« 【映画】『ストレイト・ストーリー』短評 | Main | 【映画】『CURE』短評 »

03/03/2005

【音楽】追悼 どんと (BO GUMBOS)

B00005G4TF


悪い冗談のような話だ。


どんとが死んだ?


しかももうひと月近く前の1月27日に、旅先のハワイで脳内出血で?


最近は彼の音楽ともすっかり疎遠になっていたが、だからと言ってそのショックが和らぐわけではない。むしろ如何ともしがたい後味の悪さに心が重苦しくなる。おそらくこの思いが解消されることは、永久にない。


*******************************


どんと(本名 久富隆司)…元BO GUMBOS、ローザ・ルクセブルグのヴォーカリストだ。ローザに関しては、名前こそ現役時代から知っていたものの、その音と向かい合ったのはBO GUMBOSと出会った後のことなので、あくまでも後追いリスナーとしての思い入れしかない。自分にとっては、どんとと言えば、やはりBO GUMBOSだ。


BO GUMBOSとの最初の出会いはまったくの偶然であり、それだけに一層衝撃的だった。

1988年の5月、日比谷野外音楽堂で幾つかのバンドが出演するイベントがあり、それを友人と見に行った。確かお目当ては、当時注目していたエレファント・カシマシだったと思う。
BO GUMBOSの名前は、出演リストの中に載っていなかった。多分急遽出演が決まったのだろう。彼らの姿を初めて見たとき、僕はそのバンド名すら知らなかったのだ。
ステージに立った彼らの姿は、フラワー・ムーブメントをさらにカリカチュアしたかのように、ど派手そのもの。どんとに至っては、髪を染め、けばけばしいサイケ調の色彩に身を包み、高さ数十センチにもなるロンドン・ブーツで登場。その時代錯誤としか思えぬギンギラぶりには、苦笑を禁じ得なかった。

だが…そんなアホみたいな格好をした連中がいきなり演奏したのが、至上の名曲「夢の中」だったのだ。

その時の凄まじい衝撃を、どう表現すればわかってもらえるだろうか?

KYONが弾くイントロのピアノだけで、連中の出す音がそこらのバンドとはまったく違うレヴェルにあることが直感できた。そこへ、音程は危なっかしいくせに、やたらとソウルフルで聴く者を惹きつけてやまないどんとのヴォーカルが加わり、間奏のギター・ソロへ突入するところで、直感は揺るぎない確信へと変貌した。まったく何の予備知識もなく、名前すら知らぬまま、とんでもないバンドと出会ってしまったのだ。

最初の曲が終わった後、友人と思わず顔を見合わせてしまった。「かっこいいなあ…」と驚嘆する友人。言葉を失い、ただ頷くことしか出来ない自分。


これ以後、ふたりはBO GUMBOSの追っかけと化し、あちこちのライヴ・ハウスへと通い詰めることになる。


BO GUMBOSの評判はファンや業界の間では伝説なものになっていたし、幾つものレコード会社から声が掛かっていたようだが、彼らは意図的になかなかレコード・デビューをしようとしなかった。メジャーはもちろん、インディペンデントのレコーディングすらしなかった。
本人たちがどういうつもりでデビューを遅らせたのかはもう忘れてしまった。多分ローザ・ルクセンブルグの時の反省から、レコード・デビュー前にもっと徹底的に自分たちの音楽を煮詰めようとしたのだろう。それは「ある意味においては」正解だったと思う。

