに突っ走ったとしか思えぬ部分が見受けられる(永井豪の漫画は全部そんなものだろうと言われりゃ、そんな気もするが)。
ではそれが欠点になっているかというと、全く逆である。薄っぺらい紙の中から次々とあふれ出す、作者自身にも制御できない濁流のようなエネルギー…その異常なエネルギーこそ『デビルマン』が、不滅の輝きを放つ所以なのだ。

読んでいる人には、今更説明するまでもないことだが、この漫画はかなり明確に、前半と後半が分かれている。アモンと合体した不動明が、シレーヌやジンメンといった刺客たちと個別の死闘を繰り広げる前半。それが後半、一挙に話が拡大し、人類の滅亡(自滅)と「悪魔vsデビルマン軍団」という黙示録的世界に突入する。
順に読んでいくと、最初からあのような展開、あのようなラストにするつもりではなかったことがよくわかる。どう読んでも、最初の方は『仮面ライダー』程度の話で終わるはずだった作品だ。それが後半、別の漫画のような変貌を遂げていく。ここで明らかに永井豪に何かが憑依したのだろう。
それは作者自身が認めていることで、文庫版第1巻の解説に詳しく書かれている。普段ならトンデモ話として片づけられそうな発言も、この漫画を読み終えた時、「そりゃそうだろう。そうでもない限り、こんな漫画を描けるはずがない」と納得してしまう。

このような壮大な世界観や、過激な価値観の逆転を描いた漫画が他にないわけではない。その観点からすれば、続編の『バイオレンスジャック』も、石川賢の『ゲッターロボ』『魔獣戦線』も、決して『デビルマン』に引けを取る作品ではない。だがそれらはあくまでも「才能ある漫画家が描いた名作」であり、「常識を越えた何かが作者に取り憑いて描かせた」というトンデモ話を、当然のこととして納得させる作品は、唯一『デビルマン』のみである。

敵キャラとして異常に人気の高いのはシレーヌだが、『デビルマン』を別次元に押し上げる役目を果たしたのは、明らかにジンメンの方だろう。このエピソード、話の構成自体は、オーソドックスな『仮面ライダー』的世界なので、ジンメンの発する価値観の逆転が、よけい際だつ結果となっている。
デビルマン/不動明が人間に対して発する「お前たちこそ悪魔だ!」という台詞が、『デビルマン』の最もシンボリックな台詞であることに誰も異存はないだろう。だがその萌芽は、すでに前半ジンメンの口から発せられている。「人間の感覚じゃ、食うのは悪いことじゃないんだろう。従順でおとなしいウシやブタを平気で食ってるからな。だが殺すのはいけないな。生き物を殺すのはいけないことだ。だからおれは殺さずに食ったのさ」という台詞が内包する刃は、人間という存在や、その道徳に根本的な疑問を突きつけて、今もまったく鋭さを失っていない。


ところで『デビルマン』と『バイオレンスジャック』を読んだと書いたが、実はその間にもう1作読んだ漫画がある。石森章太郎の『サイボーグ009』「天使編」である。理由は言うまでもなかろう。『デビルマン』の世界観が、「天使編」のそれによく似ていることが、あらためて気になったからだ。
読み終えてから初出年を見てみると…1970年! なるほど、これで一つの謎が解けた。なぜ石森章太郎が、未完に終わった「天使編」を再開できぬまま、この世を去ったかである。

永井豪は元々石森章太郎のアシスタントだったそうだが、共に人気作家となってからはお互いをライバル視していたことは確実だろう。作風はかなり違うものの、扱う題材が非常によく似ているからだ。そこで『サイボーグ009』と『デビルマン』の関係を見ていくと、両作品に少なからぬ共通点があることに気づく。主人公たちが、人類のために戦いながらも、自身は普通の人類から外れたアウトサイダーである点がまずそっくり。さらに「地下帝国ヨミ編」でブラックゴーストが言う「ブラックゴーストを殺すには、全人類を殺す以外にない。人間に闘争本能がある限り、私を殺してもすぐに第二第三のブラックゴーストが生まれてくる」という台詞は、そのまま『デビルマン』の「人間=悪魔」という根本的な思想に直結するものだ。

そして「天使編」。テーマの壮大さ故に本編に入る前に中断し、そのまま未完となってしまった作品だ。多分『サイボーグ009』という枠の中でこの物語を展開するのに無理があったのだろう
この作品でサイボーグたちは天使と出会う。天使は、自分たちが人類の創造主であることを明かし、久しぶりに「収穫」に来たが、その出来の悪さに失望し、もう一度最初から全てをやり直すつもりだと語る。戦っても絶対に勝ち目のない相手を前に苦悩するサイボーグ戦士たち。だが、たとえ彼らが造物主であったとしても、人間には人間の意志があり、生きる権利がある。たとえ敵わぬまでも「抵抗」することで、それを彼らに伝えようということで意見が一致する(…ところで終わってしまう)。
この「造物主(神)との戦い」というテーマを、神>デーモン>人類という、より複雑な形で熟成させたのが『デビルマン』の後半部分であることは疑いようがない。
だとすれば「天使編」が未完に終わった理由は明らかだ。石森が中断したその先を、『デビルマン』がとてつもないクオリティでやってのけてしまったからだ。「天使編」をあのまま発展させていけば、『デビルマン』とよく似た物語になることは避けようがない。似たような物語で、『デビルマン』以上のものを作り、なおかつそれを『サイボーグ009』という枠に収めることの困難さは想像を絶する。石森は、ついにその困難を打ち破る道を見いだせなかったのだろう。逆に言えば、「天使編」が早い時期に完成していたなら、『デビルマン』は絶対に今と同じ形では存在しえなかったはずだ。
この関係は、どことなく『ラバー・ソウル』〜『サージェント・ペパーズ』期のビートルズと、『ペット・サウンズ』〜『スマイル』期のブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)の関係を彷彿とさせる。ブライアン・ウィルソンは、未完に終わった『スマイル』を、今年ソロ名義/新録音の形で完成させたが、石森章太郎はその前に寿命が尽きてしまったわけだ。合掌。

