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04/29/2005

【演劇】ク・ナウカ『サロメ』 2003.7.26

ク・ナウカ『サロメ』2003年7月26日(土) 日比谷公園草地広場


前日(初日)の25日(金)は、結構な雨の中を決行したようだが、幸いこの日は晴れ時々曇り。暑くも寒くもない、野外公演に適した天候となった。

では何も問題ないかというと、これがいきなり問題発生。すぐ近くの日比谷野外音楽堂で杉山清貴のライヴが行われており、その音がガンガン響いてくるため、本来は19時40分開場/20時開演のはずが、20時入場/20時30分開演になったのだ。でも…そうなることくらい事前にわかってるだろうに(--;)。この辺りの仕切りの悪さが、いかにも小劇場的である。
19時20分頃から、なぜか半券だけをもぎって、代わりに「これを飲んでお待ちになってください」と缶コーヒーの類を支給された。飲み物まで配るところは、気が利いているというかサービス過剰な気もするが、待てと言われても、夜の日比谷公園で時間をつぶすところなどあるはずもなく、そこらに座りこんで待つことになる。

ようやく20時に開場。怪しげなロープが頭上に張りめぐらされた会場へと案内される。しかし僕の整理番号は5番なのに、その前に5人入り込んでいたのはどういうことだ。気にくわんぞ。
大急ぎで、ほぼ真ん中の最前列かぶりつき席をキープ。昨日までの雨の影響で地面のあちこちにぬかるみがあるが、とりあえず野外用の固い長椅子があったので、その点は問題ない。とは言え、この固い長椅子はある程度の時間じっとしているには、少々辛かった。クッションでも持ってくれば良かった。
そしてここからがまた凄い。ウェイター姿の劇団員たちが、なぜか小さなカップで希望者に梅ワインを配ってる(笑)。そして「今野音でアンコールが始まりましたので、もうしばらくお待ちください」「まだしばらくは始まりません。トイレは客席の裏側にありますので、今の内にどうぞ」「喫煙なさりたい方は私に付いてきてください」「もうお飲みになられた方は空いたカップ回収します」等々、劇団員が各種の案内をし、動き回っている。アットホームと言うべきか脱力と言うべきか…もっともそんな人たちが、あとでスピーカーとして大活躍するのだから、そのギャップによる驚きを狙った演出…ではないよな、きっと。

                 *

ほぼ20時半頃、ナラボー役の人(言動一致)が真ん中に立ち、いささか唐突に劇が始まる。しかし、このナラボー役の台詞がなぜかドイツ語。この劇団の芝居を見ると、毎回必ず「??」と言いたくなる意味不明な演出に幾つか出くわすのだが、今回はこれがその筆頭だった。もし事前にストーリーを復習してこなかったら、あの人が一体何者なのか、何でいきなり自殺するのかもろくにわからなかっただろう(ついでに言えば、この人あまり芝居もうまくなかったし)。
それを除いても、ある程度の予備知識がない人には、ストーリーのわかりにくい舞台だろうと思う。そもそもワイルドの原作戯曲からして、聖書に関連した知識を前提として書かれている。僕など、サロメが踊りを踊る代わりに好きな男の首を所望する、ということ以外ほとんど全ての設定を忘れていた。舞台が古代のユダヤ王国であることも、首を切られるのが洗礼者ヨハネ(劇中の役名はヨカナーン)であることもだ。事前に復習していなかったら、完全にアウトだったろう。もちろん台詞を聞いていれば大体のことはわかるのだが、そもそもク・ナウカの劇の台詞は、台詞である以上に「音楽」だから、そこから必死で情報を聞き取ろうとするのは、少々野暮ったい。やはり事前にストーリーを頭に入れておいた方が、舞台そのものの面白さを味わうことが出来るはずだ。この辺りも文楽の鑑賞法によく似ている。

やがてサロメ役の美加理登場。

真ん中にある通路から出てくるので、私と美加理の距離、約150センチ。

まず最初に愕然。

え? 美加理さんってこんなに小柄な人だったの??

