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04/07/2005

【音楽】fra-foa 『宙の淵』

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「ライヴ評書き上げて、少し調子が出たぞ。よし、この調子でアルバム評も完成だ!」ということで、やっと書き上げた。最初に書き始めてから、なんと4か月近くかかってしまった…

                  *

fra-foa(フラホア)というバンドに興味を持ったきっかけは、ある音楽誌のレヴューだった。
「セカンド・マキシ・シングルをスティーヴ・アルビニ(!)が手がけた」「グランジ直系のサウンド」「激情型のヴォーカルはCoccoや椎名林檎とも比較されそう」といった紹介、そして『宙の淵』というアルバム・タイトルや「澄み渡る空、その向こうに僕が見たもの。」「君は笑う、そして静かに眠る。」「月と砂漠」といった曲名に何かしら惹かれるものがあり、発売初日にファーストアルバムを手にした。

そこにあったのは、予想以上に鮮烈で、突き刺さるように痛い九つの歌だった。

音そのものはほぼレヴュー通りだった。静と動がドラマチックに交錯する曲構成、ザクザクと切り込んでくるようなギターと重いビートは、ニルヴァーナとレディオヘッドの間を行き来する。スティーヴ・アルビニが録音とミックスを手がけたのは3曲だけだが、その他の曲もアルビニ風のゴリゴリザラザラしたライヴ一発録りのようなサウンドで統一されている。その質感は、確かにニルヴァーナの『イン・ユーテロ』やシェラックのサウンドに一脈通じるものだ。だがバンドの演奏自体は、新人とは思えぬほど巧みではあるものの、正直それほど傑出した個性は感じられない。

fra-foaをfra-foaたらしめているもの…それはすべての歌の作詞/作曲者であり、ヴォーカリストである三上ちさ子に他ならない。CDのジャケットや宣材等もすべてちさ子一人のイメージで売っており、他のメンバーは顔もろくにわからない状態だが(笑)、それは単に見栄えだけの問題でもなさそうだ。

それにしてもこの三上ちさ子という不思議な少女の存在をどう表現すればいいのだろう。
消え入りそうに淡く整ったルックスは、いささか病弱なイメージはあるものの美少女と呼んで差し支えないレヴェル。個性派のアイドルといっても十分通用するだろう。声質も凛とした美少女声。ところがヴォーカルのスタイルは、感情を裸のままさらけ出したような激しいもので、誰もが『ブーゲンビリア』の頃のCoccoを思い浮かべるはずだ。しかも作詞/作曲まですべて彼女が手がけており、その歌詞の内容たるやほとんどが生と死に関するもの、恋愛について直接的に歌ったものなど一曲もない。その上一人称はすべて「僕」に統一されている。一見何もかもがミスマッチだ。
だがあの細く甘い声が、ニルヴァーナ直系のラウド&ノイジーなサウンドと不思議なほどよく溶け合う。そしてあの青臭いまでに生真面目な歌詞は、彼女の凛とした声質と、声域の限界を超えてなお絶唱するような唱法によって、完全な肉体性=リアリティを与えられている。ヴォーカリストとしての技術は決して優れているとは言えない。歌詞も字面だけ取り上げれば、ストレートすぎて照れ臭くなる。にも関わらずちさ子の歌がここまでのリアリティを獲得しているのは、彼女が何の邪心も持たず、肉体と魂のすべてを歌に捧げているからだろう。その音楽に対する真摯な姿勢と、自らの肉体的な限界がぶつかった時に生み出される壮絶な歪み…そこに音楽を超えた生々しい感動が生まれてくる。


以下、曲目に沿っての解説。1話、2話…という表記はアルバム上の表記に従っている。


1話 真昼の秘密

静かだが緊張感に満ちた2小節が終わると、ヘヴィーなギターリフとドシャンバシャン騒々しいドラムスが炸裂。まさに由緒正しきグランジサウンドだ。静と動のパートが交互に入れ替わりながら盛り上がっていく構成はニルヴァーナそのもの。しかし自らの血と肉を削り取って音にしているかのようなちさ子のヴォーカルと、バンドの確かな演奏力が、物真似の域を遙かに超えたリアリティをこの曲に与えている。
歌詞は子供時代の想い出を若干シュールな表現で綴ったもの。アルバム全体が、生と死をめぐるコンセプトに貫かれているので、この曲はいわば生の最初の一歩というところだろう。スティーヴ・アルビニが録音とミックスを手がけており、セカンド・シングル「青白い月」の2曲目には、この曲の英語ヴァージョンが「secret garden」というタイトルで収録されている。


