« 【映画】『フープ・ドリームス』 ドラマよりもドラマチック | Main | 【映画】追悼 深作欣二 »

04/19/2005

【映画】『仁義なき戦い』シリーズ

3月から4月にかけて下高井戸シネマで見続けた(第一作のみ1月に新文芸坐で見た)『仁義なき戦い』シリーズの感想を5本まとめてアップ。ちょっと忘れかけている部分(と言うか、どれがどの作品だったか混同しかけている部分)もあるが、まあ気にしない気にしない。


『仁義なき戦い』

言わずもがなの大傑作。ドラマとアクションの見事なハーモニー、虚無感と高揚感が一体となって突っ走っていく荒々しさ、緊張感を和らげるかのように随所に挟まれるユーモア… 権力抗争のスリルを中心に据えた後の作品群も面白いが、今まさにスターへの座を駆け上ろうとしている若い俳優たちの勢いと、作品の内容がピタリ合致したことで、信じられないほどの躍動感を獲得してしまったこの第一作こそ、シリーズの最高傑作だと思う。
この作品は、隅から隅まで生命力に満ち溢れている。手持ちカメラによるドキュメンタリー・タッチのアクション、それまでの様式的ヤクザ映画を一新するリアリズム描写…それらは当時の観客にとってたいへんな衝撃だったことだろう。だが製作されてから30年近くがたち、そのような技法や語り口が当たり前のものとなってしまった現在でも、この映画が古びていない最大の理由は、「これから俺たちの時代がやってくる!」という得体の知れないエネルギーが全編から迸ることで、鮮烈な「青春映画」たりえているからだ。
そのエネルギーを何よりも体現しているのは、菅原文太をはじめとする役者たちだ。文太の男らしい魅力は言うまでもないが、この作品で特に光っているのは松方弘樹と梅宮辰夫だ。一人の人間が持つ優しさと冷酷さ、殺気と弱気を振幅豊かに表現した松方、出番は少ないながらも熱い男気で見る者を魅了する梅宮。最近はワイドショーがらみの馬鹿っぽいイメージが付いてしまった二人だが(笑)、侮ってはいけない。この時代の研ぎ澄まされた魅力は凄いものだ。また、ただの小心者かと思いきや、抜け目ない老獪さで最後にはすべては手に入れてしまう古狸=金子信雄、その腰巾着として実写版ネズミ男のような味を醸し出す田中邦衛も好演。この見事な演技のアンサンブルこそ、仁義なき闘いシリーズの最大の魅力なのかもしれない。


『仁義なき戦い・広島死闘篇』

ファンの間ではシリーズ中の最高傑作という声も聞かれるほど評価の高い作品だが、僕はそれほど評価していない。幾つか理由はあるが、まだ第2作でありながら、いきなり「番外篇」的なストーリーに終始するところに何よりも引っかかってしまう。大河ドラマとも言えるこのシリーズの流れから見ると、どうにも浮いた感じがするし、この作品を飛ばして第一作の次に第三作を見ても、戸惑うことはほとんどないだろう。数作続いたところで目先を変えてこういうものが来るならわかるが、なぜ第二作にこれが来るかなあ…という感は否めない。
そもそも本作の主役は誰がみても北大路欣也だが、個人的には広能(菅原文太)が話の中心にいてくれないと、どうも落ち着かない。そのような意味からも、本作は本来仁義なき戦いシリーズの一本としてではなく、独立した作品として作られるべき物語だったのだと思う。
また意外にもシリーズただ一度の登板となる千葉真一が、シリーズ随一のオーバーアクトを披露しているのが何とも寒々しい。あんなギャンギャン騒ぐだけの狂犬みたいな奴が、組のトップに立てるわけなかろうに…