『天守物語』の冨姫役の時には、それこそモデル並みの大柄な人に見えたのだが、至近距離で見る彼女は、まるで子供のように小柄である。ピチッとした衣裳(男もののスーツ)を着ているせいで、体の細さがさらに強調されている。そのウエストの細いこと、細いこと。と言っても、モデルのような細さではない。まだ大人の女として成長していない、中学生くらいの少女の体型なのだ。
私の推定では今40か41のはずなのだが…美加理さん、やはりあなたの正体は、魔界に住む冨姫様なのですか?

やがてヨカナーンが頭上から登場。そう、頭上にはりめぐらさせた蜘蛛の巣のようなロープの真ん中部分に役者が立っているのだ。設定としては、ヨカナーンは地下牢にいるのだが、ここでは見かけ上それが逆転している。これは天に近い場所にいるヨカナーンと、現世をさまようサロメという対比からも、優れた演出だったと思う。
ただしこの二人のやり取り自体は格別優れたものとは思えない。美加理の凄さが全開になるのは後半になってからだ。


続いて本編最大の衝撃「ムカデ」と「クモ」である(笑)。

ヘロデ王とヘロディアス王妃の登場。しかしこの二人が、いきなり凄まじいかぶり物をしているのだ。ヘロデ王は何とムカデの冠をかぶり、その後ろに3メートルはあるムカデの胴体をズルズルと付けて登場。王妃は、もの凄い厚化粧に、巨大なクモの足を両手につけた状態。ドリフターズのコント並みの、冗談としか思えぬかぶり物の連続に、頭が真っ白になる。いくら新演出といっても、これはやりすぎではないのか? ひょっとするととんでもない失敗作を見に来てしまったのではないか? 一瞬絶望的な気分に陥った。

ところがずっと見ていくと、そのようなかぶり物にもちゃんと意味があることがわかってくる。要するにこの舞台は、「虫の世界」が全体を貫くコンセプトになっているのだ。ヘロデ王はムカデ、ヘロディアス王妃はクモ、サロメはガ、そしてヨカナーンはクモの巣に囚われた人間。それで前半、サロメがヨカナーンに惹かれていく場面で、舞台の真ん中(ヨカナーンがいる下)に誘蛾灯が立っていた理由もわかるというものだ。

さらに驚いたのは、あんなかぶり物をしてどうやって芝居を続けるんだ? 途中で脱ぐのか?と思いきや、ムカデの胴体の中に二人の役者が入り込み、さながら獅子舞のように一匹の大ムカデを演じるのだ。この動きが非常に自然だったため、最初の衝撃は徐々に和らいでいった。また、劇の途中であの胴体が実は王のマントであることも語られるので、最終的にはムカデに対する違和感はほとんどなくなった。ただクモの方は、最後までいかにも重たそうに手(クモの足)を動かしているのが妙に現実的で興醒め。何も手に付けなくたって背中から足が生えているような造型にすれば十分だと思うのだが。
ヘロデ王役のムーバー稲川光/スピーカー吉植壮一郎は、共に素晴らしい演技を見せていた。特に吉植壮一郎の台詞回しは桁違いの実力。他のスピーカーが非力に聞こえて仕方がなかった。この二人の配役だったからこそ、ムカデのかぶり物に対抗しうる存在感を発揮できたのだろう。それに比べてサロメ役のスピーカー佐々木リクウは、ムーバーの美加理の演技と相性が良いとは思えず、いささか残念な結果になっていた。