2話 プラスチックルームと雨の庭

1曲目〜3曲目は、音楽的には一つの組曲のような構成を持っている。中間部にあたるこの曲は、最も直接的な歌詞と、エモーショナルなヴォーカルが爆発する名曲。「ねえ 僕は/この世界に真実 望まれて生まれてきたのかな?」「ねえ 僕は/君の温かさに 触れる資格なんてあるのかな?」という、思春期特有の不安と自己嫌悪が、やがて「君」への純粋な思いへと昇華されていく様を、明日などないかのごとき燃焼度でちさ子が歌い上げる。曲の構造は比較的シンプルだが、ギターもドラムスも後半になるに従って音数を増やしていき、サウンドをドラマチックに盛り上げる。この歌を「僕」という人称で歌い上げるちさ子は、ある種の少女漫画の主人公のように、凛々しく、美しい。


3話 夜と朝のすきまに

アルビニが再び録音/ミックスを手がけたナンバーで、2曲目の熱をそのまま持ち越したようなヘヴィーなリフで始まる。歌詞は「夜」と「朝」に関連した表現を中心に、孤独な心象風景を歌い上げたもの。いかにも組曲の大団円らしい大きなスケールを持っているが、メロディーに特徴がないせいか、一つの曲としては、前2曲に比べると少し弱い。それでも圧倒的なエネルギーを放つちさ子のヴォーカルは、聴く者の心をつかんで放さない。


4話 ひぐらし

荒々しいグランジロックの3連発から一転、童謡のようなメロディーを持つ、穏やかでノスタルジックなナンバー。ヘヴィーなサウンドが大部分を占めるこのアルバムの中で、実にいいアクセントになっている。
歌詞は子供時代の想い出をかなり具体的な情景描写で綴ったもの。ここまでの流れからすると、急に時代が逆戻りしたような印象を覚えるのも確かだが、これは光り輝くような5曲目に向けての助走部分と受け止めるべきだろう。


5話 澄み渡る空、その向こうに僕が見たもの。

太陽に向けて駆け上っていくような高揚感。ブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」を彷彿とさせる、何度聴いても胸の高鳴りを抑えられない名曲だ。fra-foaの曲は、重いリフを中心に作られた、どっしりとしたナンバーがほとんどだが、その中でこの曲は、例外的と言っていいほど活きのいい、疾走するロックンロールとなっている。音が高音部に片寄っている分、fra-foaらしい重層的な音作り〜スケールの大きさに欠ける嫌いはあるが、この輝くような疾走感はそれを補って余りある。
歌詞は気恥ずかしくなるほどにストレート。しかし「でもふと気づくと僕には/心の底から望むものなんて何一つ無かった」「僕の心は何かが欠けてるから/無意識に人を傷つけてしまうんだ」という自己への不安が、「いつかは消えるのなら/生きている愛しさや/哀しみや辛さまで受け止めるんだ」「誰かがこのちっぽけな僕を求めてくれたら/僕はもうそれでいいよ/君に会いに行こう」という生に対するポジティヴな決意へ変化していく様を、濁りのない真正直な声で歌い上げるちさ子は抗しがたい魅力に溢れている。
何よりもこの曲がアルバムの中心に位置する構成が絶妙だ。「今の自分に対する不安と嫌悪」「避けがたい死に対する虚無感」「死を自覚した上での生に対する決意と愛情」…それらの間を揺れ動く気持ちが全編にわたって歌われるアルバムの中で、この曲は「生に対する決意と愛情」が最も高らかに歌われた曲だ。この曲がアルバムの真ん中に燦然と輝くことで、彼らが最終的に描こうとしているものが「死を見つめることによってのみ得られる生の輝き」であることがより明確になってくる。