『仁義なき戦い・代理戦争』

これは面白い! アクションは少な目だが、二転三転四転する権力抗争のエキサイティングな描写にグイグイ引き込まれ、一瞬たりとも飽きることはない。登場人物が多く、ストーリーが複雑でよくわからない部分もあるのだが、そのわかりにくさがまったく足を引っ張っていない。下手にクドクド説明するよりも、勢いだけで誰と誰が敵対関係にあるのかをわからせてしまう深作の演出は、驚異的と言っていいものだ。
そして本作の大きな魅力となっているのが新登場のメンバーたち。まずはこの後完結編に至るまで、菅原文太の最大のライバルとなっていく小林旭。その静かな殺気と貫禄によって、「文太に正面から対抗できるのはこの男だけだ」ということがひしひしと伝わってくる。
そして孤立無援の文太をそれとなくかばい、ついには山守(金子信雄)と袂を分かつ成田三樹夫が渋すぎ! ベタベタしたところが一切ない文太との友情、沈着冷静な態度の下で静かに燃え上がる男気… まさに男が惚れる男といったところ。それだけにこのキャラが次回作に登場しないのは許せない!
もちろん以前から登場しているメンバーは、各々のキャラを完全に消化し、水を得た魚のよう。とりわけシリーズの裏の主役とも言える金子信雄は、せこさと老獪さを併せ持った山守を、見るからに気持ちよさそうに演じている。
そんな役者たちの好演にも助けられ、娯楽映画としての完成度では、第1作とトップを争う出来となっている。紛れもない傑作だ。


『仁義なき戦い・頂上作戦』

昨日の敵が今日の味方となり、今日の味方が明日の敵になる熾烈な権力抗争。その二転三転を、銃撃や殴り合いのアクションを絡めながら描いていく構成は『代理戦争』とまったく同じだが、こちらは前作に比べるとかなり落ちる。
最大の欠点は、話が入り組みすぎていて、さすがの深作演出をもってしても説明的な描写が延々と続いてしまうこと。以前は登場人物のキャラクターがストーリーをどんどん動かしていったのに対し、本作ではまず最初にストーリーがあって、その説明のために登場人物が動き回っているかのような印象だ。しかも後半かなりの駆け足になってしまい、クライマックスとも言える菅原文太と小林旭の会話も、「え? いつの間にそこまで話が進んだの?」という拍子抜けが先に立ってしまう。また銃撃戦などのアクションが、ここに至って明らかにマンネリ化している点も見逃せない。今までと同じように撮りましたよ、これで満足ですか?という感じで、かつてのような気迫がまったく感じられない。
おそらく深作は、複雑なストーリーにがんじがらめにされたこの脚本を前にして、あまり演出意欲がわかなかったのではないだろうか? アクションもドラマも新鮮なアイディアが出てこず、いかにも煮詰まっている印象だ。まあ最初の3本がすべて1973年製作、後の2本が翌1974年というハードスケジュールなのだから、この辺で息切れするのも当然といえば当然かもしれないが。
役者では、前作であれだけ大きな魅力を発揮し、話の流れから言っても引き続き登場しなければおかしい成田三樹夫が何の説明もなく消えているのにガッカリ。どんな事情があったのか知らないが、残念極まりない。
その代わりとなる拾いもの(?)が小池朝雄。いつも通りの裏がありそうなキャラとして登場しながら、見かけによらぬ男気を発揮し、最後まで約束を違えず(約束を違えなかったが故に)凶弾に倒れていく姿に胸が熱くなる。元々好きな役者だったが、改めて惚れ直した。


『仁義なき戦い・完結篇』

このシリーズは本来『頂上作戦』で終わりの予定だったのが、あまりのヒットぶりに急遽本作が付け加えられたらしい。だが特にそんな予備知識を持たずとも、前作のラストを見れば、シリーズが一度あそこで終わっていることは誰の目にも明らかだ。
そんな状況から、本作にはまったく期待していなかったのだが、これが意外なほど面白いのに驚かされた。
最大の成功要因は、前作までの繰り返しに陥ることなく、文太や旭たち旧世代が新世代に道を譲っていく話にポイントを絞ったことだろう。以前の作品にあった昇竜のごとき躍動感を、この完結編に見いだすことは難しい。だがその虚脱感が、「良くも悪くも、あの武闘の時代はもはや過去のものになった」という登場人物の感慨とピタリ一致し、今までになかった苦みと陰影をこの作品に与えている。
本作も実質的な主役は北大路欣也(第二作とは別キャラ)であり、文太は脇に回っているのだが、そのような位置関係自体が作品のテーマに重なっているため、『広島死闘篇』の時のような違和感は感じない。北大路欣也もこの黄金シリーズの末尾を飾るに足る好演。その一方で文太と旭もがっぷり四つに組んで、この大河ドラマに最後のけじめをつけてゆく。特に実質的なラストシーンとも言える二人のやり取りは渋すぎ。