もちろん「造物主(神)との戦い」や「先住人類の逆襲」といった物語は、何も石森や永井がオリジナルではない。おそらく「天使編」の元ネタはアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』だろう。あまり詳しくは知らないが、ラブクラフトのクトゥルー神話と呼ばれる一連の作品は、人類以前に地球を支配していた邪悪な生命体が、再びこの世に戻ろうとする話らしいから、これは『デビルマン』そのままだ。そもそも造物主が自分で作ったものの出来の悪さに怒ってそれを滅ぼす話は、聖書にも出てくる。
だがそのような設定の中で、人類の存在意義に根本から「ノー」を突きつけ、ついには滅亡に追いやってしまう過激な作品は『デビルマン』くらいではなかろうか。


だが永井豪もまた人間である。サタン同様、人類を滅ぼしてしまったことに心が痛んだのだろう。ある意味完璧な作品として完結した『デビルマン』に新たな章を付け加えずにはいられなかった。

それが『バイオレンスジャック』である。

この作品も始まった当初は、かくも壮大な物語になる予定ではなかったはずだ。少年マガジンに連載していた時(リアルタイムで読んでる(^^;)と、十数年後に漫画ゴラクで連載再開された時では、明らかに構想が変わっている。十数年の空白期間に、永井は、この作品を自身の漫画の集大成として、また『デビルマン』の完結編として再構成し直す決心を固めたのだろう。

『バイオレンスジャック』が『デビルマン』を超えたか、あるいは『デビルマン』の続編としての重責を果たしたかという問いに答えるのは困難だ。「それは見方による」としか言いようがない。

まず『バイオレンスジャック』が、『デビルマン』のような「この世のものならぬ何か」によって描かれた作品でないことは、すでに述べた通りだ。才能ある漫画家、才能ある人間が全力を尽くした渾身の作品であるが、『デビルマン』ほどの圧倒的ヴァイブレーションを持つには至っていない。特に再開した直後は、まだ世界観もふらついており、肝心の絵も不安定で(ジャックの大きさがコマによって違うのはひどすぎる)、読むに耐えないようなエピソードもないではない。
しかしストーリーが「ジャックvsスラムキング」ではなく、「逞馬竜をはじめとする新勢力(+それを見守るジャック)vsスラムキング」となり、『デビルマン』世界にリンクするラストへ向かい始めたあたりからは、永井豪が漫画家としての残された創作力を全て振り絞ったような迫力が出てくる。絵の力強さで言えば、この時期のジャックを超える作品はないだろう(良いアシスタントがいたせいかもしれないけど)。
文庫版のあとがきで夢枕獏が書いている「『デビルマン』になくて、『バイオレンスジャック』にあるもの、それは癒しである」という言葉は実に本質を突いた名言である。それは別の言葉で言えば、『デビルマン』で人類を滅ぼしたサタンと永井の贖罪の物語であり、『デビルマン』が「滅ぼされる者の悲劇」を描いた作品だったとすれば、『バイオレンスジャック』は「滅ぼした者の悲劇」を描いた作品だと言えよう。
したがって『バイオレンスジャック』のラストは、一辺の救いもない『デビルマン』のラストから一転し、救いと癒し、そして再生を描いたものとなっている。それは「人間が描いた物語」としては文句の付けようがない展開だ。だが見ようによっては、「人間」というちっぽけな視野や、人間のエゴの別名であるヒューマニズムという概念を超越することで特権的な位置を占めた『デビルマン』世界が、この作品によって普通のよくできた物語の枠に収まってしまったと見ることもできる。その点をどう考えるかによって、『バイオレンスジャック』の価値は変わってくることだろう。


そんなわけで、昨日からすっかり頭の中が「デビルマン〜バイオレンスジャック・ワールド」に染まっているところだ。やはりこのまま映画を見るのは危険すぎるだろうか? この台風は、映画版に対する、人間とデーモンの怒りが生み出したものなのかもしれない。


(2004年10月初出)

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Comments

永井豪氏は「凄ノ王伝説」もろともイザナミ=
牧村美樹を封印することにより、自らの
創造力の源泉をも封じてしまったのである。
「バイオレンスジャック」において、サタン了と
不動明は和解し癒されたかも知れないが、
イザナミ=牧村美樹はみずから流した血の海に
沈んだまま癒されることなく、「凄ノ王伝説」
にて変わり果てた姿を垣間見せることと
なったのである。
(彼女の影が「デビルマンレディー」不動ジュンの
存在の底にちらつきながら、ふたたび封じられた事はもはや言うまでもあるまい・・・・)
イザナミ=牧村美樹を癒し浄化することは
不可能である。
彼女は凡ての歴史世界が、
「破滅に支えられた歴史」(*光瀬龍「百億の昼と千億の夜)である事の、最も端的な表象そのものなのだから・・・・・・。

Posted by: 絶倫超人8マン | 07/29/2016 04:42

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