6話 君は笑う、そして静かに眠る。

曲調は再び低音を強調したグランジタイプのもの。だがポジティヴな歌詞の内容を反映して、ハードではあるものの、包み込むような優しさを漂わせている。曲調はまったく違うが、汚れた日常の中で光を求めようとする気持ちを歌った歌詞や、タイトルを見る限り、これは「澄み渡る空、その向こうに僕が見たもの。」の続編と考えるべきだろう。3曲目と同様メロディーに特徴がない点が惜しいが、そのポジティヴィティ溢れる歌詞と、雄大なスケール感で、5曲目の余韻をしっかりと受け止めている。


7話 青白い月

現時点におけるfra-foa最大の名曲。叫びと囁き、哀しみと慈しみ、痛みと癒しがドラマチックに交錯する6分12秒には、ただ息を呑む他ない。
これもアルビニが録音/ミックスを手がけたナンバー。だからと言うわけでもなかろうが、曲の構成や雰囲気はニルヴァーナの「ハート・シェイプト・ボックス」によく似ている。だが歌詞のリアリティ、スケールの大きさ、技術的な巧拙を超越して聴く者の魂を揺さぶるちさ子の歌声…あらゆる面で、あのニルヴァーナよりも一つ高い次元に到達していると思う。
歌詞の内容は、幼い日に死んだ兄の想い出を綴ったもの。これがちさ子の実体験かどうか正確には知らないが、そうであると確信できるだけのリアリティに満ちている。また幼い日の想い出を歌ったという点から、この歌を「ひぐらし」の陰画と見ることも可能だ。ひぐらしの声、夕涼み、線香花火、かき氷、そして優しい父と母…甘く懐かしい想い出を綴った「ひぐらし」の中に、しかし「兄」という言葉だけは登場しない。幼い日の光のの部分を歌った「ひぐらし」、影の部分を歌った「青白い月」… 
だがこの歌は、家族の死という悲劇を題材としているにもかかわらず、ベタベタした感傷的な表現は一切なく、タイトル通りの澄み切った透明感に溢れている。それはちさ子の視点が、死んでいった兄そのものよりも、(自分を含む)残された家族の心の癒しに向けられているからだろう。


8話 月と砂漠

2000年の5月にデビューシングルとして出されたナンバーだが、よくまあこんなポピュラリティのないヘヴィーなナンバーをシングルにしたものだと思う。曲としては例によってのグランジ・スタイルだが、まだfra-foaならではの個性は確立されておらず、「青白い月」の後に続くと、どうしても見劣りするのはやむを得ない。荒涼としたイマジネーションを詩的/抽象的な言葉で綴った歌詞も、まだ未熟な感じで、ちさ子ならではの切れば血が吹き出るようなリアリティは感じられない。なおこの曲のみ、作曲はギターの高橋誠二とちさ子の共作になっている。


9話 宙の淵

ラストに来るタイトル・ナンバーは、荒々しい部分もあるが、基本的には静かな安らぎに満ちた曲。宇宙的な視野に立って、自分という存在がどこから来てどこへ行くかが歌われている。曲としては地味だが、その歌詞は、生と死をテーマに歌われたアルバムの最後を飾るにふさわしい。感情の爆発をあえて抑えたちさ子のヴォーカルも凄みを感じさせる。一度曲が終わってから数十秒後に、シークレットトラックのように始まるノイジーな演奏は、涅槃(ニルヴァーナ)を拒否し、あえて混沌の中で生き続けるという決意のようにも聞こえる。


fra-foaはまだアルバムを1枚出しただけの新人だ。多分一般的な意味での人気者になることもないだろうし(まあCoccoやエレファント・カシマシがヒットする時代だから、絶対とは言えないが)、ちさ子のヴォーカリストとしての限界が、今後表現の幅を狭める不安も感じないではない。


だが少なくともこれだけは言える。


今のfra-foaの表現には、一切の濁りがない。


だからこそfra-foaの歌は、青白い月の光のように、雑然とした日常をかき分けて、聴く者の魂を照らし出す。


fra-foaは「信用できる」。


(2001年6月初出/2005年4月改訂)

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