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03/29/2005

【本】『カブキの日』小林恭二 私はこれで人生を狂わせた

『モンスターフルーツの熟れる時』が非常に面白かったので、小林恭二の本を続けて読んでみた。第11回三島賞を受賞した『カブキの日』('98)だ。

先に言っておくが、僕は歌舞伎のことをほとんど何も知らない。謙遜でも何でもなく、本当に知らないのだ。歌舞伎と能と狂言の違いなど、言葉で定義できないのはもちろんのこと、映像を見ても判別できない可能性大。せいぜい「『影武者』で、武田信玄が撃たれる時に見ていたあれは能だよなあ? じゃあああいう様式的かつ退屈な(笑)動きをしているものが能なんだろう。いや待てよ、それ以前に能ってのは必ずお面を付けるものだったかな?」といったレベルである。その辺の違いについては高校の時古典か日本史で習ったような気もするが、そんなものもうとっくに忘れた。辛気くさい古典や、くそ難しい漢字がずらずら出てくる日本史は嫌いな授業だったのだ(歳のせいか、最近そういうものに興味を持ち始めたのだが、その手の本を開くとやはり漢字の羅列にうんざりする)。


そしてこの『カブキの日』は、小林恭二の小説という以上に、僕にとってはまったく未知の文化である「歌舞伎」というものに興味を抱かせた作品として記憶されそうだ。

もっともこの小説を読んで歌舞伎に興味を持ちましたなどと言ったら、良識ある歌舞伎ファンは目を剥くのではなかろうか。それほどこの小説で描かれる歌舞伎の世界は、魑魅魍魎の跋扈する異次元の世界である。いくら歌舞伎界が特殊な世界だたとしても、さすがにあそこまで途方もない歌舞伎座は存在しまい(笑)。小林恭二の大法螺センス炸裂である。ひょっとして真面目な人々の真面目な批判を避けるために、全編「歌舞伎」を「カブキ」としたのだろうか?
だが具体的な描写こそありえないことだらけだが、案外この荒唐無稽な物語は歌舞伎というものの本質を的確に捉えているのではなかろうか? 歌舞伎という言葉は、元々珍妙な格好やおかしな行動をさす「かぶく」という言葉から来ている(という知識だけは辛うじて持っている)。そしてこの小説が呆れ返るほど「かぶいた」作品であることは間違いない。

簡単にストーリーを説明すると、蕪という少女が月彦という若衆の少年と共に、今は亡き祖父(有名な歌舞伎作者)に導かれ、百鬼夜行する世界座の楽屋(これが歩いて何時間もかかるほどとてつもない広さなのだ!)を旅する物語と、表舞台における板東京右衛門(改革派)と水木あやめ(保守派)の対立を巡る物語が交互に描かれ、クライマックスでその二つが劇的な形でクロスするというもの。『モンスターフルーツ』同様、先の展開がほとんど予測できない語り口はエンタテインメントとしても優秀だ(もっとも読んでいる途中にふと思ったのだが、この構成はひょっとして村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の影響を受けているのではないだろうか?)。

だ厳密にみていけば、作品の構成には少なからぬ弱点がある。キャラクターの描き込み不足(特に月彦)や、物語の中であまり効果を上げていないエピソードも目立つ。しかしそれを補って余りあるのが、各エピソードのセンス・オブ・ワンダー溢れる描写だ。もはや何でもありの楽屋はもちろんのこと、舞台上の描写がまた素晴らしい。例えば物語の上ではあまりうまく機能しているとは思えない水木鳳五郎の「笑顔」のエピソードも、そこだけ取り出せば、描写といいあやめの台詞といい、素晴らしく面白い。舞台におけるたった一つの笑顔の中から、人生と芸に関する様々な考察が溢れてくる。その後鳳五郎が登場しないのは、物語としては明らかに物足りないのだが、ここで示された考察が、最後までエコーのように響き渡っている点はやはり見事なものだ。

そして奇々怪々な物語の中心に、蕪と月彦という無垢な少年少女を配したことで、この作品は素晴らしい軽やかさを獲得している。この二人のキャラクターに関しては描き込み不足が目立ち、「若者」という記号でしかないとさえ言えるのだが、むしろそのような記号=型に徹した事で、あのファンタスティックな大団円が逆に説得力を持ったとも言える(クライマックスでは二人の内面描写がまったく消え去っている点に注目)。途中に入るコンビニのエピソードやジュラシック・パークのエピソードも、名人芸的な匙加減によってユーモアとして昇華され、スイカにかけた塩のように、楽屋の異次元性を補強していく。

僕にはここで描かれたカブキの内、どこまでが本当の歌舞伎と共通しているのか判別できない(楽屋の方は明らかに法螺話だとわかるが)。しかし「型」の集合体のように見えた伝統芸能の中に、これほど生々しいドラマが息づいているのかと思うと、実に楽しくなる。そんなわけで、今生まれて初めての歌舞伎鑑賞を計画中だ。


それにしても小林恭二という作家、やはりただ者ではない。マルケス的な大法螺感覚(マルケスの方は法螺ではなく現実だという噂もあるが…)と、それに相反するかのような軽やかな文体・ユーモア…この二つを両方兼ね備えた作家は希だろう。例えば村上龍がこの題材を書いたとしたら、どれほどズブズブドロドロのヘヴィーな作品になったことか…それを想像すると、改めてこの人の作風の貴重さが明らかになってくる。


そんなわけで、まだしばらくこの人との付き合いは続きそうだ。さあ、次は『ゼウスガーデン衰亡史』にいこう(ハルキ文庫はマイナーなので、見つけるのに苦労した)。


【注】2005年3月
その後の経過だが、この本をきっかけに初めて歌舞伎を観賞。その面白さにショックを受けて、2年ほどの間歌舞伎/能/文楽と古典芸能にどっぷりとつかる。特に文楽との出会いは、衝撃以外の何ものでもなかった。
やがて興味の対象は「生の舞台」全般に拡大。2003年3月に、MODEの『AMERIKA』およびク・ナウカの『天守物語』と運命の出会いを果たし、主戦場は現代の小劇場に移っていく。それまではシアターコクーンでやるような作品を年に2本くらい見る程度で、とても演劇ファンと呼べるようなものではなかったが、今では下北沢や新宿の小劇場を中心に、月に4〜5本の舞台を見るに至っている。古典芸能の方は、歌舞伎は「値段が高い」という理由で開店休業状態。文楽を年に2回(国立劇場の上演のみ)見る程度に落ち着いている。
それらの全てが、この『カブキの日』というたった一冊の本から、さらに言えば「表紙が素敵だ」という理由で『モンスターフルーツの熟れる時』を買った時から始まったのだ。結果的に見て、これほど自分の人生を大きく変えた本は希だということになる。人生とは、本当にわからないものだ。また、この歳になってなお、たった一冊の本で人生を大きく変えてしまう、自分という人間の柔軟さというか危なっかしさというか、そちらにも溜息が出る思いだ。


(2001年6月初出)

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