とにかくレコード・デビューまでのおよそ1年間、超満員の観客にもみくちゃにされながら、僕(と友人)は何度も何度も彼らのライヴを体験した。

そして日比谷の野音で味わった衝撃は、ほんのイントロに過ぎなかったことを痛感させられた。

当時の彼らのライヴは、それほどに凄まじいものだった。ロックやファンクという音楽、その中でも最上級の音楽だけが持ちうるグルーヴと、宗教的とも言える熱狂が、怒濤のごとく渦巻いていた。
どんとのヴォーカルは、パンク・ロッカーのごとき激烈さと、漂泊の詩人のような内省的な憂いを兼ね備えていた。
岡地のドラムスと永井のベースは地を揺るがし、いかなる人間をも踊らせずにはおかないリズムを叩き出していた。
KYONはニュー・オリンズ風のピアノによって黒人音楽の豊かなニュアンスをバンドに与え、背骨の神経をゴリゴリと削り取るようなギター・カッティングによって、最高のファンクに匹敵するグルーヴをつむぎ出していた。

数あるライヴの中でも、特に凄かったのは1988年の11月にインクスティック芝浦で行われたライヴだ。あの時の熱狂を表現しうる言葉は、どこにも存在しない。「夢の中」や「トンネル抜けて」などの美しいバラードも心に染みたが、「ダイナマイトに火をつけろ」「助けて! フラワーマン」「見返り不美人」などのアップテンポの曲は、もはや普通の意味の音楽であることをやめていた。そこに現出していたのは、Pファンクの代名詞=「ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ」そのものだった。

BO GUMBOSの歌は、歌詞も曲調もバラエティに富んでいて、ロマンティックな歌もあれば、思いきりユーモラスでエッチな歌もあれば、ストレートすぎるほど攻撃的な社会批判の歌もある。そしてどの歌にも多かれ少なかれ共通するのは、どんとという人間が持つ孤独感であり、哀しみであり、その裏返しとしての攻撃性や祝祭感だ。

どんとはMCで必ずこんな風に僕たちに語りかけてきた。

「みんな学校に行っても、会社に行っても、いやなことばかりでしょ? 毎日毎日つまらないことばかり、疲れることばかりで、生きていても楽しいことなんてなかなかないでしょ? でもせめて今日一日だけは楽しい日にしてあげるから、存分に楽しんで、踊っていってね」

彼らの音楽は、その言葉をこれ以上ないほど完璧に体現していた。だからこそ、誰もが取り憑かれたように彼らのライヴに集まり、そこから大きな喜びとカタルシス、そしてなにがしかの救いを得ていたのだ。

翌1989年、彼らはデビューヴィデオ(これはなかなかの傑作)を経て、ようやくデビューCD『BO & GUMBO』をエピックから発売する。

だが…そこには大切な何かがスポンと抜け落ちていた。

彼らの憧れの地、ニューオリンズでの録音、バンド名の由来にすらなっている心の師ボ・ディドリーの客演、ずらりと並んでいるのはライヴでおなじみの名曲たち…

にも関わらず、そこに封じ込められた熱量はあのライヴの10分の1にも満たないものだった。その後もCDを何枚も出した彼らだが、最後までライヴの熱狂をCDというパッケージメディアに収めることは出来なかった。


それでもライヴには引き続き足を運んだ。会場は、狭いライヴハウスからNHKホールや中野サンプラザ、横浜アリーナ(イベント)、代々木公園(フリー・コンサート)などに代わったが、そのスケールの拡大と反比例するかのように、ライヴの方も少しずつテンションが低くなっていった。

なぜか? レコード・デビュー前から演奏されていた「夢の中」や「ダイナマイトに火をつけろ!」といった名曲を凌ぐ曲を、ついに作り出すことが出来なかったからだ。そこから来る焦りのようなものが、「頂点へと登りつめようとする者だけが持つ勢い」や「自分たちの音楽が人々を一時でも幸せに出来るという確信」を、彼らの音楽から徐々に奪っていったのだと思う。