そしてサロメの踊り。これが普通の踊りではなく(と言うより踊りらしい踊りなどなく)、繭の中からはい出した美加理がガの成虫となって、宙に舞うまでを見せるというもの。これもなかなか面白い演出だと思う。サロメと言えばストリップ、ストリップと言えばサロメ、というくらい有名な、踊りながら次々とヴェールを脱いでいく場面だが、そのような演出なので脱ぎは一切なし。ホッと胸をなで下ろしつつ、ほんの少し残念な気もした。
ただし衣裳はかなり肌の露出が多いもので、下は短パンで太股まで顕わになっている。しかしあの白く滑らかで張りのある太股が、本当に40過ぎの女性のものなのか? その艶やかさは、『あずみ』の上戸彩の太股と比較しても何の遜色もない。美加理さん、やはりあなたの正体は、魔界に住む冨姫様なのでしょう。
羽化したサロメは、(クモの巣から体を吊られ)羽を広げた姿のまま虚空で静止している。まるで動きはなく、オブジェのようにずっと空中にいるのだが、これは動いて演技をしているよりも肉体的には遙かに辛いはずだ。それでも表情一つ変えず、同じポーズを長時間続けられる美加理の肉体コントロール能力には恐れ入る。

そしてクライマックス。それまではサロメよりもヘロデ(ムカデ)王が主役のような舞台だったが、ここは美加理の完全な一人舞台だ。自分の恋した男の生首に口づけをするサロメ。生首として、フットボールのような形をした地球儀が使われているいるせいもあってか、猟奇的な印象は受けない。
世の中のほぼあらゆるものを手にしながら唯一手に入らないものに恋してしまったサロメの哀しみ、それをこのような形で手にした虚しさ、そして手に入らないが故に恋せずにはいられないという人間の不条理な性が、美加理の肉体から青白い炎のように立ち上ってくる。ここでもスピーカーの表現力不足が少々足を引っ張っていたが、美加理の美しさは、もはやこの世のものとも思えぬ凄絶な次元に達していた。美加理さん、やはりあなたの正体は…

ヘロデ王の「あの女を殺せ!」という台詞の後、ゆっくりと舞台が暗転。劇は終了し、再びライトが付く。この終盤から終演後のお辞儀まで、美加理さんの立ち位置は僕の真正面。あの美加理さんが、この会場の誰よりも僕に近い場所で芝居し、お辞儀までしてくれたのだ…感激。


帰り際、足下に転がっている地球儀を触ってみたら、風船ではなく木で出来た固いものだった。なぜヨカナーンの生首が地球儀だったのか? いろいろな解釈が出来そうだが、まだ考えはまとまっていない。

                 *

芝居全体を評価すると、あまりにも意欲的な新演出が、作品を破綻寸前に追い込んでいる印象もあり、かなり八方破れな仕上がりだと思う。いかに意味があるとは言え、あのドリフのコント並みのかぶり物に抵抗を感じる人は少なくないはずだ。
こうしてみると3月に見た『天守物語』が、いかに完成された舞台であったかがよくわかる。宮城聰自身が「歌で言えば楽譜のようなものがほとんど出来上がった作品」と語っているのも納得だ。
それに比べると、この『サロメ』は完成度の点から言えばお話にならない。だがその分見ている方もやっている方も、この芝居がどのような形に固まっていくのかわからず、お互いにそれを手探りしているようなところが非常にスリリングな面白さとなっている。『天守物語』がクラシックなら、『サロメ』はジャズのアドリブ、それも初めて顔合わせをしたミュージシャン同士のセッションだ。今後再演される時にどのような成長を遂げているかも楽しみだが、このいわばヨチヨチ歩きの『サロメ』を見る楽しみは、二度と味わえぬものだろう。
それにしても、ただでさえ土だらけになるこの芝居を、昨日は雨と泥にまみれながらやっていたのか。それはそれで、どんな凄絶なものになっていたか見たかった気もする。


だがこの日最も素晴らしかったのは、何と言っても美加理さんである。あの非人間的なまでの美しさの前では、いかなるドラマも、いかなる演出も輝きを失う。ヨカナーンの生首を抱えた彼女の、青白い月光のような美しさを、僕は決して忘れることはないだろう。


(2003年7月初出)

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