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03/30/2005

【本】『ゼウスガーデン衰亡史』小林恭二

503ページに及ぶ大作。もっとも『ゼウスガーデン衰亡史』は404ページまでで、残りの100ページは番外編である『ゼウスガーデンの秋』IとIIが占めているのだが、壮大な内容と相まって、堂々たる超大作という印象を抱かせる。

時代設定は、何と西暦1984年から2089年までの105年間。1984年に「下高井戸オリンピック遊技場」としてオープンした遊園地が、次第にとてつもない発展を遂げ、およそ100年後に滅亡するまでの物語を、百鬼夜行の権力闘争と際限なき快楽の饗宴を通して描く、奇想天外抱腹絶倒の大河ドラマだ。

「遊園地」と言っても、ディズーランド・レベルのものを想像してもらっては困る。何しろ最盛期の2034年に至っては、「全国に236箇所」のゼウスガーデンがあり、その専有面積は「旧下高井戸オリンピック遊技場と鮫入りプールを合わせたものの一千倍近く」なのだ。
この「旧下高井戸オリンピック遊技場と鮫入りプール」が具体的にどの時代を指しているのかよくわからないが、両者の面積に関する描写を拾ってみると、まず旧下高井戸オリンピック遊技場は、「下高井戸二丁目十九番地の二百坪そこそこの借地」から始まり、1990年には「東は和泉全域と方南町全域、西は高井戸西、宮前、それに久我山五丁目と三丁目、南は桜上水、北は善福寺川南岸までそれぞれ進出した」とある。東京の人間にしかわからない(東京の人間でもよくわからない?)描写だが、とりあえず「一つの区/市と同じ程度の大きさ」と考えてもらえればいいだろう。
一方下高井戸オリンピック遊技場の別施設として富士山麓にオープンした(後に分離独立、その後再合併して施設全体が「ゼウスガーデン」と改称される)鮫入りプールは、体長18メートルのジンベエザメが泳ぐスイミングプールを中心とした施設だが、そのプールだけでも「長軸1630メートル、短軸960メートルの楕円ドーナツ型で真ん中にさしわたし300メートルほどの中州があった。ほとんど一個の湖といってよい広さである」。何しろジンベエザメが泳ぐところだから、深さも最低で30メートル以上だ。その周りには幅250メートルのプールサイド(熱帯植物が咲き乱れる砂浜。年間を通して30度以上の温度を保つためあちこちにヒーターが埋められている)。それを囲むリゾート施設たるや「三万人ものゲストを同時に収容できるレストハウスから、ホテルから、駐車場から、レストランから、劇場から、映画館から、ディスコから、モーテルから、パチンコ屋から射的場から秘宝館から、とにかくおよそリゾートタウンに必要とされるものはすべて揃っていた」という具合だ(転記するだけでも疲れる)。その両者を合わせたものの一千倍近くだから、どんな代物か想像も付くだろう。え? スケールが大きすぎて、逆によくわからない? うん、それも無理はない。

そして最盛期のゼウスガーデンは「従業員は三百万人を突破」「年間の総売上は国家予算の三倍」「(創業五十周年の無料開放日に)世界中からゼウスガーデンにつめかけた観客数は千五百万とも二千万ともいわれた」…要するに「日本」=「ゼウスガーデン」と化した未来像。何から何まで桁外れ。大ボラの極致だ。
このような作品を書く場合、普通はもっとリアリズムのタッチを持ち込んで「本当らしく見える嘘」を築き上げていくものなのに、小林はあの飄々としたユーモア溢れる、徹底的に軽い文体を駆使して「嘘だとわかっていても、あまりに楽しいのでつい聞き惚れてしまう嘘」、別の言葉で言えば「読んでいる者が、本当であって欲しいと願ってしまう嘘」を次から次へと構築していく。これは生半可な才能ではない。

設定もとんでもないものだが、小説としてユニークなのは、全体が歴史書のパロディ的なスタイルで書かれており、特定の主人公が存在しないこと。人物の内面に入り込んだ心理描写がほとんどないため、読み始めてしばらくの間は、取っつきの悪さを感じることもある。特定の個人に視点を置き、そこから物語やテーマを読みとっていくごく普通の読み方で接すると、少々戸惑う部分はあるだろう。確かにこの作品には、人間的な苦悩や葛藤は描き込まれていない。だが希有壮大かつ誇大妄想的なお話に散りばめられた、歴史と文明に関するシニカルでユーモラスな考察は、大いなる知的刺激を与えてくれるはずだ。古代ローマ帝国史をベースにしているだけに、変わる事なき人間の愚行や、その愚行を肯定するために登場する「思想」が、より痛烈な皮肉を帯びることになる。

そして僕が特に興味を惹かれたのは、あらゆる快楽を味わった後に残る究極の快楽は「死」であるという発想だ。それをもっともストレートに表現した『ゼウスガーデンの秋』IIが最後に来ることで、この大河ドラマは一挙に深みを増すことになる。しかもこのエピソードには、他のエピソードに倍する人間的な情感、不思議な哀感が込められている。『ゼウスガーデンの秋』は本編執筆から数年後に書かれた番外編だが、その数年の間に、小林はあの物語を通して、もっとも描きたかったもの、もっとも描くべきものは何だったのかを、はっきりと理解したのではないだろうか。


ラテン・アメリカ文学に通じる大ボラ感覚と濃密さをベースにしながら、それを徹底的に軽くて読みやすい文章に仕上げてしまう小林恭二の技は、天才的と言っていいものだ。彼がこの作品を書き上げたのはまだ30歳にもならない頃。若干荒削りな部分や薄っぺらさを感じさせる部分はあるものの、その馬鹿馬鹿しいまでに壮大な構想と、濃厚なくせにくどさを感じさせない描写は、他の追随を許さないものだ。筒井康隆が絶賛したという逸話もむべなるかな、というところだ。

それだけに不思議なのは、これほど優れた作家が意外と一般的には知られていないことだ。僕自身つい2か月ほど前までまったく知らなかったのだから、驚いてしまう。この作品など「日本SF大賞受賞作」程度の肩書きがあっても不思議はないはずだが、特にこれといった受賞歴はなく、最新刊『ルビー・フルーツが熟れる時』もあまり売れている様子はない。これだけの傑出した才能を、出版社もマスコミも、なぜもっとプッシュしないのだろう?


(2001年7月初出)

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