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03/25/2005

【映画】さようなら 黒澤明

1998年9月6日、日本の誇る映画監督、黒澤明がこの世を去った。

その死に対していろいろ思うことはあるが、あえてこんな風に書いてみたい。

 
黒澤明の死が近いことは、去年の後半あたりから、すでに関係者の間では公然の秘密となっていた。それを知らなかったとしても、88歳という年齢は、日本人男性の平均年齢からすれば十分に「天寿を全うした」と言えるものだ。驚くとすれば、むしろ「よくここまで保った」ということと、「まさかその前に相棒の三船が逝ってしまうとは(^^;)」という2点だけだ。

その健康状態を考えれば、「映画監督としての黒澤明」はもう何年も前に亡くなっていたのだ。本人はまだ映画を撮りたがっていたかもしれないが、すでに80代後半の老人に画期的な新作を求める人がいたとしたら、それはあまりにも残酷な話だ。
我々映画ファンが求めるべきものは、黒澤自身の新作ではなく、黒澤映画を継承し、それを乗り越えていくような作家/作品の出現だったはずだ。それはおそらく黒澤自身の望みでもあったことだろう。
では黒澤の跡を継ぐような作家/作品は出現しなかったのか? この点について僕はかなり肯定的な見解を持っているのだが、多くのマスコミは「黒澤の時代に世界を席巻した日本映画が、現在では…」といった論調に支配されることになるだろう。

そんなことを言う人々は、新しい日本映画をきちんと見た上でものを言っているのだろうか? 

黒澤の死に対して、これからどんな人々がどんなことを言うか、しっかり覚えておくつもりだ。
誰が自分自身の目でものを見た上で発言し、誰が既成の権威に頼って発言しているか、きっとよくわかるはずだからだ。


僕が今とても喜んでいるのは、『まあだだよ』が遺作となってくれたことだ。
「遺作/遺言」としてあれ以上にふさわしい作品はないだろう。
説教臭く、完成度にも不満のある『夢』『八月の狂詩曲』で終わられたのでは悲しすぎる。終末感に溢れ、一見「白鳥の歌」にふさわしい『影武者』や『乱』は、しかし「まだ次がありそう」という感情を抱かせる作品であり、あれが最後だったら残念な思いでいっぱいになっていただろう。
だが僕は『まあだだよ』を見終わったとき、「ああ、これで本当に終わったんだな」と感じ、自分の中で映画作家としての黒澤に、すでに幕を降ろしていたのだ。あの後に何か新しい作品を撮ったとしても、ヴィスコンティの『イノセント』や、チャップリンの『ニューヨークの王様』『伯爵夫人』のように、きっと「蛇足」の感は免れなかったことだろう。
(ヴィスコンティの遺作は『家族の肖像』、チャップリンの遺作は『ライムライト』であって欲しかったと思うのは僕だけだろうか? 『イノセント』自体は良い映画なのだが)


映画監督としての黒澤明は、有限な人生の中で、十分にやることをやった上でこの世を去ったのだ。その死は、「もう少し長生きしていれば、もっと凄い作品を作ったはずなのに…」という無念の死では、決してない。

ならば悲しむことなど何一つないではないか。映画ファンであれ、批評家であれ、映画の製作者であれ、今なすべきことは、黒澤作品の素晴らしさを21世紀へ語り継いでいくことと、そのエッセンスを学び取り、さらなる傑作を作り出していくことだけだ。


だから二重の意味を込めて、こう言おう。


「さようなら、黒澤監督。お疲れさまでした」


(1998年9月初出/2005年3月改訂)

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