  旭 「落ち着いたら一杯やらんか」
  文太「そっちとは飲まん」
  旭 「飲まん? 何でじゃ?」
  文太「死んでいった者たちに悪い」

  く〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!(ToT)

ただし登場人物のさばき方には幾つか問題も感じる。まず金子信雄。シリーズの影の主役であったはずの彼が、今回はお義理に出ているだけといった感じで、映画的にほとんど落とし前が付いていない。田中邦衛も山城新吾も本作でようやく息絶えたのに、これでは片手落ちというものだろう。
そして松方弘樹。第一作に出た彼が別キャラで第四作に出てくるのはいいとしても、引き続き別キャラで第五作にも登場するのは、さすがにまずくないだろうか? 梅宮辰夫や北大路欣也、渡瀬恒彦など別キャラで複数回登場した役者は何人もいるが、みんな1〜2作間隔が空いていた。2作ぶっ続けというのはこの松方だけだ(川谷拓三などの端役は除く)。しかもそのキャラの経歴が、本来なら第一作に登場していなくてはならないようなもの。ひょっとしてこの人は第一作の松方キャラの双子の弟?などという、わけのわからぬ錯覚に襲われた。それじゃ『男たちの挽歌』だって。
そして初登場の宍戸錠。このキャラが前半小林旭と覇権を争うのだが… スーツをビシッと決めながらも、ただ者ではない殺気と貫禄を漂わせる小林旭。それに対してほとんど寝間着のような浴衣を羽織り、パンツ見せながら酒をグイグイ煽る宍戸錠… そりゃ誰が見たって、どっちが勝つかわかりきってるじゃないの(笑)。このキャラの造型はもうちょっと何とかならなかったものか。
そのような不満もないではないが、全体的には意外なほどの面白さに溢れ、シリーズの完結編にふさわしい出来となっている。


そんなわけで全五作に順位を付けてみると…

 第一作>代理戦争>完結篇>広島死闘篇>頂上作戦

…といったところか。


このシリーズ全体を眺めたとき、大きな成功要因として指摘しておかなくてはならないのは、「ヤクザ」という存在を肯定も否定もせず、ニュートラルな視点で描き続けたことだと思う。
もちろん厳密に言えば、麻薬がらみの話や一般人への脅迫や暴力といったヤクザの最も醜い面をほとんど描かないことで、ヤクザを美化していると言えなくもない。だがヤクザという存在も100%隅から隅まで害悪というわけではなく、混乱した時代の中では、その地区の自警団的役割を果たしていたことも否定できない。そういうプラスの面をほとんど描いていないのだから、このシリーズはヤクザを否定しているのだ…という主張も同じように成り立ってしまう。多少のぶれはあれども、まずは肯定も否定もしていないと見るのが順当なところだろう。強いて言うなら、『頂上作戦』ではストーリーの上でヤクザが社会の敵として糾弾されるため、見ている方も「まあそりゃそうだな。ヤクザの物騒な抗争で日常生活を乱されたらたまったものじゃないよ」という、至極真っ当な、しかしこのシリーズを見ている間は一時棚上げにしておくべき常識が頭をもたげてしまう。これも第四作がイマイチの出来に仕上がった、もう一つの大きな原因だ。

そしてこのシリーズは、ヤクザを肯定も否定もしないこと、言い換えればヤクザという存在に一切の批評を加えず、単なる「舞台装置」とみなしたことで、ヤクザという表面的な風俗を乗り越えた、シンプルで根元的な「戦いのドラマ」へと昇華されることになったのだ。

