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05/14/2005

【演劇】少年王者舘『それいゆ』2003.9.20

少年王者舘『それいゆ』 2003年9月20日(土) 中野ザ・ポケット


初めて見た少年王者舘の芝居。これがたいへんなカルチャーショックだった。

少年王者館というのは名古屋を拠点にした劇団で、天野天街という作家/演出家が中心人物。名前だけは聞いたことがあったが、その筋(どの筋?)ではかなりの人気を持つ劇団らしい。維新派とも密接な協力関係にあるらしいが、確かに方法論は似ていると言えば似ている。しかし僕は妙にお芸術した維新派(こちらは思いきり退屈した)よりも、少年王者館の方が何千倍も面白かった。


さて、『それいゆ』だが、どんな芝居かというと…説明のしようがない。とりあえずストーリーらしいストーリーはない。いや、実際にはあるのだろうが、それを読みとることはかなり困難。見終わって戯曲の本まで買ったのだが、それを読んでもストーリーを追うことは難しい。少なくとも普通のストーリーテリングからかけ離れた世界であることは確かだ。

ストーリーはよくわからぬまま、芝居は細かなギャグの連続によって進んでいく。だがここで重要なのはギャグの内容そのものではない。ギャグのネタについて言えば、笑えるものもあるし笑えないものもある。凄いのは、その「音楽性」だ。いわゆるラップとはまったく違う、独自のリズム/メロディー/ハーモニーをもった、正真正銘の日本語ラップミュージカル。ミュージカルと言っても、音楽が多用されたり、役者が歌ったりするわけではない。台詞回しそのものが音楽なのだ。

こればかりは実際に見て(聞いて)もらわないと、わかりはしないのだが、そのほんの一端(あくまでもほんの一端)を例示してみよう。以下はヨムゲキ100『それいゆ』(天野天街著/演劇ぶっく社)P193からの引用。

獅子・タツヤ 「じかんと、どっちがおいしい?」
吉田     「じかんはおいしくない」
全員     「じゃ、まずいんだ」
吉田     「じかんは、まずくない」
全員     「じゃ、おいしいんだ」
コヨミ    「リンゴとどっちがおいしい?」
吉田     「リンゴはおちる、じかんはおちない」
全員     「じゃ浮くんだ」
愚連隊全員  「フーセンだな」
吉田     「じかんはふくらまない」
全員     「しぼむんだ」
愚連隊全員  「水やるの忘れたな」
全員     「いつごろ咲くの?」
吉田     「じかんは咲かない」
日御子    「やっぱタネまかなきゃ」
吉田     「じかんはまかない」

この台詞を声に出してスピーディーに読めば、流れるようなフレージングとリズム感の凄さは、多少なりともわかってもらえるだろう。だが注目して欲しいのは、これらの台詞が一対一のやり取りではなく、あちこちで「全員」「愚連隊全員」がコーラスのように入ってくること。そこから生み出される音楽性、熱狂的なノリは、実際の舞台を見ないことには理解できないと思う。

しかし今書いていて、自分でも初めて気がついた。そうか、このスタイルはリズム感こそ違え、ゴスペルやファンクにおけるコール&レスポンスによく似ているわけだ。なるほど、他ならぬ自分が夢中になるのも無理はない、と思わず一人で納得してしまった(笑)。もっとも見ているときは、その手の黒人音楽よりも「『クイーンII』のブラックサイド(B面)みたいだ」と思っていたのだが… そうか、黒人音楽の直接的な影響は薄いと思っていたクイーンだが、初期のメインヴォーカルとコーラスの掛け合いは、よく考えてみると黒人音楽のコール&レスポンスに根ざしていたのか…と、連想は果てしなく広がっていく。

あまりにも革新的、少なくとも自分にとってはまったく未知の表現世界だっただけに、最初からのめり込んだわけではない。最初は、ストーリーはよくわからないし(わかるようなストーリーなど最初からなかったのだが)、あまりに速すぎて台詞が聞き取れないところも多く、「ついていけんわ、こりゃ」という感覚の方が強かった。しかし1/10秒単位で進行する神業的な台詞の応酬や、舞台進行(セットや小道具、音楽・音響などのスタッフワークも驚嘆に値する)の見事さにいつしか引き込まれ、1時間も過ぎた頃には、もう可笑しくて頬が緩みっぱなし。仕舞いには涙が出てしまった。
それは僕だけではないように見えた。通路までぎっしり埋まった超満員の観客も、最初は戸惑い(もしくは圧倒されて)、どう反応して良いのかわからない感じだったが、後半は遠慮無く笑っていた。ひょっとすると僕と同じく初見の人が多かったのだろうか?


延々と続く躁状態の芝居。だが最後には不思議な感動が残る。それがいかなる感動だったのか、今でもよくわからない。と言うより、それを言葉によって理解したり説明したりする術が、今の僕にはない。ただ前述の戯曲のあとがきで天野天街が書いたこんな一文は、何らかのヒントになるかもしれない。

 「それいゆ」を書いた1年前、一等の友人である長谷川久が自死した。
 ショックは未だイエルことはない。当時もココロはその動揺の中にあり、
 劇の中の「死」の扱い方が逆に客観性を帯びた。情緒的なコトバを使う
 コトがキモチ的にまったく出来なかった。ツキハナシて考えるのではなく、
 ナマなココロのフルエ、振動を、別な型に変換する作業をした。役者は
 非常にやりにくかったコトと思う。
 
熱狂はしばしば死や孤独の裏返しとして存在する。この作品を貫く熱狂もそういうものなのだろうか。同じあとがきに書かれた「あまりにもあかるすぎてまぶしすぎてヤミに一等近くなるようなコトがしたかった」という言葉も象徴的すぎる…


それにしても、こんな凄い芝居が、(東京に限って言うと)1998年にザ・スズナリで3日間、今年ザ・ポケットで5日間と、たったの8日間しか上演されたことがないとは… 演劇とは、映画や小説に比べて、何と儚く何と不幸な芸術なのだろう。
僕が今回この芝居を見たのも、ネット上でたまたま非常に高い評判を耳にしたのと、個人的なスケジュールがぴったりシンクロしたからに過ぎず、半ば偶然のようなものだ。まさに一期一会の世界。芝居にのめり込んでいる人間は、見る方も演る方も、どこかしら堅気の世界から逸脱してしまった人が多いが(ただの偏見?(^^;)、毎日こんなその場限りの博打みたいなことばかりやっていれば、生産性/連続性/反復性を至上の価値とする堅気の世界から逸脱していくのは当然のことだ。なぜ昔役者が河原乞食と呼ばれたか、最近よくわかってきた。そういう世界にはのめり込まないように気をつけよう…と思いつつ、やはりこんなものを見てしまうと、そう簡単に足は洗えんなあ…とも思う矛盾に引き裂かれる今日この頃である。


【補足】2005年5月
2003年の3月にMODEの『AMERIKA』とク・ナウカの『天守物語』を立て続けに見て、一挙に小劇場系の演劇に目覚めてしまった自分だが、今にして思えば、それを決定的にしたのが少年王者舘との出会いだった。その後現在までに『こくう物語』、KUDAN PROJECTによる『真夜中の弥次さん喜多さん』『くだんの件』、そして天野天街監督の映画『トワイライツ』などを見ている。今、上の文章を読み返してみると、少年王者舘の特質について少し誤解している部分も見受けられるのだが、あくまでも最初の出会いで感じた衝撃の記録ということで、細かな部分を除いて改訂はしなかった。


(2003年9月初出)

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