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04/23/2005

【本】『父』小林恭二

小林恭二の書評第5弾。


『父』(新潮社)

私小説的…と言うよりも、これってまったくのノンフィクションなんじゃなかろうか?
語り手は、その名前も含め、どう読んだところで小林恭二本人だし、書かれている事実もプライベート問題などを考慮した若干の脚色はあるかもしれないが、基本的にすべて事実のように思える。これについては小林自身が

  一九九三年、わたしは父に関する小説を書いた。
         (中略)
  発表した後、短篇にしては珍しく反響があった。
  多くはわたしの知人からだったが、父の関係者も何人か含まれていた。
  わたしの知人は大方が半信半疑だった。
  ひとつにはわたしが法螺話じみた小説をよく書くので、これもまたその
  一種かという疑いが消せなかったのだろう。到底こんな人間がいるとは
  思えない、あれは小説内の仮構の人物に違いない。そう断定する知人も
  いた。書評のうちでも「実在の人間を描いたとすれば」という但書きを
  つけた上で、評しているものもあった。
 
…とある。やはりみんな考えることは同じというべきか、あの小林恭二のことだから、実在しない人間の伝記をでっち上げるくらいのことはやりかねないと思うのだろう。だがその他の作品に見られる小林の知識などと考え合わせても、この作品はほぼ限りなくノンフィクションだと思う。
ちなみに上記の作品は父親の死後一ヶ月半ほどしか立っていない時期に書かれた短篇らしい。本作はそれをさらに膨らませて、長編として仕上げたものだ。


内容は、小林が父の死をきっかけに、祖父の代までさかのぼって小林家の歴史を描き出したもの。普通の一家の歴史を聞いてもさほど面白くはないだろうが、この一家の人々にはいささか常人離れした人が多く(笑)、しかも祖父は朝鮮半島で財をなし、父親は戦争で半島から引き上げながら、超人的なエネルギーで一家を再び経済的に安定させた人だから、面白いエピソードには事欠かない。ある家族の歴史を通して描かれた、波瀾万丈の日本現代史として、世間的には十分すぎるほどの成功を収めながら(父親は戦後に神戸製鋼の副社長まで上りつめた)、自らの高すぎる理想との食い違いに苛立ちを覚え、最後には緩慢な自殺を図った男の屈折した挫折の記録として、とても面白く読める。

ただしそれ以上の何かを訴えかけてはこない点が、今ひとつ弱い。一つにはこの父親の尋常ならざる生命力が、あまりにも自分のような凡夫とかけ離れており、その隔たりを埋められなかった点が大きい。やはりあの父親は一種の天才なのだ。結核で肺の大部分を切除した体で、あれだけエネルギッシュに人生を全うすることなど、並みの人間に出来る芸当ではない。僕から見れば、その才能と知性に羨望の思いを抱かざるをえない息子の恭二だが、その彼ですら同じ思いを抱いていたらしく、才能とエネルギーが服を着て歩いているような父と兄の影で、かなり窮屈な思いをしていたようだ。

ごく一例。

  父は受験勉強に一家言どころか何千家言もあり、人の勉強法によく口出し
  をして、兄やわたしを苦しめたが、そのひとつにはこんなのがあった。
  「いいか、受験参考書というのはどこに何が書いてあるか空でわかるよう
  にならなくてはいかんのだ。おれなどは最後はぺらぺらとめくるだけで
  すべて復習できたので、全科目の復習に五分とかからなかった」
  そこまで行けば、同じ人間が作った問題である限り、解けない問題はない
  であろう。

今の時代でもこの程度の凄まじい勉強をしている人間はいるだろうが、数としてはそう多くあるまい。何にせよ、こんな恐ろしいことをガンガン言う父親が近くにいたらたまったものではない。よく途中で爆発しなかったものだ。まあ父や兄はもちろん、小林恭二自身も東大に入っているのだから、極めて高いレヴェルでの格差はあれ、そのような攻勢を何とか凌げるだけの頭脳構造は持っていたのだろうが。

個人的に興味深かったのは、恭二が父親から、俳句や歌舞伎、仏教など様々な古典文化の手ほどきを受けていたこと。なるほど、あのような小説を書ける素養は、こういう環境の中で育ったのかと、かなり羨ましい気持ちになった。もっとも僕があの立場だったら、おそらくその知識を習得する前に父親と正面衝突していただろうけど。


そんなわけで非常に面白い作品だし、特に小林恭二という作家を知るためには必読の書だ。だがこの並はずれた天才の人生を通して、凡人が共感/感動できる部分はあまり多とは言えない。感心はするが、感動はしない必読書とでも言うべきか。


(2001年9月初出)

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