「みんな最近何かいいことあった?」
「何にもない!」
「何にもないの? 可哀想に。それじゃあ毎日つまらないじゃないの」
「本当につまらないよ! だから歌って!」

かつては切実な響きを帯びていた、そんな客とのやり取りも、次第に一種の儀式と化し、本来の切実さは失われていった。

そんな状態に、どんと自身もどう対処していいのかわからなくなっていたようだった。彼の迷いは、もちろん観客にも伝わってきた。

その頃には僕も、かつてのような解放感を、彼らのライヴから感じることが出来なくなっていた。正確にいつ頃からかは覚えていないが、次第に彼らのライヴから足が遠のくようになった。CDにはさらに業を煮やし、後期のものはほとんど買っていない。


そう、BO GUMBOSとは、レコード・デビューする前に頂点を極め、レコード・デビューと共にその方向性を見失い、生命力を失っていったバンドだったのだ。


1988年のBO GUMBOSがどれほどとんでもないバンドであり、どんな恐るべき音楽を叩き出していたか…CDデビュー後の彼らしか知らない人間には、絶対にわかるまい。それはあの頃のライヴに通っていた人間、とりわけあの日インクスティックにいたほんの数百人だけが知っていることだ。


それを他の人間に伝える術は、もはやどこにも存在しない。


1995年、そんなBO GUMBOSから一つのメッセージが届いた。どんとが沖縄に移り住み、自分だけの音楽を追求するためバンドを脱退。その前に解散コンサートを開くというのだ。
6月11日、僕と友人は、初めて彼らと出会ったあの日比谷野外音楽堂に向かった。長いこと会っていなかった旧友の葬式に出るような気持ちだったが、それでも最期の場には立ち会いたいと思った。
そこで展開されたライヴは、かなり力のこもったものだったが、やはりかつて足繁く通っていた頃に比べると、少々弛緩した印象は免れないものだった。一番強く印象に残ったのが、ローザ・ルクセンブルグのギタリスト玉城宏志とどんとが、ローザの「橋の下」を共演したところ…ではちょっと問題あるだろう(「橋の下」がそれほどの名曲であることも確かなのだが)。
そのような印象は、永井(ベーシスト)のガールフレンドが楽屋で怪我をして、アンコールを前にして病院に同伴。ベーシスト不在のため、結局予定通りのメニューをこなすことができなかったという、何とも信じがたい結末によって、さらに強いものになってしまった。


二度と見られぬBO GUMBOSのライヴ…しかしその最後の瞬間に、バンドのメンバーが全員ステージに揃うことはなかった。


その後どんとは、ZELDAの小嶋さちほと共に沖縄に移り住み、自主CDを作りながら、悠々自適の生活を送った。そのCDはほとんど弾き語りのような世界だったようだ。東京でも時々小さなライヴハウスでライヴをやっていた。その度に「見てみようか」と思いつつ、見ることはなかった。CDも買わなかった。
なぜか? そのような音楽に興味がなかったからではない。どんと本来の資質は、むしろそのようなスタイルにこそ合っていたはずだし、クオリティ的にも決して悪くなかっただろうと思う。
だが僕はそんな風に隠棲してしまったどんとの姿を見たくなかったのだ。僕とほぼ同じ歳だから、その頃まだ30代の前半。他人には真似の出来ぬ大きな仕事をすでにやり遂げたとはいえ、そんな形で自分にとって心地よい世界に安住してしまうのは、いくら何でも早すぎるだろうと思ったのだ。
どんとの大きな魅力は、これ以上ないほど傷つきやすい人間が、「自分はこの社会で必要とされていないのではないか」という悩みに責め苛まれながら、音楽を通して、自分を苦しめてきた社会に一矢報いようとする姿にあった。そんなパンク的な側面と、彼本来のナイーヴな側面が、時には交互に顔を出し、時には両方ない交ぜになって、彼の歌に確かなリアリティを与えていた。
だからこそ、その片方が欠けてしまった彼の姿を見たくなかったのだ。少なくとも僕は、約束の地に安住した者の音楽を、まだどんとに奏でて欲しくなかった。やがて彼がもう一度俗世間に舞い戻り、自分と同じレヴェルで怒り、悲しむようになってくれたら、再び会いに行こう…そんな風に思っていた。