僕は第一作を1月に新文芸坐で見たのだが(その前にテレビでは見ていた)、同時上映は同じ深作監督の『軍旗はためく下に』だった。上官殺しの罪によって銃殺された兵士たちの物語を通して、軍隊とその上に存在する天皇制を糾弾した映画だ(本物の、当然まだ存命中の昭和天皇の映像が使われているのには、心底驚嘆した)。さらにその前日には『バトル・ロワイアル』を再見したばかりだった(70年代の代表作2本と続けて見ても、まったく遜色がないことに驚かされた)。

「広島ヤクザの実録抗争劇」
「旧日本軍内部における人間性の圧殺」
「クラスメート同士で殺し合うことになった少年少女の青春物語」

一見かなり違う題材のように思えるが、その中心に位置するテーマや切り口は、愚直なまでによく似ている。「巨大な権力(組織)に圧殺されようとする人間の必死の抵抗」「その戦いの中で繰り広げられる友情と裏切りの物語」…手を変え品を変え、深作欣二はただひたすら同じテーマを描き続けている。

『バトル・ロワイアル』が大方の予想を裏切って傑作に仕上がった大きな要因も、深作が少年少女の現代的な風俗に一切すり寄らず、あの子供たちを自分のヴィジョンを描き出すための道具として完全に割り切った点にあるのだろう。そして深作は「生か死か」という極限状況を生き抜こうとする人間たちのドラマを、30年前とほとんど変わらぬエネルギーで描ききった。根元的なテーマに向かって注ぎ込まれたそのエネルギーが、『バトル・ロワイアル』に「青春映画」としての強い躍動感を与えたのだ。


そう、まさに『仁義なき戦い』の第一作がそうであったように。


特に女性の場合、いわゆる「ヤクザ映画」を食わず嫌いで見ていない人も多いことだろう。実のところ僕も決して好きなジャンルではない。何しろ僕が映画を見始めた頃は、日本映画がどん底の時代。洋画の大作が華々しく公開される一方で、日本映画は東映がヤクザ映画とトラック野郎、日活はロマンポルノ、松竹は寅さん、そして東宝は橋本忍脚本の大作(^^;)と百友映画でもっているような状態だった(ほどなくして角川映画が市場を席巻する)。
それだけに、いかにも面白そうな洋画を上映している劇場の前を通り過ぎて、見るからに俗悪なヤクザ映画を上映している東映の前に行くと、まるでプレスリーが流れる隣の家で若い日本人の娘が米兵と抱き合って踊っているのを見て、悔しさと惨めさに胸を焦がしたガキの頃の村上龍みたいな気分になったものだ(何じゃそりゃ(^^;)。
要するにヤクザ映画は、僕にとって長い間「恥さらしの国辱映画」「一刻も早く撲滅すべき、忌まわしい映画」の代表みたいなものだったのだ。

しかしさすがにこの歳になると、少年時代のトラウマからも解放され(^^;)、「どんなジャンル、どんな題材であれ、面白いものは面白いし、つまらないものはつまらない」という当たり前の受け止め方が出来るようになってくる。当然ヤクザ映画にも面白いものもあればつまらないものもある。他の全てのジャンルがそうであるように。

そして『仁義なき戦い』シリーズは、「ヤクザ映画」という枠組みなどとはまったく無関係なところで、間違いなく「面白い映画」だ。


もし「ヤクザ映画」という表面的な装いを嫌ってこのシリーズを見ていない人がいたら、騙されたと思って第一作だけでも見ることをお薦めする。そこにあるのは極上の人間ドラマであり、極上のアクション映画であり、極上の青春映画だからだ。

(2001年5月初出)

|

« 【映画】『フープ・ドリームス』 ドラマよりもドラマチック | Main | 【映画】追悼 深作欣二 »

Comments

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 【映画】『仁義なき戦い』シリーズ:

« 【映画】『フープ・ドリームス』 ドラマよりもドラマチック | Main | 【映画】追悼 深作欣二 »