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04/11/2005

【映画】『座頭市』中途半端な変化球

『みんな〜やってるか!』以来、久々の「やってもうた…」映画である。

そう言えば『みんな〜やってるか!』は、大名作『ソナチネ』の次の作品だった。今度も『Dolls』(僕にとっては昨年の邦画ベストワン)の次にこんな作品を作ってしまうのは、北野武の作家としての性なのだろうか? まあ、『ソナチネ』や『Dolls』いったヘヴィーな作品の次に、こういうものを息抜きで作りたくなる気持ちはわからないでもないが…

と言っても、『座頭市』は『みんな〜やってるか!』のような、まったく箸にも棒にもかからない駄作とは違う。実験精神に溢れ、見るべき部分も非常に多い。しかし一個の作品として、特に「ドラマ」として見た場合、頭を抱えるしかない代物であることも確かだ。今開かれているヴェネチア映画祭で絶賛されているというニュースは、質の悪い冗談としか思えない。この程度の作品が賞を取ったりしないことを、心から祈るばかりだ。


まず良いところを二つ。「全編タップダンスのリズムで作った」という北野武の言葉は嘘ではなかった。あの独特のリズム感は、今までの時代劇の常識を完全に打ち破るもので、それだけで一見の価値がある。そして殺陣。一体どう撮ったのかよくわからない凄まじいスピード感と迫力で、この点でもまったく新しい時代劇の創造に成功している。ただし手放しで絶賛出来るわけではない。大きな効果を上げている部分がある一方で、あまりに速すぎたりカメラが寄りすぎていたりして、何が起こっているのかよくわからない部分も多々あるからだ。だが今後幾多の模倣が生み出されていく革新的な撮影法であることは間違いない。


ではダメな点はどこか? 「ドラマとしての構成がボロボロ」「無駄に長いシーンや無意味な設定が多すぎ」。主にこの2点だ(多くの点でこの二つはだぶっている)。

ドラマとしての構成について言えば、前半あれだけ過去の因縁を描いておきながら、それが後半でほとんど生かされていないのに唖然とする。そのため前半の様々なドラマ(特に回想)が、結果的にはすべて無駄なシーンになってしまっている。この構成はいくら何でもひどすぎる。
例えば浅野忠信の過去。あのような屈辱を味わい、心に傷を負っているのはわかった。だがその心の傷が、後半の浅野の行動や結末に何ら関係していないではないか。ああいう過去があったから今は用心棒家業をやってているのだと言うなら、それは違う。何もああいう過去がなくても用心棒家業に付く人間はいるだろう。用心棒という記号以上の人間ドラマ、つまりあのような過去を背負った人間ならではの行動や心理描写を描かないのであれば、わざわざ回想形式で彼の過去を詳しく描くなど無意味だ。単なる凄腕の悪役として描けば、それで十分。
そして浅野の妻の夏川結衣…その存在意義は限りなくゼロに等しい。脚本にはそれなりの心理描写があったのだが、映画のリズム感を優先するため、編集段階ですべてカットされたのではないかと疑いなくなる。
さらに凄いのが旅芸者の二人。二人は仇を追い求めているわけだから、その発端となった事件を描くのはいいだろう。だがその後の苦労話をあんなに長々と回想で描く必要がどこにあるんだ? あそこまで描くのであれば、クライマックスで二人が見事本懐を遂げるカタルシスがあってしかるべきなのに、それもない。娯楽映画の型を崩すのはいいが、ただ崩しただけで、それに代わる新しい面白さを提示できないのでは何の意味もなかろう。

そこへさらに冗長さを加えているのが、幾多のつまらないお笑いネタや、コマ回し、田圃でのタップダンスといった、本筋に何の関係もないシーン。本筋で無駄のない緊張したシーンが続くなら良い息抜きにもなるが、これだけ無駄なシーンが続く作品に、さらに無駄なお遊びが入ってきたのではたまったものではない。

また、最初に殺陣の斬新さを誉めはしたが、これも単なる見せ物としての凄さであり、ドラマ性は皆無に近い(ドラマ性のある殺陣とはどんなものか? 『HERO 英雄』を見なさい)。だから後半になるとだんだん飽きてくる。市と服部(浅野)の戦いも、一瞬で終わるのは構わないが、あそこまで盛り上がらないのは、描写としていかがなものか。
その場面が盛り上がらない大きな理由でもあるのだが、この作品、撮影と照明が、北野映画とは思えぬほどひどい。これが本当にあの『Dolls』を撮ったカメラマンなのかと目を疑うばかりだ。屋外は悪くないのだが、室内や夜間シーンになると、信じられないほど平板な画面が続いて、首を傾げることしきり。THXスクリーンで見てあれだから、あまり上映環境の良くない劇場では、見られたものではないだろう。

さらに言えば、舞台となる町が、どういう大きさのどういう町なのか、おうめの家とはどんな地理関係にあるのか、ほとんどわからないのも辛かった。三つのやくざ集団が町を仕切っているという設定だが、それもただ台詞で説明されるだけで、視覚的/ドラマ的なリアリティは皆無だ。設定やストーリーは、どこかしら黒澤の『用心棒』を思わせるものがあるが、その差はあまりにも歴然としている。もちろんあのような方向は最初から目指していなかったのだろうが、それならそれでもっと設定やストーリーをシンプルにすべきではなかったのか。

最後のタップダンスも、映像的にはダイナミックで素晴らしいが、そこに至る必然性や、全てが解決された後のカタルシスが皆無なので(何しろ彼ら自身は何もやっていないのだから)、取って付けたようにしか見えない。こんなものは本編に入れるのではなく、エンディングクレジットのバックに流せば十分だろう。


結局この作品で成功したのは、編集のユニークなリズムと、殺陣の斬新な撮影法だけと言っていいだろう。娯楽映画として真っ向から勝負をするわけでもなく、時代劇の形を借りていつもの北野映画らしいシリアスなテーマを展開するわけでもない、妙に中途半端な作品…そう評価する他あるまい。

北野武が偉大な映画作家であることは100%疑いない。だがどんなに偉大な作家でも得意不得意はある。残念ながら、この『座頭市』は、彼には不向きな題材だったようだ。


(2003年9月初出)

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