だがその日が来ることは、ついになかった…

今にして思えば、彼は本能的に自分の死期を悟っていたのかもしれない。「早すぎる」と感じられた隠棲も、人生の最後の5年間を、愛する人と共に心安らかに過ごす期間としては適当なタイミングだったのかもしれない。


それに気づかず(気づくはずもないが)、彼の最後の活動を冷ややかに見てきた経緯が、今も僕の心に重くのし掛かっている。

こんなファンの身勝手な心情を、彼は許してくれるだろうか?

*******************************

僕がようやくどんとの死を知ったのは、2月19日の金曜日、タワーレコードで買った雑誌を見たときだ。それは『ナビィの恋』の最終上映を見た(6回目)後のことだった。
『ナビィの恋』は、これ以上ないほど素敵なおとぎ話だ。現実の沖縄があそこまでの幸福に溢れているはずがない。だが…あそこに描かれている祝祭的なムード、生と死を一つのサイクルとして捉える世界観は、東京や彼の故郷である滋賀/京都とは比べものにならないほど色濃く流れているはずだ。
「全てのものは形が変わるだけだ。失われるものは何もない」…どんとは人生の最後を、そんな場所で過ごした。それは単なる偶然ではあるまい。


彼はきっと幸福に人生を終えたのだと思う。

取り残されたのは、きっと僕の方なのだろう。


この文章を書きながら、ずっと『ずいきの涙』を聴いている。最後までCDにその魅力を封じ込めることが出来なかった彼らだが、その中ではこのライブ・ベスト・アルバムが図抜けていい。このCDに封じ込められた熱量は、最盛期のライヴの半分とは言わぬまでも、3分の1以上にはなると思う。収録時間が60分しかないので(なぜ74分目一杯使わない!)、幾つかの名曲が落ちているのは残念だが、それでもBO GUMBOSのCDはこれ一枚だけあればいい。他のスタジオ盤など全部捨ててしまえ。

まあそれほどのダイナマイト・アルバムが、解散記念としてようやく出たこと、しかもその素晴らしい音源の大部分がレコード・デビュー前のものであることは、このバンドの不運をよく象徴してもいるのだが…


ともあれ…


さようなら、どんと。素晴らしい音楽をありがとう。
君がこんなに早く逝ってしまって、とても寂しいよ。


僕は本当に取り残された気分だ。


    働いて 働いて
    汗に埋もれて
    間違えて 間違えて
    手も足も出せなくて

    寂しいよって 泣いてても
    何も元へは戻らない
    願い事はいつでも
    遠い雲の上

    明日もどこか
    祭りを探して
    この世の向こうへ
    連れていっておくれ

    「夢の中」(作詞・作曲/BO GUMBOS)


(2000年2月初出/2005年2月改訂)

|

« 【映画】『ストレイト・ストーリー』短評 | Main | 【映画】『CURE』短評 »

Comments

こんなに熱い想いにトラバ感謝です

Posted by: 陸王号 | 03/14/2005 18:16

感動しました。ありがとうございます。

Posted by: maoo | 05/23/2006 18:38

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 【音楽】追悼 どんと (BO GUMBOS):

» ずいきの涙/BO GUMBOS [ワタナベ。日記]
ESCB1594/1995.05.21 01. ダイナマイトに火をつけろ 02 [Read More]

Tracked on 03/13/2005 10:38

» SOUL OF どんと2005@SHIBUYA-AX [ひねもす庵]
SOUL OF どんと2005@SHIBUYA-AX。 どんとがこの世を去ってから満5年。 今年も、縁のミュージシャンが集ってのお祭がありました。 前回チケッ... [Read More]

Tracked on 03/14/2005 19:22

« 【映画】『ストレイト・ストーリー』短評 | Main | 【映画】『CURE』短評 »