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05/02/2005

【映画】『ぼのぼの/クモモの木のこと』忘れるよりも思い出したい

最初に言っておくが、「CGアニメ」という技術的な観点から言えば、この『ぼのぼの/クモモの木のこと』は欠陥商品ですらあると思う。

映像にリアリティが足りないという点は、さして問題ではない。既成のセルアニメとも、ピクサーのCGアニメとも、もちろん実写とも違う、動く切り絵のような奇妙な映像は、ある意味非常にユニークであり、逆に印象に残る。
問題は、特にカメラがパンをした時などに起こる画面のおかしなカクリやノイズである。ノイズに関してはフィルムへのキネコの仕方が悪いのかもしれないが、いずれにせよ狙いではなく、技術力の不足による単なる欠陥であろう。製作費がなかったという事情はわかるが、その技術的な拙さはどうあがいても擁護できるものではない。


だが、それだけの欠陥を引きずりながらも、本作はその内容によって十分に見る価値のある佳作となっている。

確かに作品のタッチは、原作漫画や前作(『ぼのぼの』'93)とはかなり違う。本来の『ぼのぼの』は間違ってもこんなにウェットではないし、ストレートな泣かせもない。だが『ルパン三世/カリオストロの城』がテレビシリーズや原作とはだいぶ違う雰囲気を持ちながらも「もう一つのルパン」として大傑作たりえたように、これはこれで「『ぼのぼの』の別ヴァージョン」として正しいあり方だと思う。

特に後半、目に余るほどベタな展開もある。だがそれさえ決定的な瑕とならないのは、「思い出」というテーマが全編を確固として貫いているからだ。親子の愛情物語はそれを語るための手段に過ぎず、中心的な物語ではあるが中心的なテーマではない。
その語りの手法に多少の問題はあっても、テーマは見る者の胸にしっかりと届いている。その気恥ずかしいほどストレートなメッセージ性、極めてシンプルな人生の真実を、一見子供向けの動物キャラとオフビートな笑いを通して語りかける姿勢…それこそが『ぼのぼの』の本質なのだ。表面的なタッチこそだいぶ違うものの、最も本質的な部分はしっかり守られているが故に、本作は紛れもなくもう一つの『ぼのぼの』たりえているのだ。


デヴィッド・リンチの『ストレイト・ストーリー』。あの作品の中で主人公の老人は「長く生きていて辛いことは?」と尋ねられて、こう答える。「過去を覚えていることだ」。

それはとても痛い、真実に満ちた言葉だと思う。

だがこの『ぼのぼの/クモモの木のこと』を見た後では、僕はスナドリネコさんのこんな台詞に、より強い共感を覚えてしまう。

「なぜみんな忘れたがるんだろう? 俺は忘れるよりも思い出したいよ。例えば生まれて初めて満天の星空を見た時のこと…もしその時の感動を思い出すことが出来れば、辛い人生も何とか生きていけるような気がする…」
(細部はちょっと違うような気もするが、まあ大意はそういうことだ)


「思い出に悪い思い出はないのかもしれない」と言うぼのぼのはあまりにナイーヴだとしても(まだ子供だからね)、過去を覚えていることが辛いのは、過去の辛い部分ばかりを思い出すからではないのか。「過去」に実態はない。自分の頭の中にある雑多な記憶を、時には意識的に、時には無意識の内に取捨選択して形作られる一つのヴィジョン…それが「過去」だ。
その取捨選択が今現在行われる以上、「過去」は常に「現在」の反映でしかない。現在の辛さを忘れるために、過去の良い思い出を反芻することもあるだろう。逆に辛い過去を思い出して「それに比べれば今はずっとマシだ」と自らを慰めることもあるだろう。あるいは今現在の不幸のルーツを過去に求め、「だから仕方ない」と自らを納得させ、崩れ落ちそうな自分を支えようとすることもあるだろう。

最近の映画で言えば、『ハッシュ!』の中で朝子(片岡礼子)が言う台詞「もし子供の頃、誰かに思いきり抱きしめられていたら、あたしってこんな風にならなかったかなあ」などはその典型だ。だがいかに親子の関係が冷えていたとしても、親に愛情をもって抱きしめられた経験が皆無だとは思えない。朝子にもきっとそんな過去はあったはずだ。おそらく朝子はそのような幸福な過去を思い出すことによってではなく、忘れることによって、すなわち「自分は人から愛されない存在なのだ」と割り切ることによって、人生の孤独を耐え忍んできたのだろう。
だがあのシーンであのような言葉をはっきりと表に出したのは、彼女の最後のSOS、「今からでもいいから自分を愛して欲しい、自分を抱きしめて欲しい」という意思表示だったはずだ。それまでの朝子はむしろ過去を切り離し、ある種の幻想に過ぎない未来(赤ん坊)によって孤独を癒そうとしていた。だが忘れたいと思っていた過去に暴力的に直面させられた時、彼女は「自分は人に愛されない人間として育ったのだから、こんな生き方をするのも当然だ」という密かな心の支え(それは同時に「甘え」でもある)を男2人にさらけ出す。そして彼女もまた、勝裕(田辺誠一)の過去に対する心の痛みを理解し、その痛みを共有することで、本当の自分を取り戻していく。自分の過去にあった痛みも悔やみも喜びもすべて引き受けることで、朝子と勝裕は自分の人生を肯定することができるようになるのだ。

人が辛い過去と戯れるのは、現在の不幸や孤独を耐えるためだ。楽しい過去を思い出すのも同様だ。そんな現在の都合によって、過去は変形され、辛いものとなったり楽しいものとなったりする。
だがどういうわけか、現在が不幸な人間ほど、過去を辛いものへと変形しがちである。そしてその辛さに自ら絡め取られたり、過去を忘れようとしたりする。その中で「生の喜び」として記憶されるべき要素は、次第に記憶の片隅に埋もれていく…

『ぼのぼの/クモモの木』は、そんな記憶の片隅に埋もれた、しかしひょっとすると人生をやり過ごしていくのに最も大切かもしれない喜びや感動を思い出せ、と語りかけてくる。辛い過去と、そこから生み出される辛い現在は、決して確固たる実態があるものではない。それはあなたが辛い思い出ばかりを拾い出し、そのすぐ側にあったはずの喜びや感動を忘れていることで作り上げられたものなのだ、と語りかけてくる。
(ぼのぼのの「思い出に悪い思い出はないのかもしれない」という台詞は、このことを言いたかったのだろうか?)


言われてみれば、ごく当然のことかもしれない。
自分でも書きながら「これはコリン・ウィルソンの『フランケンシュタインの城』に書かれていたこととほとんど同じではないのか」と思った。


だがそれは当たり前のことだ。なぜならこれは『ぼのぼの』なのだから。


『ぼのぼの』という作品は、決して新しいことは教えてくれない。


ただ「忘れている大切なこと」を思い出させてくれるだけだ。


その意味で、この『クモモの木のこと』は、『ぼのぼの』の最も本質的な部分に触れた作品なのかもしれない。


まあ何にせよ、このハンドルにして良かった(^^)。


P.S.
そう言えば『ストレイト・ストーリー』のラストも星空だったな。あの2人の老兄弟も、自分たちの過去を素直に受け入れることで、ぼのぼのと同じように、生まれて初めて星空を見た時の感動を思い出すことができたのだろうか…


(2002年8月初出)

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